日曜日のスーパー

さっこ

第1話 栄螺のつぼ焼き

 動くものが嫌い。

 うるさいものが嫌い。

 生きているものが嫌い。


 大きく振り上げた手をそのまま勢いよく机に叩きつけた。

 こんなに力強く叩きつけたところで、こんなに自分など無くなればいいと思ったところで、どこかに自分可愛さが残っているのか。手はじんじんと痛むが到底折れるという程の力でもなく終わった。

 本気で命を絶とうと思ったことなど、多分ない。ただスッとこの世界から消えたいと願たことが数えきれないくらいあるだけだ。

 机に手を打ち付けてから微動だにせず10分経っただろうか。空腹を感じむくりと起き上がる。この週末一度も着替えていないスエットの上にロングカーデを羽織り、ぼさぼさの頭はキャップに押し込む。大き目のマスクと眼鏡をかけ、財布だけひっつかみコンビニへと向かう。

 時刻は17時48分。

あと6時間と12分で今日が終わる。また月曜日が来る。15時間と12分後には仕事場だ。


 これも違う、あれも違う、陳列されているものはどれもこれも空腹に訴えかけてはくるけれど、どれも自分を救ってくれるものではなかった。

 結局いつもの親子丼とサラダ、数種類のスナック菓子、たいして美味しくもないカップ酒をかごに放り込み会計を済ます。今月の給料日まであと10日間、本当は菓子も酒も買ってる余裕なんてないのに、また買ってしまった。体重だってまた増えた。

 体重は増える、金はなくなる。なのにまた繰り返す。

 なんで、生きているんだろう。


 コンビニとアパートの距離は10分程。少し暖かくなった風は優しく、気持ちよいと感じた。感じる事ができた。足を止め頭を上げればラベンダー色の空に黄丹色の雲が溶け込んでいる。


「お嬢さん!」

 お嬢さん、どうみてもそんな年齢にみえないだろうにと声の方に目をやれば小さなスーパーの店先で焼き物をしている若い男がこちらに向かって愛想笑いを浮かべていた。

「もしよかったら、これ買わない?残り二つで終わりなんだけどさ、それがどうにもこうにも捌けなくて。ほんとは二つで600円なんだけどおまけで300円で、ね!どう?」

 買う、と答えてもいないのにタオルを頭に巻いた男は見慣れない貝を網の上にのせて焼き始める。

「あの……」

「めーっちゃ美味しいから!保証する」

 魚介独特の旨味を含んだ煙が徐々に立ち上がる。じゅわじゅわという耳に心地よい音も立ち始め、気が付けば財布から300円を取り出していた。

「まいどあり!」

 大きな口の口角をこれでもかというくらいあげにぃっと笑った男は焼き作業はそのままに器用に300円を受け取っていった。

待っている間、この栄螺はどこそこ産のもので…やら、酒は新潟の…なんとかと合うやら話しかけてきたが初対面の人間とコミュニケーションを取ることが不得手な私は「はぁ」とか「はい」とか碌に話も聞かずに返事をしていた。

 話半分で返事をしつつ焼き物をしている奥の店に目を向ける。今時まだこんな個人経営のスーパーが生き残ってるんだな、と感心しつつ毎日通っているのにこんな店があることに全然気が付いていなかった自分に呆れた。

 店内に人影はほとんどなくホタルノヒカリが漏れ聞こえてくる。今時24時間営業のスーパーがざらにある中で、18時30分のスーパーが生き残ってるなんて、とこの店に少し興味が湧いてきた。

「うちね、日曜日にはこうして露店出してんだ」

 焼きあがったらしい栄螺をプラケースに入れて慣れた手つきで輪ゴムでとめる。

「今日は魚介だったけど、肉とかもやるし。店内の惣菜なんかも評判いいから」

 気に入ったらまた来て、と終始笑顔だった男から栄螺を受け取りまた元の帰り道へと戻る。

 数メートル歩をすすめそっと振り返れば、店員は片づけを始めていた。

 自分より少し若いくらいだろうか、バイトという雰囲気でもなかったし親の跡目をついだ二代目…とか。勝手な想像を巡らせてその場に留まっていれば、男に親し気に話しかけてくる同じエプロンを付けた年の頃が近しい女。

 奥さん、かな。止まっていた歩を再び家へと向けた。


 予定外の時間ロスで冷えた親御丼を温めなおし、買ってきたものを雑然とテーブルにならべ、手を合わせる。

「いただきます」

 誰がいるでもなく、誰がみているでもないのにこの「いただきます」だけは染みついた癖で言ってしまう。

 サラダをつまんだあと日本酒のカップを空け、スーパーで買った栄螺に挑む。しまい込んでずいぶん使ってなかった黒塗りの皿をひっぱりだしてきて並べてみた。

 遠い昔に一度食べたことがあったが、その時の記憶を頼りに箸1本を持ちくるり、と外殻から中身を取り出す。するりっと抜けるその感覚は気持ちがよかった。

 テラリと磯の汁気をおびた身を一気に口へと運ぶ。コリっという触感とともに海の潮気、すぐに腑の苦みがやってくる。そこへすかさずたいして美味しくもない量産型の日本酒を流し込む。

 苦みは安酒特有の切っとした清涼感に流されともに私の腑へと落ちていく。

 部屋に一人きりの私はその時自分自身がどんな顔をしていたかわかないけど。

手が止まり、時が止まった。

 こんなアルコールしか感じない日本酒でさえこんなにもおいしいのか、と。これが甘味がある日本酒だったら?もっとちゃんと冷えた濁りのない酒であったら?この苦みはそれと合わさってどう消化されたのだろうか。

 あの店員は、なんの酒と合うと話していただろうか。


 じわりと視界が歪む。

「おいし」

 コンビニで買った親子丼だって、スナック菓子だって美味しいのだ。それを無心でむさぼり食べる毎日。嫌なことがあれば比例するように量が増え、旨みがするものを口に放り込んで数分の間の幸せで自分を騙す。その幸せは数回かめば消えて、また次、また次と手が止まらない。胃がどれだけ重くなっても少しの間の幸福を止めるのが怖くて食べることをやめられない。

 そして次の日の朝に、またやった、と罪悪感でいっぱいになる。

 たった2個の栄螺なんてあっという間になくなる。

 だから大切に大切にもう一つを食べた。2回目は1回目ほどの感動は押し寄せなかったがじわりと広がる苦み旨味を今度は酒を混ぜずに味わう。どことなく炭の煙い味も交じりなんだか懐かしさを感じる。

 実際子供の頃の思い出がなにかあるわけでもないが、たぶん日本人にしみついた郷愁の味なのかもしれない。

 ゆっくりとよく噛み、飲み込む。

 どうしようもなく炊き立ての米が食べたくなったが、目の前の親子丼を無駄にするのは気が引けるし、なにより米なんてこの家に常備していない。

 せめて、と立ち上がり皿と同様長く使っていなかったどんぶりを洗い親子丼をうまいこと丼に盛り付ける。容器の中でご飯と具とで別れているのでうまい事盛り付けられた。

 ひとくち放れば、出汁の味がゆっくりと口の中に広がり、やけにいつもよりおいしく感じる。

 栄螺のようにしっかり噛みしめて食べ終わる。

「ごちそうさまでした」

 箸を置き軽く空になった丼へ会釈する。

 そういえば、いつもいただきますは言うけどごちそうさまはしてなかったな。

 特に理由はないけど。


 いつもは捨てるだけで済む後付けだが、いつ買ったかわからないがかろうじて中身が残っていた洗剤で皿とどんぶりを洗う。さすがにスポンジを使う気にはならなかったらストックの新品が残っていたのは本当に助かった。


 洗濯して一回畳んだけど仕舞うこともせずその山が崩れた洗濯物や、買って数ページしか読んでない雑誌やらが散乱して足の踏み場もない部屋。テレビ前に3ヶ月前のまま卓上カレンダーがある。会社の上司が保険会社から沢山もらったからと事務所にいた皆に配っていてついでに私にも渡された。


 1月ヨークシャテリア、2月マンチカン…とかわいらしい動物の写真がのっている。

いいな、かわいい。今の私じゃ動物と暮らすなんて夢のまた夢だけど。

 3月、コーギー。

 通勤カバンからペンを引っ張り出して来週の日曜日にぐるりと丸をつける。

 丸をつけただけでとくに何を書き込むこともない。


 来週、ちゃんと店名を見てこよ。


 3時間と45分で今日が終わる。また月曜日が来る。12時間と45分後には仕事場だ。

「はぁ」

 溜息をついて立ち上がる。

 お風呂にはいって、今日はもう寝よう。



 たまには、日付を越える前に。

 少し重い体に活をいれ、私は風呂場へと一歩踏み出した。

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