私から、すべてを奪いさろうとして
夜は更け、蛍を鑑賞しながら、ほろ酔い加減になった妃たちは、しどけなく乱れていく。
夜の世界、安易な女たち……、笑い、媚びを売り、やっかみ、帝の寵愛を奪おうと狙う妃たちの攻防、寵愛を奪われまいと高慢にふるまうもの、無視されて
あたかも、ここだけが世界の中心であるかのように、狭い世界で女たちは妍を競いあう。
ここにいる若い妃たちにとって、帝の隣にいることが許されるのは誰であるか。それが重要であって。
「
ふいに、この馴染みのある世界が淑華は幻想に思え、なにもかも夢うつつのように彼女を孤立させた。
この共犯者のような関係すべては酒の言い訳にちょうど良いと、淑華は自分に弁解するように目の前の盃をいっきに飲み干した。
「これは……、後宮の現状がよく理解できます。ところで、あなたはこのような末席で他人事のように、あれを眺めるだけでいいのですか?」
「あれ、とは、なんのことでしょうか」
「それを聞かれるとは面白い。帝争奪戦に加わらないのですね」と、彼は笑った。
「わたくしに、帝の近くで酌をしてこいと」
「いえ、行かないでください」
「急に行きたくなってきました」
「まったく、本当に、酷い人だ」
蛍の演出が終えたあと、行燈に再び火が入った。
ひときわ灯火が多く明るい正面席に
帝は表の政務で名君の誉れも高く、誠実に仕事をこなし、労苦を惜しまない男だ。しかし、後宮での彼はその憂さを晴らすかのように気まぐれだった。
大陸を統一したばかりの頃は、帝の地位が盤石とは言えなかった。
しかし、帝が朝廷の権力を確固たるものにすると、逆に後宮の妃たちの地位は不安定になった。
妃の後ろ盾になる者に帝が忖度する必要がなくなったからだ。
尚書の末娘である
入内すると、すぐに
彼女は二重の大きく潤んだ目が特徴の派手な美人で、紅花に比べれば、静麗は地味に見える。
紅花は丞相の孫娘であり、静麗は尚書の末娘、後ろ盾の身分でも負けていた。
そんな
この宴で再び帝の寵愛を取り戻そうと、彼女は薄物の儒君で身を包み、こぼれそうな豊満な乳房を見せびらかすように、帝の前でしなを作っている。
「帝……」と、斜め横から甘えた声で酒を注ぐ。
乳首が見えそうなほどはだけた衣装で帝の視線を釘付けにする、しどけない姿。
それが、どこか痛々しく感じて淑華は目をそらした。その先に紅花がいた。
紅花はわがままを言うことなく、帝にすがる
そのまま席を立つと、ゆったりとした足取りで宴の中央を横切り末席まで歩いていく。彼女の真紅の衣装が、ひらひらとあざやかな色彩を放ち、歩くたびに香の匂いを撒き散らす。
いつのまにか素足になっており、細い足首には鈴をつけていた。それがシャンシャンとすずやかな音を立てる。
気の強い紅花が、
帝にしなだれかかっていた静麗は、強敵が去って、さらに身体をゆらして誘惑していた。
紅花は芝居がかった態度で下座まで来ると、ひらりと帝を振り返る。その堂々とした身のこなしに、誰もが視線を奪われた。
万寧宮は三方向の戸板を外して、外部に開かれている。
帝のすわる上席だけは背後が壁になっており、外へは開かれていない。下座の回廊から階段を降りた場所には、楽団が敷物の上で音曲を奏でていた。
「止めて」と、紅花が楽団に合図した。
音楽が止んだ。静かになった庭園で焚き火のパチパチという音が耳に心地よい。
焚き火を背景に、
それが合図なのだろうか、艶っぽい笛の音色が聞こえた。
音色に合わせ、
シャンシャンと足の動きに合わせて、鈴が鳴る。
赤い表地に隠した色とりどりの儒君の下衣が、ふわりと翻った。
すくっと立つ姿勢は女の淑華から見ても、はっとするほど魅力に溢れて麗しい。
笛の音に、琴の旋律が加わる。ボーンボーンという低音が官能的に刻まれる。琵琶が重なる。
紅花は顔を隠した扇を、そっと斜めに傾け、誘惑するように顔半分を見せた。焦らすように、誘うように。真紅の唇に不敵な笑みを浮かべ。
琴が主旋律をたどり、笛が寄り添う。
紅花は全身で音を奏でていく。身体がふわりと宙を舞い、四肢を曲げ、しなやかに身体をそらせる。
まるで宙に浮いたかのような、
舞い、舞い、舞い、骨がないような柔軟な身体は、誘うように、扇情的に、官能的に、舞い踊る。
帝との夜の床で、彼女がどんな姿態を晒すのか想像できて、淑華は思わず顔が赤らむのを感じた。
「これは」と、
「なかなか、見ものですね」
彼は、まるで興味なさそうな様子で褒め、淑華は吹き出しそうになって顔を伏せた。
「笑っているのですね。こんな場所で、あなたは静かに笑うだけですか?」
「わたくしも踊るべきでしょうか」
「いいえ、あのような舞は似合わない。ただ、あなたが寂しそうに見えましたから」
「年上の女を、そんなふうに
「あなたは……、あなたが帝に嫉妬しているようには見えません。そんな姿は見たくもないですが」
「どうしてそんなことをおっしゃるのでしょう。わたくしのことを知りもせずに」
「それは、僕が嫉妬するからです」
音楽が最高潮に達し、紅花は舞いながら帝に近づく。帝は手にもった杯を口もとで止め、彼女に魅入っていた。
すっと
帝が乱暴に彼女の口に酒を流し込んだ。
ツゥーっと、唇からこぼれた酒の雫。それを、帝が手でぬぐい取る。
紅花の赤い唇が笑みをうかべた。
となりにいた
あからさまな挑発に平静を装いながら、心穏やかではない妃も多いにちがいない。
息詰まるような空気のなかで、紅花がその場を完璧に支配した。扇を下げ、赤い唇を隠して目だけで男を誘う。
威龍が大胆に耳もとでささやいた。
「帝に僕は嫉妬しています」
華やかな妃たちの舞いや音楽、彼は、こうした雰囲気に酔って若者らしく大胆になったのだろうか。
「飲み過ぎたのね」
「いいえ、酔っているわけではありません。失礼なことを申し上げたのなら、謝ります」
威龍は捨てられた子犬のような目をして彼女を見つめた。
これは……。
悪くないわと思う。
淑華の心に残酷な感情が滲んだ。それが帝に対するものか、威龍なのか、あるいは自分自身に対するものかわからず、闇に隠れて彼を見つめ返した。
笛の音が、ひときわ高音を奏でる。
紅花の舞いがクライマックスを迎えようとしていた。彼女は、くるくると回転すると、そのまま南側の回廊までさがった。
音楽が止む。
紅花は池を背に膝を折る。そして、優雅に
一瞬の間があってから。
「よい舞であった」と、帝が褒めた。
彼は几帳に寄りかかった姿で、ほろ酔い加減のようだ。乱れた襟もとから引き締まった胸が見え、ぞくっとするほど大人の自堕落な色気が溢れだしている。
「恐れ入ります」
紅花は、ちらりと淑華と
「褒美を取らそう。何が欲しい」
「ご褒美ですか?」
「ああ、欲しいものを与えてやろう」
「本当に?」と、彼女は官能的に視線を流して、ほほ笑んだ。
彼女は閉じた扇を、再びゆらりとあげた。その扇の先は、妃たちの顔を順番に示しながら移動して止まった。
それは、まっすぐに
「では、
(つづく)
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いつもお読みくださって、本当にありがとうございます。明日は午後12時頃に続きを公開いたします。
お星さま、応援コメント、レビュー。本当に嬉しいです。
書く励みとなっております。ありがとうございます。
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