くりかえ死

よし ひろし

くりかえ死

 やけに綺麗に銀色に輝くサバイバルナイフの刃先が鳩尾に吸い込まれる。

 一拍遅れて痛みが襲ってくる。


「ぐあぁっ!」

 脳天に突き刺さる痛みを少しでも和らげようと叫ぶが、意味がない。


 ぐっとねじり込むように体内に押し込まれるサバイバルナイフ。

 さらなる激痛。

 耐え切れない痛みに、脳が痺れ、意識が遠のいていく。


(死ぬのか、俺は、また――)

 口に広がる血の味を感じながら、世界が闇に閉ざされた……




「ハッ!?」

 反射的に自分の腹を見る。


 ナイフも傷口もない。


「夢……」

 それにしては、やけにリアルな感覚が残っている。

 頭を軽く振り、周囲を確認する。


 自宅のリビング。ソファに座り、テーブルにはまだ口をつけてなさそうなコーヒーカップ。

 時計を確認。


 午前十時過ぎ――


 就寝中であったわけではなさそうだ。では、居眠りをして夢を見たというのか、あんなリアルな感覚の夢を……


(会社は――、今日は、日曜日か……)


 記憶が蘇ってくる。

 休日、遅めの起床後、目覚めのコーヒーを飲もうとしていたところだ。


(コーヒー――これを淹れたのは、誰だ…? 俺は淹れた記憶が――)


「ご主人様、お様がお出でですが、いかがいたしますか?」


 突然声を掛けられ、ビクッとする。

 声の主を見る。


 ――


(えっと、名前は……、思い出せない……)

 顔をしっかりと確認しようとしたが、何故かぼやけたように見え、視認できない。

 どういうことだ、目がおかしいのか?

 手で目をこする。


「どういたしますか?」

 少しせかすような家政婦の声。


 ダメだ、やはり顔がよく見えない。

 仕方ない、そのまま対応する。


「あ、ああ、誰、来たのは?」

 

阿久あくさんです。お約束されているそうですが?」


「阿久……」

 聞き覚えのない名前。


(約束……したか。そうだ、誰か訪ねてくる予定になっていたような――)


「わかった、通してくれ」


「かしこまりました」


 家政婦が踵を返し玄関へと向かう。

 その背中を見た時、何か嫌な予感が浮かび上がってきた。


(ダメだ、彼女を行かせるな。客を、男を部屋に通してはダメだ!)


 頭の中で自分自身が叫ぶ。


「なんだ、何が――」

 何か思い出せそう……


 記憶が蘇る。

 これと同じことを俺は経験している。


 何度も、何度も――


 そうだ、ダメだ、客を招き入れてはダメだ!

 そうしないと、俺は――


 死ぬ、殺される!!


「待て、おい、お前――」


 玄関に向かう家政婦を止めようとして、ハッとなる。


 家政婦…、まて、いまうちに家政婦なんていたか――?


「いや、いた、前は確かに…。だが、今は……、彼女がいなくなって――そう、付き合っていた彼女…。あの後姿は、そうだ、彼女だ、同棲していた――冴子さえこ!」


「あら、今回は想い出すのが早かったわね、孝介こうすけ

 家政婦が足を止め、こちらを振り返る。その顔が徐々にはっきりとなる。


 この間までここで同棲していた元カノ……

 だが、彼女は――


「お前は、死んだはず……」


「そうよ、あなたに騙され、すべてを失って、自殺したわ」

 俺を睨む双眸が妖しく輝く。


「幽霊――、化けて出たのか!」


「そうよ、当たり前じゃない、恨まれる覚え、あるでしょ」

 生きている時と同様の高飛車な態度。


 金持ちのお嬢様で、この家も元々は彼女の物。彼女と一緒に住んでいた時は、家政婦もいた。金銭的には彼女におんぶにだっこだった。そんなだからか、彼女はいつもどこか俺を下に見ていた。

 初めはそれでもいいと思っていた。頑張って、自分の地位をあげていけば、彼女の態度も変わるものだと……。だが、そうはならなかった。

 だから俺は、その親の財産も含めてすべて騙し取ってやった。今やこの家も完全に俺のものだ。

 俺に騙されたと知った時の冴子の顔――決して忘れない、最高に胸のすく瞬間だった。


「お前が勝手に死んだんだ。さっさと成仏しろ!」


「いやよ、あなたには味わってもらうわ、私の苦しみの何倍もの恐怖を――」

 そう言って冴子が手を前にかざす。すると空中からが現れ、それを両手で抱える彼女。


「今度はこれで殺してあげる。手足を一本ずつ切り落としていきましょうか、ふふふ…」

 悪魔のような微笑みを浮かべながら、冴子がエンジンを始動させる。


 轟音と共に刃が回転を始める。


「まて、落ち着け、話し合おう。悪かった、俺が悪かった、ちゃんと供養するから――」

 ソファーの背もたれに限界まで寄りかかり、両手を前に出して懇願する。

「それは、もう何度も聞いたわね」

 冷たい視線が返ってくる。

「えっ?」

 そこで、頭の隅に引っかかっていたものがクローズアップされる。


 今度は――

 何度も――


(そうだ、俺は覚えている、こんなシーンを……。この前はサバイバルナイフで、玄関に客を迎えに出たところで――。その前にも、確か……)

 脳内にイメージが湧き上がる。いくつもの場面。過去の映像…?

「夢じゃない、現実なのか、すべて、何度も、何度も――」


 殺される。どの場面でも、最後は俺の死――!?


「思い出したかしら、今までの事。今回で何度目かしらね、七回? 八回? 九回目かしら、ふふふ…」

 獲物を狙う肉食獣のように、舌で唇を嘗め回して、凶悪な笑みを浮かべる冴子。


「あ……、バカな、何故…、どうやって……」

 チェーンソーの爆音のなかで、消え入りそうなこの呟きを、冴子は耳ざとく聞きつけ、

「教えてあげる、哀れなあなたに」

 俺が一番嫌いだった、勝ち誇ったような言い様。


「私に残った唯一の財産、この命、魂をかけて願ったのよ、孝介、あなたに復讐することを」

「魂……?」

「そうしたらね、彼が現れたの――ああ、紹介してなかったわね、お客様、阿久さん」

 冴子の言葉と共に彼女の横に黒い人影が現れる。夏だというのに黒のロングコートに身を包んだ、長い黒髪の男。これも黒の中折ハットを右手で取りながら、挨拶をする。


「こんにちは、春日孝介かすが こうすけさん。初めまして、ではないですよね。何度かお会いしているはずですが、覚えていますか?」

 この世の物とは思えないほどの整った顔立ち。一度見れば忘れないはずだが――


「あ、あああぁ……」


 帽子を脱いだ頭に生えた捻じれた短い角を見つけ、愕然とする。


 人、ではない――悪魔!


「あら、気づいた? 私の願いをかなえてくれた親切な阿久さん、ではなくて、悪魔さん。こうしてきちんと紹介するのは初めてね。何回か姿は見ているはずだけど」

 黒い人影――そう、確かに会っている。玄関で、廊下で、リビングで――冴子に殺される時、常に傍らに立っていた。顔は記憶にないが、存在は覚えている。


「そんな、バカな…、悪魔なんて……」


「この悪魔さんね、女性の切なる願いが大好きなんですって。だからこうして力を貸してくれたの。――おしゃべりはこの辺にして、始めましょうか、今回のメインイベントを」

 チェーンソーの回転数が上がる。

 冴子の目が爛々と輝き、こちらへと近づいてくる。


「まて、まて、待てっ!!」

 叫ぶ声が、エンジン音にかき消される。


 ぐががががが――


 左肩の肉が抉られ、骨が削られる。


「――――!!!!!」


 音にならない絶叫をあげる。

 そんな俺の耳に届く冴子の声――


「次はどんな死に方がいい? 特別にリクエスト、聞いてあげる。ねえ、孝介?」

 悪魔――彼女こそ悪魔そのもの…


「嫌だ、もう次は嫌だ。終わりにしてくれ!」

 そう叫びたかったがもう声は出ない。


 ふふふ、ふふふふふふっ――


 冴子あくまの笑い声を聞きながら、意識が遠のいていく、ダメだ、また次が始まってしまう――

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くりかえ死 よし ひろし @dai_dai_kichi

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