店長をどうやって始末する?

仲瀬 充

店長をどうやって始末する?

アパートの2階への階段を上りきった時、僕の隣りの部屋から若い女性が出てくるのが見えた。

隣室は空き部屋だったので引っ越してきたのだろう。

彼女はあらっ!という感じで目を丸く見開いて「こんにちは」と頭を下げた。

返事の挨拶もとっさに出なかったほど可愛いが彼女はしかし僕の知らない女性だった。

となれば僕を見て目を輝かせたのは人とすれ違う時の彼女独特の表情なのだろう。

僕は初対面ですっかり魅了されてしまった。


彼女の部屋から昼間に歌声が聞こえてくることがある。

僕の住むアパートは1階も2階もそれぞれ4部屋だ。

各部屋のドアノブにはプラスチック製の札が吊るしてある。

札の片面には『在室』、その裏面には『外出中』と書かれている。

彼女が何者かは分からないが他の入居者は会社員で昼間はたいてい『外出中』だ。

僕は昼も夜も居るのだが「セールスお断り」のつもりで札は常に『外出中』にしている。

だから隣室の女性は安心して歌うのだろう。

素人ならもったいないくらいに上手でますます惹かれた。


12月のある日、隣室から話し声が漏れてきた。

「店長ったらバックヤードに入りびたりなの」

「そりゃ商品の補充やなんか、色々あるだろう」

「違うの。仕事のふりしてさぼってるんだから頭にきちゃう!」

「パパも昔は莉央りおみたいに仕事でよく腹を立てたもんだ。しかしな莉央、正義感は自分を殺す毒薬だぞ」

「どういうこと?」

「たいていの人間は偉くなれば楽しようとするんだ。楽して金儲けするために偉くなりたがると言ってもいい。莉央のコンビニの店長から政治家まで皆同じだ」

「それって絶対おかしい!」

「まあ聞け。人間には善人と悪人がいるというよりもみな弱いと思ったほうがいい。弱いからズルをしたり悪いことをしてしまうんだ。莉央みたいに正しいとか間違っているとかで判断すれば生きることがどんどん辛くなる」

「じゃあ正義感を捨てろって言うの?」

「うーん、正義を服用して薬にするには強い体を持たなきゃならんだろうな。ここまではOKだ」


OKの意味が分からず首をひねっていると珍しいことに僕の部屋のドアがノックされた。

起って行ってドアを開けた。

「札が外出中になってるけど居たのね。お久しぶり」

僕がこの間まで勤めていたファミレスの美津紀だった。

美津紀はアルバイトの女子大生で僕の好みのタイプの美人だ。

あっさりした気性で年が近いせいもあってプライベートはため口で話してくる。

ピザを買ってきたというので部屋に上げた。

「孝次さん、何してたの?」

「隣りの女の子の部屋の話し声を聞いてた」

「それ、ヤバくない?」

変質者を見るような目をされたので僕は慌てて言いわけをした。

「おんぼろアパートで壁が薄いから聞こえるんだよ」

「話し声ってことは、隣りはカップルか夫婦?」

「いや、リオちゃんは一人住まいで今日は父親が来てるみたいだ」

「名前まで知ってるの? で、どんな話だった?」

壁ごしに聞き知ったばかりの名前がさりげなく口から出たのには僕自身も驚いた。

既に彼女に恋をしているのかもしれない。


「彼女はコンビニでバイトしてるみたいでお父さんに愚痴をこぼしてた」

「なんだ、つまんない」

「だけどね、お父さんの話が深いんで感心して聞いてたんだ」

実際、もっと早くに聞きたかった。

専門学校を卒業した僕は一流大学出の兄貴と違う分野で張り合おうと思った。

平社員から店長、さらには統括店長、エリアマネージャー、ブロック長。

頑張りしだいで若年でも出世が望める大手チェーンのファミレスに就職した。

なのに1年も経たないで辞めてしまったのはリオちゃんと似たような理由からだった。

どんなに忙しい時でも店長は調理や接客を手伝おうとしなかった。

シフトも自分に都合がいいように組むなどやりたい放題。

仕事と称してスタッフルームにこもってパソコンでエロ動画を見ているのを知った時、辞表を叩きつけた。

こんなゲスな人間が世の中にいるのかと殺意さえ覚えた。

そんな店長も弱い人間として理解してやらねばならなかったのか、リオちゃんの父親に聞いてみたいものだ。


「ピザをもらって言うのもなんだけど、今日はどうしたの?」

美津紀が僕の部屋に来るのは初めてだ。

「孝次さんのお父さんの会社を見たら孝次さんのこと思い出して」

「宇都宮の?」

「うん。宇都宮駅のちょっと手前だって言ってたよね? このあいだ友達と日光に行く途中、電車から見えた。町工場って聞いてたけど割と立派な会社じゃない。どうしてお父さんの会社で働かないの?」

「会社は兄貴が社長見習いで頑張ってるよ。東工大を出た兄貴と違って僕は情報処理関係の専門学校出の落ちこぼれだからね」

「ファミレス辞めて何をしてるの?」

「ウェブライター。食べるので精いっぱいだけど好きなんだ」

「ふうん。でもまあ好きなことするのが一番かもね。じゃまた」

「じゃまた」と言って美津紀は帰ったが取って付けたような言葉の響きからしてもう来ることはないだろう。


ところがしばらく経った日の昼ごろに美津紀はやってきてしかも前回とはテンションが違った。

「おとといバイト帰りにここに寄ったのよ。イブにいなかったってことはデートとか?」

僕がクリスマスイブをどう過ごそうが余計なお世話だ。

「今日は何か?」

「ググってみてびっくりしちゃった。お父さんの会社、年商が凄いじゃない! ウイキペディアにも載ってるし会社の外見からは想像もつかなかったわ」

「電子機器の特殊な部品の製造だから大きな建物は必要ないんだ」

「孝次さんも絶対会社に入るべきよ。情報処理に詳しいならやれることあるはずでしょ?」

美津紀は食材を買い込んできていた。

「外食ばかりじゃ健康によくないわ。栄養の取れるもの作ってあげる」

そう言ってオムレツとミネストローネを作り、オーブントースターで食パンを焼いた。

出来上がった昼食を二人で食べていると隣室から話し声が漏れてきた。


「おっ、クリスマスケーキを二つも買ったのか。贅沢だな」

「5個のノルマが3個しかはけなくてこれ自腹で買い取らされた売れ残りよ。1個1500円」

「そりゃきついなということでケーキ2個分をパパが援助するということにしようか?」

「そしたら私はさらにみじめになるわね」

隣室の会話の流れがどうにも気になるので耳を澄ませていたかったが美津紀がそうさせてはくれなかった。

「ノルマがあれば大変ね。ところで孝次さんは何人兄弟?」

「兄貴と僕の二人だけ」

「じゃ、将来、親の遺産は二人で分けるのね」

「僕は放棄してもいいと思ってる。会社にかかわってるのは親父と兄貴だし兄貴には家庭もある」

「もったいないわ。遺留分とかいう権利もあるはずよ」

ムキになってそう言った後、美津紀は僕を見つめてきた。

「おとといはイブだから泊めてもらおうと思って来たのにいないんだもん。今日泊まろうかな」

美津紀のテンションの高さが薄気味悪い上に隣室の会話の続きも気になる。

「残念だけどまた今度。これから仕事のクライアントに会いに出かけなくちゃならないんだ。おとといもそうだったけど年末はけっこう忙しいんだよ」

おとといが仕事だったことだけは本当だ。

美津紀が帰った後、隣室も父親が帰ったのか、リオちゃんの低く暗い歌声が聞こえてきた。


年が明けるとまた美津紀がやってきた。

大きめのバッグを持参しているところを見ると泊まっていくつもりかもしれない。

夕食には少し早いのでインスタントコーヒーを飲みながら話をした。

すると美津紀は矢継ぎばやに立ち入ったことを聞いてくる。

僕の両親の年齢や健康状態、結婚している兄貴の家族関係など。

受け答えしているうちに鈍い僕にもようやく美津紀のねらいがつかめた。

と同時にとるべき作戦がすぐに頭に浮かんだ。


僕たちの会話が途切れるのと入れ替わりに隣室のドアをノックする音がした。

父親が来たようでしばらくして声も聞こえてきた。

「パパ、クリスマスケーキがすんだと思ったら今度は恵方巻よ。私、無理です!って断った」

「そもそも正社員じゃないのにノルマってのもおかしな話だが莉央も思い切ったな。店長は怒らなかったか?」

「怒られたほうがまだスッキリするわ。シフトに入る日数や時間をめちゃ減らされた。おまけに私が入る時はいつも店長とペア」

「自主的に辞めるようにしむけてるな、けしからん!」

いつも冷静だった父親が語気を強めたので美津紀も壁際の僕の側に来て聞き耳を立てた。

「こんなシフトじゃ生活できませんって、私、言ったの」

「うんうん、それで?」

「シフトを増やしてほしければ言うことを聞けって、バックヤードに連れ込まれて……」

「何だと?! 手ごめにされたのか!」

聞き耳を立てていた僕はショックを受けたがリオちゃんはクスクス笑っているようだ。

「何がおかしいんだ?」

「だって、手ごめだなんて時代劇みたい」


今日も二人のやりとりには違和感を覚える。

美津紀はそんなことにはお構いなしに言った。

「うちの店長も似たり寄ったりだわ。男の人ってどうしようもないわね」

リオちゃんの話題はそれきりで切り上げて美津紀は僕に色っぽい流し目を送ってきた。

僕はさっき思いついたばかりの作戦を決行することにした。

「実は困ったことが起きてね。親父の会社、倒産しそうなんだ」

「え?」

僕ににじり寄ろうとしていた美津紀の動きが止まった。

「下手したら僕にまで借金返済のとばっちりが来るかもしれない」

続けて会社の負債の状況をまことしやかに説明しだすと美津紀の心の動きは面白いほど正直に表情に出た。

僕への同情はかけらも浮かばず最後は能面のように無表情になった。

話し終わると今度は僕が美津紀にすり寄った。

「今夜は泊まっていけるんだろう?」

そう言って美津紀の手を握った途端、能面に表情が宿った。

「ごめん、私、彼氏がいるの」

すばやく立ち上がった美津紀は「バイバイ」と片手を振って出て行った。

見事なまでの変わり身の速さだ。

そう言えば美津紀は常に複数の彼氏をキープしているという噂があった。

金づるになる見込みがなくなった僕は用済みなのだ。


苦笑していると再び隣室で声がした。

「隣りの人、今出てったみたい」

「そうか。さてと莉央をいたぶった店長をどうやって始末する?」

「任せるわ」

「客か誰かが犯人のように仕向けるか自殺に見せかけるか」

思いがけない展開に僕は恐怖と興味にかられたが会話は途切れた。

息を殺して壁に耳をつけたが向こうも声を潜めたのか何も聞こえない。

諦めてベッドに横たわると眠りに落ちる寸前になって声が漏れてきた。

「こういう段取りでどうだ?」

少し間があってリオちゃんの声が聞こえた。

「さすがね、いいと思う」

翌日からリオちゃんの姿をアパートで見かけなくなった。

心配になった僕は新聞に載る殺人事件を注意して見るようにした。


1月中旬の寒い日、外出先から戻った僕は久しぶりにリオちゃんの姿を見た。

若い男性と一緒にアパート入口の集合ポストの一つ一つにチラシを入れている。

投函し終わるとアパートから出てきた。

腕を組んで歩いてくる二人を見て僕は告白もしていないのに失恋したような気分になった。

リオちゃんは僕に気づくと最初に出会った時と同じように目を見開いて軽く頭を下げた。

それを見た連れの青年は僕をアパートの住人と察したようですれ違う時に声をかけてきた。

「よかったら観に来てください」

そう言ってアパートの集合ポストを指さした。

僕は会釈して郵便受けに向かいチラシを手に取って部屋に入った。

チラシは舞台公演の案内だった。

聞いたこともない劇団でタイトルは『ミュージカル仕立てサスペンス:コンビニ店長殺人事件』


チラシのキャストの欄を見ると主人公の役名は「莉央りお

『金田一少年の事件簿』ではないが謎は全て解けた。

さっきの青年の声を思い起こした僕はこみあげてくる笑いをこらえながら窓の外を見た。

脚本・演出兼「パパ」が「莉央」と腕を組んでアパートの前の道路を渡っていた。

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