マリンノーツ(第2話)「セント・エルモの灯(ともしび)」

早風 司

エピローグ

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 ポセイドンに戻り、今回の事件の報告書をティエール艦長に提出するため、副長といっしょに艦長室へ向かった。


 今回の“ならし運転”では、結果的に艦を大きな危険にさらすことになってしまった。フランス海軍パペエテ基地の副司令官の特別の計らいで、ある程度まで艦の外観状態を本来のものに近づけることはできたが、主機等の機関をはじめ、多くのシステムが損傷し、航海しながら修理を行わなくてはならない。いつ新しい任務がポセイドンに下されるか不安を抱えたまま、とにかくハードスケジュールで一日でも早く、艦の状態を整備しなければならない状況が続く。

せめてもの救いは、“ならし運転”でのクルーの数が通常の半分であったこともあり、軽い負傷者しか出なかったことである。艦のダメージからすると重傷者、死者が出てもおかしくないのだが、幸いにもクルーのダメージは最小限で済んだことは、運が良かったとしか言いようがない。


 また、今回の事件について、観戦武官としての私のUFF(国際連邦艦隊)への報告書の提出の是非、また、提出するとしたらどのような内容の報告に仕上げるか、自分の中でまだ決めかねていた。

 本来ならば、事実を事実として悪まで客観的に報告することが観戦武官としての任務であるから、未だに謎の潜水艦との交戦模様、そして相手艦の撃沈、ポセイドンの修理のための、最寄りの基地への緊急的寄港要請を行わなくてはならない。しかし、私は今回の“ならし運転”については、別の選択肢もあることをずっと考えていた。

 報告書さえ出さなければ、たぶん表沙汰になることはないだろう。ポセイドンのクルーから情報が漏れることは考えられなかった。あるとすれば、タヒチ市の関係者、撃沈した潜水艦の所属国が、メディアに話してしまうことだった。しかし、可能性としては、それもないだろうと思われる。タヒチ市は観光で成り立っており、「南海の楽園」のイメージを損なうことは決してしゃべらないであろう。また、撃沈された潜水艦の所属国にしても、陰でマグロの密猟に手を貸して国際条約違反をしていたこと、それを秘匿するためにUFFの潜水艦に対して先制攻撃を加えたことを自ら明らかにしないだろう。


 そんなことを考えていると、本来の私の任務を忘れがちになってしまう。単純に考えれば、ありのままの事実を報告書にして、提出すればそれ済むことで、こんなに悩む必要はないのである。私は観戦武官である。他のクルーとも、艦長とも全く立場は異なるのだ。クルーは艦長の命令に従い、艦長はUFF本部からの指示と艦隊規程に基づいて行動することが任務であるように、事実を曲げずに客観的に報告することが私の任務なのだ。

 

 何を悩むことがあろうか?と自分に言い聞かせても、これからの課題である、艦の修理要請のために、報告書の必要性はどれだけあるだろうか、と私の心のささやきが首をもたげてくる。報告書に求められることはもっと他にあるのではないかと自らに問いかける私がいる。

 そうこう考えているうちに、艦長室に着いてしまった。

 副長が、艦長室のドアの右横に付いているセキュリティホーンのスイッチを押して、私と共に報告書の提出に来たことを告げると、ドアが開き、我々二人は室内に入った。室内は狭く、すぐ目の前に艦長が立っており、ちょうどタヒチ博物館のポワレ館長からのプレゼントを開封したところであった。それにポワレ館長からのメッセージが添えられており、その便箋を読んでいた。


「艦長、今回の報告書ができましたのでお持ちしました。ご一読ください」と、副長は報告書を艦長に差し出した。


「うむ、ご苦労。机の上に置いてくれ。」とひとこと言っただけで、艦長の視線は、両手で持っているプレゼントに注がれている。額縁であることがわかった。


「それはポワレ館長からのプレゼントのようですが、絵ですか?」と副長は尋ねた。艦長は左手を額縁から離して便箋に持ち替え、我々に絵を見せてくれた。副長はそれを両手で受取り、副長の後ろにいた私にも絵が見えるようにしてくれたが、この時までは報告書についての葛藤を引きずったまま、心ここにあらずの状態であった。


「これは、ゴーギャンですね。タヒチで人生の後半を過ごした十九世紀の有名な画家ですね。題名は確か・・・・・」と副長は何とか題名を思い出そうとしていた。艦長はフランス語で言った。


「D’ou(―) Venous¬¬‐Nous? Que Sommes‐Nous? Ou(―) Allons‐Nous? 」


「ああ、そうでした。『われわれは何処からきたのか? われわれは何者なのか? われわれは何処へ行くのか?』ですね」


「ほう、副長も良く知っているな。島中佐は絵画への造詣が深いことは知っていたが、君までもか。いや、いい意味で意外だった。私も少しこの辺の勉強をしなくてはいかんな」

にこやかに艦長は話し、左手に持っていたポワレ館長からの便箋を読み上げた。


「ポワレさんからのメッセージだ。・・・『この度の勇気ある行動に感謝いたします。その代償として、不幸にも大きな重荷を背負うことになって、この先の艦長のご苦労に対し、深い憂慮の念を抱いております。タヒチでの出来事は我々の記憶だけに止めることをお約束いたします。ところで、お手元にあるのは、ゴーギャンがタヒチ在住時に描いた絵のミニサイズのレプリカです。本物は米国のボストン美術館に展示されていますので、皆さんにお見せできないことが残念です。実現には多くの障害がありますが、タヒチ美術館でご披露できるようこれからも努力していきます。セント・エルモの灯があれば、我々の悲願を実現へと導いてくれるでしょう。我々のことを記憶して頂きたい一念でお贈りいたします。ご笑納ください。南洋よりポセイドンの航海の無事とティエール艦長のご活躍を祈念しております。セント・エルモの灯が共にあらんことを。―プーヴァナア・オ・ポワレより―』」


「セント・エルモの灯か・・・。今回は助けられたな、セント・エルモの灯に。・・どんなにテクノロジーが進歩しようと、地球で生きている以上、自然現象とは共存していかなくてはならないことを、私はあらためて教えられた。そうは思わんかね。・・その意義の重さに比べれば、この先の苦労など軽いものだ」

 艦長は、私の顔を見ながら言った。


「そうですね」と副長も強い意志の表情で軽くうなづき、絵を艦長に返した。


 艦長は絵を両手で持ち、もう一度見ながら言った。


「この絵を私の部屋に飾っておくのはもったいないな。私も含めてクルーが見ることができる場所に飾ろう。場所の選定は、絵画に造詣の深い島中佐に任せる。・・気楽に選んでくれ給え。副長もそれでいいだろう?」と艦長は微笑んで私の顔を見た。副長も珍しく同じように微笑んでくれた。


 私は、艦長の目を見て「わかりました」と言って、絵を受け取った。


 この時の艦長の言葉に、胸につかえていたものがスッとなくなった感じがした。艦長と副長は、私の悩みに気付いていたのかもしれない。思えば、報告書をどうしようかと悩んでいたことが、いかに小さなことだったことか。私は大いなるものの一部に過ぎない。その小さき者が、より大きなものをつかもうと手を広げてみたところで無理があり、周囲との調和を保つことはできないだろう。自分の力の範囲で精一杯、任務を遂行するだけだ。その経験を積み重ねていって、より大きな自然界の一部となれるよう心に誓った。心の悩みが軽くなった分、この小さなゴーギャンの絵が重くなったような気がした。




水平線の彼方から助けを求める声が聞こえる。


彼らには、ルールも野心もお金も要らない。 要るのは我々の勇気だけ。


あなたは、暗黒の夜に船を漕ぎ出そうとする。 孤独だが、心の声を味方にして。


他の人々は、夜明けまでここで待とうとする。 朝の来ない夜は無いと言って。


私は、暗闇の中にも灯を見つけたい。


  しかし、どうしたらいいのかその方法がわからない。


誰もが灯を見つけるまで終りが来ないことを知っている。


 しかし、どうしたらいいのかその答えを誰も知らない。


答えを見つけるため人は古より航海に出るのか。


ポセイドンは進んでいく。


私の意思とは無関係に


静かに、穏やかに、そして遠くまで。


我等が答えを見つけ出す その日まで。

                 

「セント・エルモの灯」完

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マリンノーツ(第2話)「セント・エルモの灯(ともしび)」 早風 司 @seabeewind

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