第14話 建前
合同説明会前の視察が始動してから三日目の金曜日。今日は各団体への視察を早めに切り上げ、午後六時前には会議室で集合するように他の人たちへ通達していた。
俺は彼らが来るまでの間に、彼らが日中の合間を縫って作成してくれた報告書を一枚ずつ確認していた。
俺や
一通りサラッと確認し終えたところで、
「みんな早いね」
なんて、呑気なことを言いながら、自席についてカバンを漁る多賀谷。
「そっちが遅いんでしょ」
多賀谷の目の前の席に座っている北条が、頬杖をつきながら小さく口を動かした。
「そんなことないよ。現にまだ十八時じゃないからね」
自分のカバンに顔を突っ込む勢いで何かを探している多賀谷は、籠った声を響かせた。
「もう少し早く全員が揃ってれば、この何をするのか不明瞭な会議の開始時間も早まったはずなのにね」
北条は誰に言うでもなく呟くも、その語気には明確な怒りが乗っていた。
北条は今、不機嫌らしい。それは誰が見ても感じ取れるほどだった。
理由は明白である。彼女はかれこれ十五分ほどここでスマホを弄っている。
こいつは人を易々と待たせるくせに、人を待つことはできない短気な性格だからだ。
「おっ、あった」
多賀谷はカバンから頭を引っこ抜くと、折り畳みの財布を手に持った。
そんな多賀谷のことを、北条は冷めた目つきで睨んでいる。まるで、こいつには何を言っても意味がないことを、ようやく悟ったかのように。
「それで、今からなんの会議するの」
多賀谷に嘆息した北条は、怒りの矛先をこちらに向かった。北条のその目が、とっとと帰らせろと訴えているように思えた。
北条もご機嫌斜めなご様子だし、それ以外の面々も多少なりとも疲労が顔に出ているため、迅速に会議を終わらせることを心がけて、椅子から立ち上がった。
「ひとまず全員お疲れ様。今回の会議は、昨日と今日の視察に対する所感を伺いたいと思って開いたんだけど……どうだった?」
「所感って言われてもねぇ……」
俺の言葉にまず真っ先に多賀谷が反応した。彼は後頭部に手を組んで、背もたれに反り返って天井を仰ぐと、ゆっくりと口を開いた。
「まあまあかなぁ」
神妙な面持ちでそう語る多賀谷。はなからこいつには何も期待していない。
次に誰が発言するのか、そんな空気読みが発生してしまい、しばらくの間沈黙が続くもそれを北条が破った。
「視察っていうより、その後のことなんだけど。報告書にまとめる内容、もっと具体的に指定して欲しい。特に活動の様子を書き写す部分。正直何書けばいいか分かんなくて、観たもの全部適当に書いちゃったんだけど」
北条からのその言葉に内心感謝しながら、それに答えるべく、口を動かす。
「これまでに提出してもらった報告書は逐一目を通したけど、大まかには今のような書き方で問題ない」
手元にある報告書の束をぱらぱらめくって、さらに話を続ける。
「付け加えるとすると例えば、部員の表面上の人間関係とか、活動環境が整えられているかとか。もっと踏み込むと、いじめのようなことが行われていないか、とか。活動風景をできるだけ言語化して欲しい」
「いじめねぇ」
北条が意味深に呟いた。他の者は気が滅入ってしまったのか表情を暗くしている。
「例えばの話だけどな。別にどこがそういう現場になっているってわけじゃない。うちの学園はそういうのには厳しく罰する方針だしな」
「でも、それに近しい状況は目撃しましたよ」
葛西がスッと手を上げてそう言った。そして横にいる多賀谷に視線を向けると、彼も静かに頷いた。
「まあ、あれが本人たちにとっての普段のノリなら、どうかは分からないけどね」
多賀谷の言う通り、それが一番難しいところではある。
「そうだな。こっちが変に勘違いして波風立ててもな。だから様子を見る過程で気になる点があったら、一応注意書き程度に控えておいてくれ」
「オーケー。そこら辺の事象は触れるべきか否か躊躇していたから助かるよ」
陰気臭い話になってしまったが、この手の話も今回の視察にはつきものではある。しかし、外部の人間がいじめに発展しそうな雰囲気を正しく見極め切れるかというと、ほぼ不可能だろう。
外部の人間が安易に触れることで、良好であった彼らの人間関係が悪化する可能性も考えられる。
そのため、問題は問題になってから触れた方が良いのではないか、ということになる。しかしそれはそれで、そのような事象を見て見ぬふりをするのも道徳心的にどうかという、なんとも複雑な問題だ。
ふと、目の前に座っている姫野が強張った表情をしていることに気がついた。
「姫野さんどうした? 大丈夫か?」
「──えっ……あ、うん。大丈夫だよ……」
俺が声をかけると、姫野は上の空な反応を見せた。
まあこの手の話は姫野には無縁なものだろうし、話を聞くだけでも疲弊してしまうのだろう。
「……姫野さんと葛西は、どうだった?」
その二人にそう聞くと、姫野が葛西に目配せしてから、先に口を開いた。
「個人的な感想になるんだけど。わたしは、詳しくなかった同好会のこととか、色々と知れてよかったかな。……ちょっと疲れたけど」
「僕もだいぶ気疲れしました。で、でも多賀谷さんが優しくしてくれて……」
それもそうだろう。俺たち生徒会役員は普段から生徒会業務として放課後の校内を見回っているが、他の者たちは慣れないことをして疲労も溜まっていることだろう。
「そうだよな。……今週は予定通り視察できていたし、来週からが正念場ではあるから、土日にしっかり休んで欲しい」
各人静かに頷いたことを確認したところで、そろそろ儀礼的な挨拶でもして解散しようという時だった。
「それじゃあ激励会でもしようか」
多賀谷がニヤニヤ不気味な笑みを浮かべながら、財布を持って立ち上がった。
「親睦会も兼ねてさ」
「……いや、もう解散するから」
「なんでよ。まだ最終下校時刻まで三十分もあるじゃないかい」
「一応生徒会から、用がないやつは校内に居残るなっていうお達しを出してるからな。俺がそれ守らないとまずいだろ」
「じゃあ私帰るから」
俺と多賀谷の攻防の隙に、北条がカバンを持ってドアへ向かって歩いていく。
「飲み物片手にお菓子やらをつまみながら、お互いの近状でも話し合おうよ。組織としてはそういう機会を設けるのも大切だと思うな」
「そんなの今やる必要ないと思うけどな」
「まあ、いいんじゃないの。折角なら」
先陣を切って帰ろうとしていた北条が、自席に戻って多賀谷に加勢しだした。
……こいつ、ただ食い物ばりぼり食べたいだけだろ。
話もせずに無言で押し黙って、スナックを貪り食う北条の姿が想像できる。
「じゃあ、コンビニ行ってくるから。何か買ってきて欲しいものはある?」
「あっ、じゃあ拙者カルピスで。あとカルパスも」
「コーラ、ポテチ、チョコ」
「……北条さん、意外と食べるんだね」
「な、なに?」
「ううん……! なんでもないよ」
先ほどとは打って変わって、好き勝手に喋り始める委員たち。
生徒会側からは、放課後に生徒たちが教室などに残留して変に問題を起こすことを防ぐために、用事がない者は真っ直ぐ帰宅するように促している。
……なのだが。まあ、いいか。止めようとしても言うこと聞かないだろうし。
幸いにもというかなんというか、コンビニは目と鼻の先にあるし。時間的な問題は大丈夫だろう。
「それじゃあ他にも適当に見繕っておくよ。葛西くんちょっと一緒に来て欲しいんだけど」
「御意」
「
「落ちるわけないだろ。そもそもそんなのねぇよ」
「じゃあ後でみんなから徴収するからね」
そう言うと、多賀谷と葛西は会議室を出ようとする。
「わ、わたしも手伝うよ……!」
するとそこに、北条からのジトっとした視線に耐えかねたのか、姫野が駆けつけた。
「……姫野さんも行くなら僕はいらないのでは? お二人でどうぞ」
「それは無理だね」
姫野と代わりに自席に戻ろうとする葛西の首根っこを掴んだ多賀谷は、そのまま葛西を引きずるように廊下に出た。
「……葛西くん。頼むから空気読んでくれないかな。今そういう流れなんだから」
「ん? ど、どういうことですかな?」
わけもわからず多賀谷に引きずられて困惑している葛西と、それを数歩後ろからついていく姫野を見送る。
「…………」
会議室に残された者たちの沈黙が重なる。
俺の斜め向かいに座っている北条は、スマホに何やら文字を打ち込んでいるようだった。
静まり返ったこの部屋で、スマホの液晶画面を擦る音だけが鳴り広がる。
俺が北条のことを凝視していたからだろう、彼女はスマホから目を離すと、俺に鋭い視線を向けた。
「なに」
「いや、なんか意外だなって」
「なにが」
「こういう時に居残ってるのが。この感じのノリ、苦手じゃなかったか?」
「……昔はね」
北条のその一言は、とても冷たく、透き通っていた。
「別に無理して参加する必要ないんだぞ」
「なに、それ。……私のこと気遣ってるつもり?」
北条のその一言を契機に、彼女の声色はより冷たくなり鋭利なものとなっていく。
「私のことをあの頃と同じ物差しで見ているのか知らないけど、そういうの、本当にいらないから」
「そういうつもりで言ったわけじゃない。俺はただ──」
「ただ、私のことを気遣うふりして、自分を慰めたいだけでしょ?」
北条は俺を咎めるような目をしていた。子供の頃とは違う、明らかに敵意を込めた目つきをしていた。
「……俺はただ、組織の代表者としてかけるべき言葉を言っただけだ。そこに他意はない」
「ふーん」
北条は短く突き放すような物言いをして、ゆっくりとスマホを机の上に置いた。
そして、目を閉じて静かに笑ったかと思えば、片方の口角を上げたまま、笑うことのない目を開いた。
「意外といえば。仲良いみたいじゃん。〝女神様〟と」
北条のその言葉で、俺の身体の拍動が一拍子遅れたような気がした。
こいつは、踏み込んで欲しくない領域に触れた者を威嚇する割に、すぐ人のそれに足を踏み入れる。
彼女のそれは無意識なのだろうか。それとも、他人を攻撃することで自分の領域への侵入を防いでいるのだろうか。
「まさか、
「……意図もなにも、どこの組織にも属していない人間が、俺の周りには姫野ぐらいしか残っていなかっただけだ」
「〝俺の周り〟ねぇ。随分と親しいご様子で」
「親しくはない。姫野とまともに話したのだって、新学期が始まってからだし」
皮肉った物言いをして、言葉を回す北条の、その意図は解らない。それでも、彼女が何かに対して不満に思っていることは察した。
「なのに、こうして頼み事をする間柄ではある。……もしかして、最近、〝女神様〟と何か良いことでもあった? 運命的な出来事でも起こった?」
北条はさらに畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「〝女神様〟に対して、特別な感情でも持ってるんじゃないの? じゃなきゃ、自分との噂の渦中にいる人を側に置くようなことはしないでしょ。……現に、あの時は距離を置いたんだから」
俺に向けている、北条の赤みがかった瞳が微かに揺れている。
「あの時は……──あの頃とは状況が違うからな。今回は、姫野をこっちに引き込んだ方が、お互いにメリットがあっただけだ。特別な感情を抱いているからとか、そんな可愛いもんじゃない」
「メリット?」
「ああ。お互いにとって利点があるから協力した。ただそれだけだ」
「ふーん。そんな損得勘定で動くような人になったんだ」
「それは、お前もだろ」
「……そうかもね」
北条はひどく冷めた冷や水を浴びたように、抑揚のない声で淡々とそう言い放った。
「まあ、どうでもいいけど、私がそれに巻き込まれるのはごめんだから」
「巻き込まれるほどの仲ではないだろ。俺たちは」
「なら安心」
それっきり、北条は何も話さなかった。
再び訪れた沈黙。一分一秒が長く感じて、微妙な居心地の悪さを感じる。
北条とこんな話をしたかったわけじゃない。俺にそんな後悔をさせるには充分な時間が過ぎた頃、ピコンとスマホの着信音のような音が鳴った。
北条が自分のスマホを取って、しばらくそれを操作するとも、首を傾けて周囲を見渡した時だった。
北条の隣の席に座っている人物が立ち上がった。
「あの、会長から会計業務について話があると連絡が来たので、しばらく席を外します」
「……ああ、そういえば辻川さん居たんだった」
急に隣の席から椅子を引く音が聞こえてきて驚いたのか、北条は暫し放心状態だったものの、ボソリとそう呟いた後、再びスマホを弄り始めた。
結局、コンビニに買い物へ行ったメンバーが戻ってくるまで、俺と北条の間にこれ以上会話が生まれることはなかった。
北条が言っていた通り、俺が姫野に向けていると思われる感情は、特別と言えるようなものなのかもしれない。
おおよそ、いち同級生に向けるものではない。
隣人に対して向ける感情でもない。
それは、好意などの可愛らしいものではない。
もっと残酷な何かだ。
隣の家の女神様 樟木 @kusunoki951
★で称える
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