「エラトステネスのふるい」という言葉自体は聞いたことがあるが、実物を見たのは初めてだった。存外普通の篩、というかザルに見える。サイズもコンパクトで軽い。100均で売ってそうな見た目だが、と隣の友人に問うたところ、3coinsでなら買えるよとのことだった。

 その篩に遺灰を振り掛けていく。先日火葬した、本の遺灰である。

 大好きな本を火葬する気などさらさらなかった。なかったのだが、そうせざるを得なかった。本の著者が逮捕されたのである。しかも悪質な犯罪に関与していたとの疑いで逮捕され、本人は取り調べ段階で罪を認めたらしく、「被告人」が「受刑者」になるのも時間の問題だった。こうなると電子書籍は弱い。本棚の書籍は配信会社に取り上げられ、配信は停止され、存在していたこと自体が嘘だったかのように綺麗さっぱり無くなってしまう。

 そうなるくらいなら、せめて私の手で弔ってやった方が良いんじゃないか。そう思って電子データを火にくべた。データは微かに唸ってノイズを吐き出した後、ほろほろと崩れ去った。後に残ったのは遺灰のみ。紙の本ならば灰を染物の媒染液に転用することも出来ると聞くが、電子書籍の遺灰は無機質な数字の集合体だった。これでは何も染まるまい。

 かと言って結構な量の灰を後生大事に抱えておくのも妙な話であり、私の下宿先も決して広いわけではないため困っていたところ、数学科の友人が声を掛けてくれたのだった。

 篩にさらさらと遺灰を流し込むとほぼ全てがそのまま篩の上に残る。そのまま篩を優しく振り、優しく振り、振り、ずうっと振っていると、いくつかの小さい粒が下のバケツに落ちた。正確に言うと、落ちた音がした。篩をどかして覗き込んでみると、みな一様に金に輝いている。砂金のようでもあった。

「それが素数」

「なるほど」

 ためすがめつ眺めてみるが、綺麗だなぁという月並みの感想しか出てこなかった。数学科の学生は、こういうものを日中夜観察しては新たな真理を探究しているという。違う世界の住人だと思った。

 残りの作業は友人にやってもらった。私と同じ篩を振るっているはずなのに、彼の所作は洗練されていて、一種のアートパフォーマンスのようだった。集まった素数は小さな瓶に詰めてもらった。可愛らしい瓶だった。もとは金平糖が入っていたらしい。

 夕方になったので2人で食堂へと赴いて軽食をとった。食事をしながら、残るものについての話をした。人間はいつかは死んで消滅する。だからこそ文を記して後世に記録を残そうとするわけだが、文もまた死ぬ。せっかく文医学の力で疾病を取り除いたとて、いつかは焼け、発禁され、単に忘れ去られ、消滅してしまう。ならば何が残る? 結局誰も何もいつかは無くなって、春は昔の春ならず、世はうつろい、結果論的に見れば全てが無価値なのでは?

「そんなことはないんじゃないの」

 友人は無表情に大学芋をつっつきながら淡々と言った。

「ばらばらになって元が何か分からないほど分解されて不可逆的な遷移をしてしまっても、直ちに全部が0になるわけじゃないじゃん。何かは残るはずで、残ったものが原型には無かった新しい意義を帯びることだってある」

 それだってそうでしょ、と彼は小瓶を指差し、私は無言で首肯した。

 結局後から思い返すとこの時の私はセンチメンタルな気分をこじらせて厭世的になっていただけなのだが、友人はひどく心配してくれたようで、後日家にまぁまぁ大きな包みが届いた。中に入っていたのはエラトステネスの篩よりも大きいのに軽い篩で、「線形篩せんけいふるい」と呼ぶらしい。数学科でもないのにと苦笑を浮かべた記憶があるが、存外料理に使いやすく、今でも菓子を作る際などに重宝している。毎回粉をふるう度に線形篩からは謎の数字列が吐き出され、これも「新たな意義」か? と私はいつも小首を傾げている。

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文医学部についての雑記 柑橘 @sudachi_1106

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