三賀有吏と藤島祐樹
その日 3
たとえば、どんな理由から人は恋に落ちるのだろうか?
その答えを明確に知ることなど誰もできないだろう。少なくとも、藤島祐樹にはわからなかった。
道端の、誰も使わない郵便ポストのように、それは不要なものかもしれない……。
有吏ならなんと言うだろう。赤い郵便ポストが空から降ってきたといえば、笑うだろうか。
ほら、まただ。また有吏のことを考えている。
いつから、有吏の考えを追うようになったのか。
いつから、彼が歩いてくるだけで、心臓が爆発しそうになったのか。
いつから、彼のこと以外、すべてがどうでも良くなったのか。
その理由を彼は知らないし、生涯、知ることはない。
自分が、その気にさえなれば、祐樹に落ちる男は多いはずだ。そんな相手を選べは苦しみは少ないだろうが、それは退屈なことにちがいない。たとえ友情でしかないとしても、有吏がいることで、誰も満たすことができなかった彼の空虚が埋められる。
「まったく残念だよ」と、祐樹は冗談まじりに有吏に仄めかす。
「なにが?」
「僕みたいな、いい男がさ……」
ずっと片思いなんてという告白を彼は続けることができない。
有吏にとって祐樹は何者でもないからだ。彼は冷たい。どれだけ愛しているか、その想いを、けっして口にはできない。
だからか、いつも途中で言葉を見失い、言いかけては喉もとまでで押し留める。
そんな関係が十数年だ。
「なあ、僕が部屋に転がりこんで、迷惑だろ」と聞くたびに、「いや」と、有吏は答えた。
彼の答えは悲しいくらい簡潔だ。
「このまま、ずっと住んでもいいのか」
「出てけよ」
「え?」
「不安になるくらいなら、出てけばいいさ」
辛辣に言い放つ彼に祐樹は言葉を失う。
有吏は自宅のクローゼット内に九暁家に関する相関図を貼っていた。ある日、その相関図に赤丸を何重にもつけた名前を発見した。
『加瀬和夫』。
九暁家から彼の両親が救って戸籍を与えた男だ。
「この加瀬に赤丸をつけている理由は」
「唯一の突破口になりそうなんだよ。本人には自覚がないようだが」
九暁家を捜査しても、それがどう両親の死と結びつくのか、一向に光が見えない。その突破口が、この男なのか。
「どうするつもりだ」
「何も知らないこいつを呼び寄せるつもりだ」
そう言いながら、彼はウイスキーのグラスを男の写真にカチンとぶつけ、一気に飲み干した。
その日、有吏は浴びるほど酒を飲み、気絶するように眠った。シャツを脱ごうとして途中で眠ってしまう。彼の素肌が見える。その姿がどれほど残酷で魅力的なのか、有吏は想像もしないだろう。
「おい、起きろ。少しは部屋を片付けるって、そういう気遣いはないのか。僕はシェアハウスの無料ハウスキーパーじゃない」
「むむむ……」
普段の姿からは、ありえないほど無防備な姿を晒す。こんな彼を、いったいどうしたらいいのだろう。
すべての意思の力をふりしぼって、祐樹は自分を抑える。
あの最期の夜も、そうだった。散歩から戻ってから、酒を浴びるように飲むと、ベッドに横になった有吏は言った。
「祐樹、俺は何も怖くない。希望があるからだ。希望を見つけたからだ。なあ、おまえに頼みがある。俺が、もし殺されたら解剖をしてくれ。検視解剖して他殺の証拠を検案書に書いてくれ」
解剖? その意味することを理解したくなかった。
「いったい、何を言っている」
自分の声が虚しく響いた。有吏は決意したのだ。それしか方法はないと思っている。
「死んでしまえば、すべては終わりだ。その先に何かあると思っているのか」
「ああ、あるんだよ。それだけが希望なんだ。加瀬という男は見えるようだ。本人は下手くそに隠しているがな。だから、希望はある。もし、なければ」
ふんと有吏は鼻で笑った。
「無駄死にだな」
顔に張り付いた厳しい表情に、胸が痛むような寂しさが漂う。
有吏、有吏、有吏。
僕ではだめだったのか。
そして、有吏は死んだ。
マンションの部屋をいつのまにか祐樹名義にして、この世から去った。藤島はひとりになった。
「なあ、酔っ払い。意識をなくすほど、いつも飲みやがって。おまえはずっと僕の気持ちを知っていたよな。そうじゃなきゃ、地獄まで追いかけてでも、僕が殺してやりたい。いいさ、わかっている。バカ野郎、警察があてにならないなら、僕が九暁の家に乗り込んでやるよ」
部屋のカーテンが風もなく揺れる。暗いマンションの部屋で、祐樹は飲めない酒を浴びるほど飲んだ。
(つづく)
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