疲れ果てて燃え尽きることを願い




 数台の投石機から、ひっきりなしに飛んでくる火球。地上では破城槌はじょうついが正門を破壊しようと、決死の覚悟でぶちあててくる。


 破城槌はじょうついを引きずる屈強な男たちは、たとえ矢で射られて倒れても、次から次へと新しい兵が支える。

 城門にあたる音が地鳴りとなり、ドーン、ドーンという重低音が領内のどこにいても響いた。


 投石機からの攻撃が終わるや、寸刻を待たず城壁には長ハシゴがかかる。兵たちがアリの大軍ように列をなして登ってくる。

 城壁の上から火矢を放ち、油を浴びせて火だるまにしようとも、次から次へと兵士たちは恐れることもない。


 敗戦で追い込まれた軍にしては士気が高い。逃げ場がない彼らも命が惜しいのだろう。

 魯国軍にとって、この城を陥落できなければ先がない。怪物の名を欲しいままにする朱棣林シュ・ディリンの恐怖は全土に広がっていた。


 互いに背水の陣を引く戦いは凄惨なものになった。


「門を破られるな! 守れ! 守るんだ」


 淑華の耳に届く必死の激励。

 あれは父の声だ。兵を鼓舞してまわっているのだろう、日頃は温厚な父が声を枯らし、血へどを吐きそうなほど叫んでいる。


 城壁内の領民は四方八方へと逃げ惑う。それを止める者もいない。

 城壁から流れた火球や火矢は、民家を燃やしているからだ。


「姫さま、こちらへ! 危険です」


 汗みどろになった家令が叫んでいる。

 淑華シューホアは恐怖から、逆に神経が麻痺した。なにも考えられない。呆然と、喧騒のなかで立ちつくすしかなく……、心がシンと冷えた。


「姫さま、聞こえていますか!」


 両肩を強くつかまれ、はっとして我に返った。


「陳さん。行って! 父を助けて。今は、わたくしにかまっている場合じゃない」

「領主さまの命です。ご家族の安全を守れと」

「でも、門を破られたら、それも無駄なことよ。兄さまたちはどこにいるの」

「お父上と一緒に城門にいらっしゃるか、あるいは、城壁の上かと」


 陳の目には絶望が宿っている。淑華シューホアの目も同じもの宿しているにちがいない。


「では、わたくしは母のところに行きます。お前は戦いに行きなさい!」

「姫さま、しかし……」

「行きなさい。父を助けて。これは姫として最後の命令です」


 陳は両手を胸の前で組んだ。


「拝命しました。では、姫さま。これまで長い間、お世話になりました」

「陳さん、生きるのよ。必ず生き延びなさい」

「あなたさまも」


 陳は、その場にひざまづくと、地面に額をつけ叩頭こうとうした。そして、立ち上がると正門に向かって走りだす。

 もはや振り返ることはなかった。


 行ってしまった……。

 彼の顔を、もう一度見ることはできるだろうか。不吉な予感に怯え、それを打ち消したくて、淑華は彼の背中に向かって叫んだ。


「必ず、また会いましょう」


 家令の肩がぴくっとしたが、振り返らなかった。

 淑華シューホアは、踵を返すと走った。兄たちも父とともに戦っているにちがいない。

 淑華には、三人の兄と二人の弟がいる。しかし、娘は彼女ひとりだ。

 屋敷に戻ると母を探した。


「母上は、母はどこに?」

「負傷した者たちのために、奥方さまは城門近くの治療院に行かれました。お戻りになりません」

「そう、わたくしも行くわ。楊楊、ついてらっしゃい」


 淑華は再び走った。

 たどり着いた治療院では誰もが怪我を負い、血に染まり、痛みに叫び、地獄のようだった。医官たちは負傷したものが多過ぎて、まったく手が足りていない。


「母上」

「淑華、来てくれたの」


 日頃は穏やかな母が厳しい顔で負傷兵の看護をしていた。


「何をすればいいのか、教えて。わたくしと楊楊ヤンヤンも手伝う」

「この人をお願い、血を止めているから、医官がくるまで布で抑えて」


 男は脇腹から大量に血を流していた。火球に当たったのだろうか。顔のやけど痕もむごい。半分、意識もなく、ただ、「ヒィー、ヒィー」とうわごとのように悲鳴をあげている。


 その日、一昼夜、攻撃は休むことなくつづいた。

 夜のそれは昼とは異なり、月明かりのなかの散発的な攻撃で、城を攻略するより、城壁内のものに恐怖を与えるためだろう。


 空が明るくなり、再び破城槌はじょうついがくり出され、地を揺るがす。


 この恐怖音を、これから悪夢として見続けるかもしれない。淑華は叫びだしそうになる自分を抑え、母の手伝いに奔走した。


 太陽が中天に登った頃だ。

 それまで鳴り響いていた破城槌はじょうついの音が止んだ。


「門が破られました! すぐに逃げてください!」


 絶望的な伝令に治療院の全員が声を失った。その時、凛とした母の声が響いた。


「槍をもて! 歩けるものは戦え。歩けないものは、その場で人質になることを覚悟せよ」

「母さま」

「淑華。おまえはまだ若いが覚悟しなさい。この城の裏は峻厳な崖しかない。守るには適しているが、いったん城内に入られたら、もう逃げ場はない」


 母は侍女から槍を受け取ると、治療院から外に出た。少しでも動ける者は母の背後についていく。


「中から鍵をかけよ」

「奥方さま」


 雄叫びとともに、敵軍が迫ってくる音がする。

 淑華の耳に届いたのは、軍馬のいななき、刃と刃で命を取り合う兵士たちの喧騒。そして、ここで死ぬのだろうかという恐れだった。


 絶望はなかった。

 必死であらがった末の結果だ。運命を受け入れるしかない。

 その時、死を予感した彼女が見たものは、砂埃のなか、軍馬に乗った整然として近づく一団だった。


 あれが、馬楚成マ・ジングル……?


 いや、違うと気づいた。

 城壁の上から見たときと軍旗の色が違う。これは……。


 空気が変わった。




(つづく)

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