第9話 叫び 悲しみ 偲んで
自動販売機から、落ちるハイライトを手に取り。早速、封を切った。背中を丸め、火をつけると、思いっきり吸い込み、煙を肺の中に入れる。クラっと、立ち眩みを感じて、目を閉じた。普段は、赤キャビンを吸っている私にとって、ハイライトは重い。モッズコートのポケットから、片手を出して、自動販売機に手を当てて、身体を支える。立ち眩みが収まった頃に、瞼を開いた。丸まっていた背筋が、ピンと延びている。モッズコートの隙間から、とても冷たい冷気が入ってきた。その時、シーンと静まり返った町並みが、薄ぼんやりと私が生活する町が視界の中に映っていた。考えてみれば、ここにたどり着くまで、地面しか見ていなかった。前を向くことなく、背中を丸め、歩いていた。不意に、志布志港で、握手を求められた時の、留美の表情を思い出す。笑みを浮かべていた。何とも言えなくかわいかった。いや、美しかった。大阪に帰る当日、私の中では、産みの母親の家でサヨナラするつもりでいた。私が、留美の住む家に出向き、じゃあ、帰るわと言い、志布志港に出向くつもりであった。それなのに、なぜか、留美が午前中に姿を現した。
『お兄ちゃん、帰るの。夕方でしょ。お兄ちゃんと、ちょっと、行きたいとこがあるの。付き合って…』
留美いわく、パワースポットと言われる場所らしい。溝の口洞窟と言い、地元曽於市財部町にあるらしい。洞窟の入り口から、犬を放してみたら、高千穂の麓の洞窟から、その犬が出てきたという逸話が残る洞窟だったのは覚えている。時間が出来た時は、旦那や姉の睦美を誘って、近くのパワースポットに出かれているという事である。断る理由もなく、留美の車で、私の運転で、産みの母親と三人で出かけた。
煙草を一本吸い終わると、うす暗い中、光輝いている自動販売機の前を後にする。寒気に慣れてきたのか、背中を丸めずに、歩いていた。なんで、留美は、あの時、私を洞窟に誘ったのだろう。私が帰省したのが、週末だったので、初日は、みんなで買い物をして、夕飯を作ったが、家族の時間があるだろうから、留美に会う事を遠慮していた。私は、とにかく、留美の顔を一目見たいがための帰省だったので、ともに、買い物をし、夕食を食べた事で、満足をしていた事もあった。それに、私の頭の中には、留美が死ぬという選択肢はなかった。身体はスマートになっていたが、私が作ったご飯もよく食べていたし、話す会話も流調で、動きは鈍かったかもしれないが、日常の生活に関しては、普通にこなしていた。二級建築士の資格を持つ留美は、家で仕事をしているという事だったので、すぐになんかあるわけではないなと、安心していたのだ。この帰省は仮で、本番は、年末であると思っていた。福岡にいる二番目の妹、稔美も顔を出す。稔美の三人娘とも会える。そして、私の家族も、年が明けてからであるが、顔を出してくれる。この年末の本番に、お互いの家族が集まり、ワイワイガヤガヤすることが頭の念頭にあった。また、留美の顔が見られるという、絶対の自信を持っていた。この自信がどこから来たものか、疑問ではあるが、私は、そう信じていたのである。今思えば、虫の知らせという奴だったのだろうか。この兄の顔を見るのが最後だと思ったのだろうか。今となっては、留美がどんな心境で、私とのドライブを誘ったのかはわからない。
「ちょい、まってや。志布志湾に見送りに行くってゆうたのも、嫌がる睦美を誘ったのも、留美でやったなぁ。」
私は、ええよ、ええよ、と断った。いくら南国の南九州とはいっても、夕方からの風は冷たい。大病を患っている留美も、しんどくないわけがない。あの時は、何も考えずに、うれしかったが、留美も、私と同様に、うれしく思ってくれていたのだろうか。
うおぉぉ!叫んでいた。シーンに静まり返っていた空間に、突き刺さる。叫んだ一瞬、しまった!という言葉が、脳裏に浮かぶ。新聞配達員の走るバイクの音も聞こえない。まだ、日常という一日が始まらない時間。近所迷惑な叫び声。叫んでしまった自分とは違う、もう一人の自分がつぶやいた言葉。いつもの自分だったら、絶対しない言動。でも、今は止められない。叫び声とともに、その場に、膝をついてしまう。その場で、叫び、叫び続ける。そして、涙が溢れる。
なんでやねん。なんで、俺じゃぁ、ないねん!
間違えなく、今の自分の感情を叫んでいた。
なんで、留美やねん!
吐き捨てるように、発した言葉が、冷たい大気に、突き刺さり、吸い込まれていく。
そんな時、頬にひんやりしたものを感じる。
ふぅん、冷たい…
むやみに、発していた言葉が止まる。意識をしないまま、視線を上のほうに向けた。
雪だ!
噤んでいた口が開き、発せられた言葉。寒い、寒いとは、思っていたが、雪が降るほどの寒さだったとは…感情が乱れているのか、感覚がおかしくなっている。真っ白い雪が、舞い落ちている光景が、視界に映る。そんな風景が、自分を冷静にさせた。その場で、立ち上がり、ゆったりと歩き出す。
がらがら…と、戸窓を開ける音が聞こえた。スタスタと、その場から、離れようとする自分がいる。さっきまで、泣き叫んでいたのである。感情的な自分がそうさせていた。
ふいに、考えが巡る。留美の訃報から、涙を流さなかった自分が、泣いた。人並みに、悲しい感情を持っていたのだと、思い考える。
イブか、なんで、イブやねん
ふいに出た言葉に、笑みが浮かんだ。
寒いわ、雪が降るわ
【なんて。日だ❢】
どこかの芸人の、古いギャグが、頭に浮かぶ。早く、家に帰ろう。日の出まで、まだ時間がある。眠れるか、わからないが、コタツに入って、待っていよう。妻が、起きてくるまで、待っていよう。そして、言葉を交わそう。留美を偲んで…
完
留美へ 出せなかった手紙 一本杉省吾 @ipponnsugi
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