はやちね

多田いづみ

はやちね

 その日、授業が終わると、自分の使っている机と椅子を廊下に出してから帰るよう、わたしは生徒たちに指示した。

 そうして教室をからっぽにしておけば、夜のうちに業者がワックスをかけてくれる。朝にはもうワックスが乾いているから、登校してきた生徒が、机と椅子を教室に運び込めば、支障なく授業がはじめられるという寸法だ。


 翌朝クラスに向かうと、廊下に出ていた机と椅子の山はなくなって、教室はすっかり元通りになっていた。

 いや、違う。うしろに生徒がひとり、立ったままでいる。どうしたんだと訊ねると、自分の机がないという。机がなくなるはずないから、まちがってとなりの教室にでも運び込まれたのかと思ったのだが、すぐにそうではないと分かった。

 というのも、わたしのクラスの生徒数は三十六人で、机は横六行、縦六列に切りよくならぶ。そして今も六行六列できれいにならんでいるのが、数えなくともひと目で分かる。しかしうしろには、机のない生徒がひとり。

 つまり、ここには生徒が三十七人いるのだ。三十六人のはずが三十七人――。


「座敷わらしだ!」と生徒の誰かがいった。

 座敷わらし? 知ってる。子どもの妖怪だ。

 姿は見えないけれど、足音とか声とか気配がして、金運をはこんでくるとかなんとか。

 たまに子どもたちが遊んでいるところにまぎれこんで、いっしょに遊んだりもする。遊んでるうちにひとり多いことに気づくが、まわりを見ても顔なじみばかりで、知らない者はいない。それでも数をかぞえてみると、やっぱりひとり多い。


 いまの状況は、それとそっくりだった。こうして教壇から生徒を見渡しても「誰だこいつは?」と思うような者はいない。みな知っている顔ばかりだ。

 しかしじっさいには、生徒の数がひとり多い。このうちの誰かが、座敷わらしだか何だか、とにかく得体の知れない余り者なのだ。

 教師としては、部外者を学校に入れるわけにはいかないから、どうにかして正体を暴かなければならない。


 考えているうちに、わたしはふと、座敷わらしをあぶり出す妙案を思いついた。

 つまり、いつもなら出席の点呼などしないのだが、点呼してずっと手を挙げさせたままでいれば、最後まで手を挙げなかった者が座敷わらしということになるんじゃないかと。人の記憶は改ざんできても、出席簿までは改ざんできないだろうというのが、わたしの読みだった。


 わたしは出席簿に沿って、生徒の名前を呼び上げていった。生徒の手が次つぎに挙がっていき、出席簿の最後の名前を呼び上げると、わたしはすかさず教室を見回した。

 計画では、これで座敷わらしをあぶり出せるはずだったが、予想外に、生徒の手はすべて挙がっていた。

 これにはわたしも困惑した。座敷わらしの能力が想像をこえて出席簿にまで及んでいるか、あるいは単に、わたしの目が出席簿に向いているうちに、こっそりと手を挙げたのかもしれない。たぶん後者だろう。

 いずれにしても、そうとう頭のまわる手ごわいやつらしかった。


 しかし、もうすぐ朝のホームルームが終わる時間だし、生徒を立たせたまま授業を受けさせるわけにはいかない。次の案を練るのはひとまずやめ、わたしは例の机のない生徒といっしょに、倉庫まで机を取りにいった。


 生徒は何も悪いことをしていないのに、まるで罰でも受けているような悲痛な表情であとをついてくる。

 みちすがら、わたしは考えていた。座敷わらしを特定できないのなら、どうにかしてこのままやっていけないかと。

 この学校は給食が出ないし、配る資料はいつも何枚か余分に印刷して持っていくのだから、生徒がひとりぐらい増えても大丈夫な気がする。だいたい座敷わらしというのは福を呼ぶらしいし、むしろこのままいてくれたほうが学校のためにもいいんじゃないか、そんな気もしてきた。

 それにずっとここにいるとも限らないし、あしたにはいなくなっているかもしれない。

 

「なあ、生徒がひとり増えると困ることってあるかな?」

 教える側とは別視点の考えが知りたくて、わたしは生徒に訊いてみた。

「さあ、わかりません」

 と生徒はいった。


 生徒が分からないと言うくらいだから、たぶん問題はないのだろう。それにこんな突拍子もない出来事を、ことさらおおげさに騒ぎ立てるほうが、逆にまずいともいえる。

 職員会議で報告しても、まじめには取り合ってもらえないだろうし、へたをすると、頭が変なんじゃないかと思われる可能性だってある。

 そのうち他の先生が気づくかもしれないが、そのときは知りませんでしたで済ませればいい。じっさい誰が座敷わらしなのか分からないのだから、同じようなものだ。

 ひとまず静観しよう、わたしはそう決めた。となれば、クラスの生徒も口止めしておいたほうがいい。


「この話、他のクラスのやつとか親とかにあんまり言うなよ」

 とわたしは生徒に釘をさした。

「なんでですか」

 と生徒は訊ねた。

「なんでって、そりゃあ――」

 わたしはそこまで言って、しかしうまい言い訳を思いつかず、その先の言葉がどうしても出てこなかった。

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はやちね 多田いづみ @tadaidumi

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