コンビニのうどん

碾貽 恆晟

コンビニのうどん




 気がつけば、そよ風に吹かれていた。


 あたりには一面の麦畑。そして、まばゆい夕日が私の体に照りつけ、少しの活力を与えてくれる。


 私は視線を逸らすことなく、太陽を見つめる。


 それは、あまりに雄大な自然の景色に魅せられたからか。


 赤く染まった空は広く、雲が黄や橙を色づけたなびいている。その色彩ある光は地上の麦畑や遠くの山に降り注ぎ、辺りを物悲しく、哀愁漂う風景へと変貌させていた。それは感傷がなしたものであることなど、私にはわかっていた。だがそれと同時に、なぜそんなことを感じたのか。それはわからなかった。


 次第に夕日は紫の混じった色へと移ろい、ついには地平線に消える。


 そして、闇の帷が地上に降りた。


 数えるほどしかなかった星はいまや空を覆い尽くし、天の川をかけている。ゆっくりと星の動きに合わせ、移動していく天の川。


 その天の川を追うように月が地平線から顔を出した。あまりに美しい月だった。澄んだ透明な光は清廉さと静けさを覚えさせる。その月に私はただただ魅了され続けた。



 月が天高く昇った頃、私ははたと我に返った。


 自分は、どうしてここにいるのだろうかと。


 起きあがろうとして、私はさらに驚きを覚えた。


 手足の感覚がなく、動こうとしても動けなかったのだ。


 そして私は知りたくない事実を直視することとなった。


 ──私が麦穂になったという事実に。


 混乱した。私は人であり、名前も…………私の名前は?



 思い出せなかった。



 ただ、麦穂になったという事実だけが目の前に横たわっていた。


 泣こうとしても涙が出ず、喚こうとしても声が出なかった。


 発狂したくても発狂できないということがさらに私の心をいらつかせ、あてのない憎悪が胸の中に溜まっていく。


 私は狂うことも許されず、ただただ怒りとも嘆きとも言えぬ感情を持て余すことしかできなかったのだ。


 その思考に終止符を打ったのは光だった。


 太陽の光が私の体──麦穂──に降り注ぎ、朝の到来を告げる。


 雲ひとつない晴れ渡った空は青かった。今までの人でなくなったという事実がどうでもよくなるようにさえ思えた。


 その時、ゴロゴロと音が聞こえてきた。何かと思って音の方を見れば、そこにはコンバインがあった。コンバイン、つまり刈取り脱穀機だ。


 私のすぐ横を通り過ぎ、同朋(?)たちを刈り取っていく。


 まさか、まさかまさか、もう刈り取る時期だというのか……!?


 私が自意識を取り戻した翌日から、もう刈り取られる運命だなんて。


 コンバインは隣の列を刈り取ると、私を含む列を刈り取ってくる。そして、その歯牙は私の身にも迫る。そして、私はぐるぐると回る中で、何ひとつ把握することもできず、私という存在がいくつにも切り刻まれていくのを感じた。


 痛みはなかった。


 意識が混濁し、枝分かれし、幾つもの自分が生まれては結合し、そしてまた分かれて結合する。


 精神が歪み、自分が自分ではなくなるように思えるが、こんなことを思っている時点で自分はまだ正常であると認識できる。


 辺りの景色はもう認識できなくなった。


 そうして、私は意識を失った。



 ◆



 次に意識を取り戻した時、私はうどんになっていた。


 うどん、である。


 あの白い麺で、たぬきだとかきつねだとかいう種類があるうどんだ。


 意識を失っている間に私の体(麦穂)を脱穀し、潰して、混ぜて、捏ねて、打って、切ったのだ。


 なんと残酷な行いだろう。私が人であったなら訴えているところだ。


 しかし悲しいかな、私はもはやいっかいのうどん。私は動くこともできず、機械に運ばれていくのみ。『ジャボン』と容器の中に打ち込まれ、出汁が流し込まれる。その後、いくつかの具材を放り込まれ、最後に油揚げが乗っかった。


 混乱している間に、うどんの同朋と一緒にに詰められて運ばれる。


 暗い中、時間感覚など消え去り、気分は虚無となった。そんな私のことはお構いなしに、私の入った容器、その容器の入った箱が空き、私は気付けば店頭に並べられていた。


 私はどうなってしまうのだろうか?


 このまま、よく知らない人間に買われ、咀嚼され、胃の中へと押し込まれてしまうのだろうか?


 悲しみが、私の心を襲う。


 私が何をしたというのだろうか?


 こんな仕打ちは、兎になったと言われる仏陀でもなければ経験していないのではなかろうか。


 いや、食物に加工されてまで意識を保っていることから、仏陀よりもっと酷いだろう。


 透明なプラスチックを通して、こちらを覗き込んでくる人の顔が見えた。


 そして──となりに置いてあったうどんを手に取り会計へと向かっていった。


 その後も、何人かの人がうどんを手に取っていくも、私に手を触れる人はいなかった。


 なぜなのかはわからないが、私は売れ残った。


 そして、つくのはシール。20%引きか何かは知らないが、それに類するものだろう。少しイラッときた。だがそれと同時に、ホッとした。


 私は、食べられないのかもしれないと、思ったのだ。この思いが、叶えられるかもしれないと期待した。


 そして、それはある意味正しかった。


 その後も3枚ほどシール貼られた。


 時間間感覚もなく、人が空くなってきた頃、一人の男が私の入った容器を取る。そして、私と同じように売れ残ったと思われるものの横に置かれる。


 ガラゴロと運ばれ、店内から関係者以外立ち入り禁止と思われるところへと入っていく。


 ガタン、と止まり、私の入った容器が取られた。


 べちゃ


 そんな音が鳴り、私はバケツのような中に投げ入れられた。


 そして、後を追うように残飯が落ちてくる。


 信じられない気分だった。このまま、私は燃えるゴミとして捨てられるのだろうか?


 嫌だ!


 そう叫べど、誰からも助けはやってこない。


 あぁ、あぁ、あぁ。


 ぐちゃぐちゃに混じり合い、残飯となった私は辺りの風景を一切知ることなく揺られて、移動するだけ。その気が狂いそうな時間、私は考え続けた。


 私が燃え上がるその瞬間を頭に思い浮かべ、それを否定し、心の中で叫び続けるという苦行を、行い続けた。


 ただ、それが私の正気を繋ぎ止めたとも言える。


 気がつけば、目の前には炎が近づいてきていた。その炎はとても赤く幻想的だった。あぁ、これが炎というものなのか。


 あっ


 と、炎に魅了されていた私は炎が我が身を燃やしていくのを感じながら、どこか達観した思いを抱いていた。


 あぁ、これで終わるのか。


 こんなので終わるのか。


 怒りも悲しもも抱きはしなかった。


 そして──炎が私の最後の一片までを灰にした。


 

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