第62話 手紙

 ついこの間生まれたばかりのような気がするのに、アレクシアは二歳、三歳とあっという間に成長していった。


 ヴィクトル様は頻繁に画家を招いては、私とアレクシアの肖像画を描かせていた。


 昼は元気いっぱいの娘を追いかけるのに疲弊しながらも、夜は夫婦で過去の肖像画を見返して、この頃も可愛かったが今も可愛いなどという親ばかな会話を楽しんだ。


 自我が芽生えてきたアレクシアはなかなか強情で、手ごわい。こちらの言うことは基本聞かないし、何でも自分でやりたがる。


 苦戦することも多かったし、母として未熟だと落ち込むこともあったけれど、生まれた時の絵を見ると初心に戻れるような気がした。


 あの時、少しのためらいもなく「この子がいい」と言ってくれたヴィクトル様には本当に感謝している。おかげで私も何の曇りもなく、娘を愛しいと思えた。


 今はもう、この子でなくては嫌だ。どんなにおてんばでも、手を焼かされても、この子がいいと心から思う。


「──アレクシア! どこにいるの?」


 四歳になったアレクシアはますます活発になり、行動範囲もみるみる広がっていった。片時もじっとしていなくて、少しでも目を離すと忽然と行方をくらませる。


 信じられないことだが、まだ幼児だというのにすでに足の速さで私はかなわなくなっていた。


 一所懸命追いかけているつもりなのに、あっという間に見失ってしまう。我ながらポンコツである。


「お嬢様! どこにおられるのですか!?」


 ブリギッタも私以上に必死でアレクシアを追い回してくれていた。


 アレクシアが生まれた時は希望に満ちていたブリギッタの顔は、最近は「こんなはずでは……」と絶望していることが多い。なんか……ごめんなさい……。


「アレクシア!」


 名前を呼びながら城内を探しても、メイドたちと手分けして見回っても見つからない。


 小一時間は探しただろうか。やがて見張り楼ベルクフリートの上に登っているのを見つけた時は、心臓が止まるかと思った。


「だめ! やめて!」


 見張り楼ベルクフリートはお城の中で最も高さのある建物だ。


 私なら足がすくんで登れないと思うほど高いのに、アレクシアは頂上に立って飛び跳ねた上、柵から大きく身を乗り出したものだから、思わず悲鳴をあげてしまった。


「お願いだから、じっとしていて!」


 ヴィクトル様がものすごい速さで頂上まで登り、アレクシアを抱えて降りてきてくれるまで、生きた心地がしなかった。


「アレクシア! よかった……!」


 ぎゅっと抱きしめた後、怖い顔を作ってこんこんとお説教をしても、お尻を叩いて叱っても、アレクシアは泣くこともなくきょとんとしていた。私では迫力に欠けるのだろう。うぅ、不甲斐ない。


 肝を冷やす瞬間は数えきれなかったけれど、それでもアレクシアの頑健さは私の喜びで、誇りだった。


(私は……心配をかけてばかりだったもの……)


 私は早産で生まれたと聞いている。幼い頃からひ弱で、とにかく体調を崩しやすかった。


 自分も母になったから思うが、我が子が産み月よりも早く生まれたら親はどれほど心配だろう。オステンブルクのお母様やお父様にはさぞかし心労をかけたに違いない。

 

 それなのに……また両親や家族を心配させてしまいそうな予兆がしのび寄ってきているのを感じて、私は痛む胸を押さえた。


「…………」


 肺の奥に黒いかげを感じたのは、少し前のことだった。


 はじめはまた季節の変わり目に風邪をひいたのかと思った。結婚してからずっと体調が良かったから、久しぶりでなつかしいとさえ感じたくらいだ。


 けれど熱がやっと下がっても、咳は長引いてなかなか治まらなかった。


 胸が痛んで、声がかすれる。息が苦しくて、呼吸がしにくい。止まらない咳にはやがて血が入り混じるようになった。


 ヴィクトル様はそれはそれは心配して、名医と言われるお医者様を何人も探してくれた。


 その結果わかったのは、私の胸には悪い腫瘍ができてしまったらしいということだった。


 ヴィクトル様は絶対に治すと言い張り、可能な限り手を尽くしてくれているが、私はむしろ思っていた。――「よくもってくれた」と。


 私は子供の頃、二十歳まで生きられないだろうと言われていたのだ。


 それなのに愛する人と結婚して、可愛い娘まで授かることができた。


 神様は私を寿命よりも長生きさせてくれた。ヴィクトル様は私を世界一幸せな妻に──母にしてくれた。


 これ以上、欲張ってはいけないとわかっている。ただ許されるならばもう少し──あともう少しだけ、我が子の成長を見ていたかった。


 小康状態を保つ日々の中、アレクシアは五歳を迎えた。


 最近は文字に興味が出てきたようで、私がペンを持って机に向かっていると、不思議そうにのぞきこんでくる。


「お母さま、なにをしているのですか?」

「エリーゼお姉様に……あなたの伯母様にお手紙を書いているのよ」


 結婚してから実家の家族とはなかなか会うことはできなくなってしまったけれど、ヴィクトル様の気遣いもあり、年に一度は王都に出向いて顔を合わせていた。


 エリーゼお姉様にはアレクシアと同い年の男の子がいる。第二王子リュディガー殿下だ。


 恐れ多いことだが、アレクシアはリュディガー殿下のいとことして、親しくお付き合いをさせてもらっていた。


 しかし私の病状が悪化して以来、実家への帰省もできなくなってしまった。かわりに頻繁に手紙をやり取りして、お互いの近況を報告しあっているのだ。


 エリーゼお姉様はお変わりなく過ごされているとのこと。リュディガー殿下もお健やかにお育ちのご様子で何よりだ。


 オステンブルクのお父様やお母様もお元気そうだし、弟のシュテファンもお年頃らしい。つい最近、王宮のパーティーで気になるご令嬢と出会ったとか。


「シュテファンおじさまがけっこんするのですか?」

「そうなるかもしれないわ。シュテファニー様とおっしゃるんですって。素敵なお名前ね」


 シュテファンとシュテファニー様、これ以上なくお似合いの名前だ。私に義妹ができるかもしれないと思うと、わくわくしてしまう。


「お母さま、わたしもおてがみをかいてみたいです」

「まぁ、素敵!」

「お父さまにあげたら、よろこんでくれる?」

「ええ。きっと喜んでくださるわ。一緒にお勉強しましょうね」


 娘に字を教えるのは楽しかった。まずは自分の名前から、一文字ずつ手取り足取り練習していく。


「お母さま、こう?」

「そうそう、上手よ」


 何度も失敗しながらも、何とか一通の手紙を書き上げた。お仕事で数日ほどお城を留守にする予定のヴィクトル様へ宛てて、激励と道中の無事を祈った内容だ。


 翌朝、旅支度を済ませたヴィクトル様を見送りがてら、アレクシアは胸を張って手紙を手渡していた。


「お父さま! お母さまにおそわって、おてがみをかきました」

「手紙……?」


 ヴィクトル様の大きな身体が感激に震えた。


「……アレクシアが字を……? 私に手紙を書いてくれたというのか……?!」


 手紙を読む前からもう決壊しかかっていたヴィクトル様の涙腺は、封を切って文面を読んだ後、怒涛のように崩れた。


「ありがとう、ルイーゼ! アレクシア! この手紙はずっと大切にするからな!」


 片手に私、片手にアレクシアを軽々と抱き上げて、ヴィクトル様はおいおいと泣いた。


──この手紙は一生捨てない、だとか、私が死んだら棺桶に入れてもらうんだ、だとか誓いながら、私たちを二人まとめて抱きしめる。


「やっぱり嫌だぁぁ行きたくないぃぃ! 二人と離れたくな──」

「行きますよ旦那様」


 がしっと力強くヴィクトル様の肩をつかんだのは、ニコラウスさん。


 最近騎士団に入隊したばかりの新人さんだが、代々続く騎士の家系らしく、将来有望な若手として期待されているのだとか。


「ルイーゼえぇぇ! アレクシアあぁぁ!」


 ヴィクトル様はアレクシアの書いた手紙を抱きしめたまま、ニコラウスさんにずるずると引きずられていく。

 

 ニコラウスさんったら頼もしいわ。いずれ騎士団長まで登りつめる逸材なのではないかしら。


 私たちはほのぼのしながら、いってらっしゃいと手を振ったのだった。






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読んでいただきありがとうございます!

アレクシアが初めて書いた手紙は、前作40話で登場したのと同じものです→https://kakuyomu.jp/works/16817330668647312702/episodes/16817330668770248229

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