おねショタ論考

ZAP

本編

おねショタとは何か。


■結論

 おねショタ。それは少年の夢である。


■なぜ少年の夢なのか?

 少年の初恋はたいていの場合、年上のお姉さんに向けられる。同年代であっても少女は大人びている。少年の抱く幻想の理想像がおねショタであると言える。重要なキーワードとして包容力、全肯定力がある。


 全肯定を求める。それはなぜか。

 おそらくは実際には否定されるからだ。

 少年はお姉さんに否定される存在なのだ。


 なぜ年上のお姉さんは少年を否定するのか。それは自然の摂理だ。バカで未成熟な子供は見下さざるをえない。そして少年もそのことを知っている。だから大人に見られたいと少年は背伸びをするのだ。かわいいね。


 だから少年は夢を見る。

 少年の自分を全肯定してくれるHな年上のお姉さんの夢を見る。


 おねショタのショタは、未熟な少年でなければだめである。おじさんやお兄さんでは駄目なのだ。なぜなら頼りがいある大人をお姉さんが肯定するのは当然のことで、そこに少年の夢はない。

 大人になったら付き合ってくれる、ではだめなのだ。

 子供で未成熟なまま自分を認めてほしいのだ。


 これこそ少年の夢であり、おねショタの本質である。


 上記を鑑みると力関係の逆転(ショタおね)はおねショタにおいて有り得ず、完全に別ジャンルである。


■おねショタとバブみの相違点

 おねショタは少年の夢だが、バブみはおじさんの夢である。


 おねショタは年齢に厳しい。年上のお姉さんは限定的だ。それに対し前者は年齢を問わない。ロリっ子に姉に妹にロボ子、甘えさせてくれさえすればなんでもありで、むしろ母ではない対象に感じることすらある。


 本質的な違いは、おねショタは理想そのものであるのに対して、バブみは母性に対するギャップの表現であろう。実母に対し「バブみ」とは通常言わない。実母ではないにも関わらず母性を感じるものが「バブみ」と表現される。


 おじさんになると母性を感じられる相手はいなくなる。しかし体は母性を求める。その願望を満たすのがロリママでありバブみを持った相手なのである。バブみは成長したからこその欲望、おねショタは未成長の欲望と言える。


■おねショタの類型

 おそらく最も一般的なおねショタの類型は、白ワンピースのお姉さんと元気な少年が夏休みにHする体験であろう。「たからさがしのなつやすみ」にて類型がそのまま映像化されている。


 お姉さん側のバリエーションは幅広い。一見して少年に優しいか冷たいか(本当は優しいのは決まっている)、明るいか影があるか、身近な相手か非現実的か。これらも単なる例であり、キャラは非常に多種多様である。少年を肯定し恋の対象とする存在でさえあれば、どのようなキャラクターでも良い。


 少年側はバリエーションが少なくなる。元気なガキ大将タイプか、大人しい少年タイプかのおおむね二択である。男として未成熟であるがゆえに、成熟したパーソナリティを表現できないのだろう。


■おねショタは恋愛抜きで成り立つか?

 アイシールド21を例に取る。主人公セナとまもりお姉ちゃんの関係は、おねショタとして見られるだろうか。物語当初、まもりは未成熟な少年のセナを肯定してはいるが、恋愛相手とは徹底して見ていない。


 おねショタとは言えない、と思われる。


 自分が未成熟であるにも関わらず大人としてみてくれる(恋愛対象としてくれる)矛盾が重要なのであって、恋愛やHであるかどうかはともかく通常大人にするべきことをしてくれる、というのが必要なのだ。

 おねえさんが少年を大人扱いしてくれる。

 その夢の、もっともわかりやすい形が恋愛でありHなのだろう。

 

■さいごに

 少年はお姉さんに恋をする。しかしその恋は絶対に叶わない。

 ゆえにおねショタは少年の叶わぬ夢である。

 人は叶わぬ夢を求める。

 だから、おねショタがこれほど人気になるのだろう。

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