第6話




 捜査本部は彭爺ほうじいの身柄を拘束したが、完璧な黙秘に手を焼いていると聞く。

 加瀬の血筋を知るものはいないが、もし、彭爺がそれを教えれば厄介なことになるだろう。それ故、少しだけびくつきながら情報通の田部に聞き出そうと、廊下で声をかけた。


「なあ、彭爺とやらは完黙って聞いたが、実際に何も吐いてないのか」

「はい、ずっと黙秘したままなんだそうですよ。でもって、なんか調子が狂うんですよね。引っかかるんすよ。赤児も消えちまったしで。生まれたばかりの子がいたはずなのに。あの家に他に誰かいたんすかね」


 捜査一課の廊下で話していると、大脇が、「加瀬」と呼んで手招きしている。経験上から言えば、こういうときにいい事など余りない。


「後でな」と、田部に断って大脇のところへ向かった。

「加瀬、あのな、例の被疑者のことだが。取調べが難航していてな。でな、おまえを呼んでいるんだ。おまえになら話すんだとさ」

「俺にですか」

「ああ、この事件。三賀さんに呼ばれた時もだが、いったい、おまえは何者なんだ?」

「それは、大脇さん、わたしは普通のおまわりさんですけど」

「そんな言葉を邪気のない顔で言われてもな。ともかくだ。ここに拘置できる時間も限られている。このまま検察に送致するか、さらに勾留請求するか、まさかの釈放か。ともかく奴と話して結論を出せ」

「は、はあ。じゃあ、ちょっと僕からも条件を出していいですか」

「生意気にもか」

「すみません。たいしたこっちゃないんです。取調室でふたりだけで話したい。他の者がいては、おそらく話さないかと。それから僕が何をしても、必ずふたりっきりにしてください」

「それは、たいした事だろうが。まあ、よかろう。口を割らせろ」


 彭爺が加瀬を呼ぶ理由は、なんとなく理解できた。彼は年の離れた異父兄かもしれない。父親の種は違うかもしれないが、母親は辻湖だろう。


(しょうがない。これで、この事件の幕引きをするしかない)


 加瀬はあきらめ気分で取調室に向かった。

「呼んできてくれ」と担当に告げ、待っていると彭爺が背中を曲げて入ってきた。

 日に焼けたあさ黒い顔の、身体は大きいが物静かな男だ。

 加瀬は目の前の机に身上調書と供述調書を置いた。

 身上調書には名前しか書かれていない。年齢も親も住所も、学歴や仕事欄も、すべてが空欄だった。

 当然、供述調書も白紙である。


「彭爺さんと呼べばいいですかね。あなたが呼んでいると聞きました。加瀬です」


 加瀬は人好きのする柔らかい声をだした。どんな被疑者も彼の穏やかで柔らかい笑顔を見れば警戒を解いてしまうような、そんな顔だ。

 彭爺は表情を変えない。

 もの静かだが、自らの殻に閉じこもった感情がない冷徹な男に見えた。


「それでは、わたしを呼んだ理由は何でしょうか」


 彭爺は監視カメラとマイクを見た。わかっているだろうと、そんな目つきだった。加瀬の顔に張り付いた『いい人』が消えた。

 加瀬は立ち上がって取調室の扉を閉め、机に設置されたマイクの電源をオフにした。おそらく、部屋の向こう側で文句が出ているだろうが、かまわない。彼も聞かれたくないことを話すつもりだった。


「これで、わたしたちの会話は誰も聞く事ができません」


 彭爺ははじめて目をあげた。その目がさびしげに陰る。

 彼が三賀を殺していないことを加瀬は知っている。だが、それを証明するのも難しい。


「わたしに言いたいことは、三賀さんを殺していないことですか」

「それは、いいんだ」

「いいとは……、どういうことでしょうか」

「話したいことは、ひとつだけだ。あんたに頼みがある。聞いてくれるか」

「なんでしょうか」

宜綺むべきを救ってくれ」

「宜綺? それは誰でしょうか?」

「あの家に住んでいた、まだ十八歳の若い子だ。生まれたときから五歳になるまで、食事だけ与えられて放っておかれた。だから、人と言葉を交わすことができない。声を出せなくなったのだ。彼を御子とともに、屋敷から逃した。あの子はおまえにとっても弟になる。わしが兄であるようにな」


 御子……、紫緒という娘が産んだ子と若い男が逃げているのだ。

 公暁と辻湖は冥土へ去った。御子というが呪詛する能力はないだろう。霊能力はあるかもしれないが、御子とは言えない。加瀬と同じだ。


「それは……」

「頼む。わしに三賀を殺した容疑がかかっているそうだな。あのコンビニに呼び出した男らしいが、しかし、わしは殺していない」

「知っています」

「わしが殺したことにしていい。奴の両親は巫女さまが放つ呪詛の能力で死んだ。そのことは知っている。これは、わしにとっての罪滅ぼしだ」

「しかし、殺人となると、たとえ殺意はなかったと言っても収監される」

「かまわない。宜綺を助けてくれないか」

「いいのですか。警官殺しとなれば、甘くはない。少なくとも十年は収監される。悪くすれば無期懲役です」

「かまわない」


 加瀬は横を向いた。

 鏡が見える。その向こう側にいる警官たちが、いつここに入ってくるかわからない。


「その男はどこにいる」

「あの屋敷の奥、崖の向こう側に抜け道がある。そこから逃がした。あの子は何も知らない。純粋で優しい子だ。御子を守るために山に籠っただろう。あんた、見えるんだろ? 探せるはずだ。早くしないと、御子ともども飢えて死ぬ。だから、警官殺害の犯人として、わしを捕らえろ。そして、宜綺を救ってくれ」


 三賀が他殺である証拠として完璧な検視・解剖報告書が提出されている。それも加瀬と藤島によって。

 すでに三賀の遺体は藤島が荼毘に伏した。今更、自殺だなどと、それも怨霊を狩るために自殺したなど、荒唐無稽な調書を取っても笑われるだけだ。


「わかりました」

「信じても」


 加瀬は決意をもってうなずくと、マイクのスイッチを入れた。


「では、三賀警視殺害を自供するのか」

「そうだ」

「九暁辻湖の指示でやったんだな」

「その通りだ」

「では、この調書に、あなたの供述を書くから、サインをしてくれないか」


 彭爺は困ったような表情を浮かべた。


「わしは難しい字が読めない」


 加瀬は胸をつかれた。三賀の両親が救ってくれなければ、今、向こう側の椅子にすわっているのは、加瀬だったかもしれない。




(つづく)

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