第7話




(きっと、これはまずい。何てことをしたんだ、俺は)


 自白調書を手に取調室を出てきたが、気分は晴れない。晴れようがない。

 無実のものが有罪になる。

 しかし、過去の事件を考えれば完全に無実とも言い切れないことだ。

 さらに頭の痛いことは、取調べに際して、別の捜査員を入れるのを断り、ご丁寧にマイクまでオフにした。

 この結果、どうなるかを考えると頭が痛くなる。

 別室で見ていたのは管理官など大物ばかりだろう。悪くすれば懲戒処分を覚悟するしかない。


(なにやってんだ。それに、弟?をこっそり探せって。あの山に隠れられたら容易じゃないぞ。ひとりで、どうやって探せばいい)


 案の定、廊下で大脇に「ちょっと来い」と、別室に連れていかれた。刑場に向かう犯罪者の気分になる。


「さあ、聞こうか、加瀬ちゃん。いったい奴をどうやって落とした」

「だから、それは企業秘密で」

「ふざけてるんじゃない。あの場には管理官や本庁一課長の高橋さんもいたんだ。なんとか彼らを説き伏せて中には入らなかった。それにしても不可解だよ。マイクが戻ると、急に奴は落ちた。どういうことだ」

「いや、その。あの、あれは、あれでして」

「何を隠している。俺に話せ」

「いいですよ。話してもいいですけど、ぜったい信じちゃくれません」

「いいから、言ってみろ。俺は物分かりのよい上司だろうが」


 加瀬は目を大きく見開き、口を真一文にする。そうすると、頬にエクボができて誰も抵抗できない愛嬌のある表情になる。


「笑わないですよね」

「笑わん」

「信じてくれますか」

「信じる」

「三賀さんの幽霊が脅したんです」


 大脇も加瀬と同じくらい大きく目を見開いた。


「真面目に答えろ」

「いたって、真面目です。ほら、まだ、そこにも彼が」


 大脇は思わず背後をうかがった。


「おまえ、おちょくっているのか」

「だから、言ったじゃないですか。信じて欲しいって」

「なあ、もう少し納得できる説明をしてみろ。少なくとも、俺が上にあげるための、もっともらしい理由を教えてくれ」

「実は……」


 宜綺を秘密にしなければならないが、さあ、どうする。

 嘘で嘘を塗り固めてもボロがでる。

 嘘というのは事実を混ぜてこそ、真実らしく聞こえる。完璧な嘘などないように、完璧な真実なんてものもない。


「実は、あの人は年の離れた実の兄です」

「え?」

「調べてもらえればわかりますが、僕は養子縁組で加瀬家にもらわれた人間です。もとは九暁家の戸籍のない子どもだったんです。彭爺と呼ばれる彼も同じで、戸籍を持たない男です。これは九暁辻湖のもっとも大きな罪のひとつでしょう。僕は三賀さんのご両親によって、九暁家から救いだされ、加瀬家に養子になって戸籍を得たのです。身寄りのない捨て子という扱いでした。まだ一歳にも満たなかったので」

「それで、三賀警視が君を呼んだのか」

「そうです。九暁家の別宅の火事を不審に思ったのです」

「続けろ」

「あの火事も、彭爺の仕業だと白状しました。彼らが急に離れ屋で亡くなったため、驚いて、その証拠を消したかったそうです」

「では、三賀さん殺害の上に放火の罪もあるんだな」

「そういうことになります。しかし、三人は自然死であることは間違いないようです。急にバタバタと倒れたそうで、まるで呪詛されたようにと。その話をしたんです。放火は不問に伏すからと、今さら……、その辺りを、掘り返さなくても」


 大脇は大きくため息をついた。


「だから、マイクを消しました」

「わかった。上と話し合う。ともかく、おまえは彭爺の自白調書を、もう一度、よく吟味して提出しろ。ま、今回はよくやった。確かに、おまえは『困ったときの加瀬頼み』と言われるだけはあるな」


 その後、九暁辻湖の遺体は検視解剖を行い、『心不全』という病名がついた。他殺ではなく病死だ。

 この結果を受けて、特別捜査本部は、彭爺ほうじい逮捕で、すみやかに解散されることになった。

『江ノ電殺人事件』は、こうして公的には幕を閉じた。




(つづく)

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