第7話
九暁家は来客がないだけでなく、門外にも、まったく出てこない。木造りの頑丈な正門の向こうに見えるのは瓦造りの大屋根で、おそらく屋敷は古い日本家屋だろう。森奥にある幽霊屋敷だと聞かされても納得しそうな雰囲気だ。
「いったい、どうなっているんすか。人が生活する上でネットのアクセスとか何もないなんて」
「そこが一番? おまえは逆にネットに依存しすぎだがな」
「そりゃ、老婆と赤児しかいないんだから、ネットに関係なくても仕方ないっすけど。ゴミ出しもないなんて。おむつとか布製ですかね。洗ってるんすかね?」
「俺に聞くな」
「加瀬さん、じゃ、誰に聞けばいいんすか」
確かに奇妙だ……、人が生活している痕跡が少ないことに、田部だけでなく張り込み班はみな首をふるしかない。
情報社会において、彼らのデータが出てこないこともありえない。
現代社会は追いかけようと思えば情報の宝庫だ。電話、携帯、銀行、水道代から電気代まで、生活を追うのは簡単なはずが、まるで太古の生活をしているかのように、文明の利器が最低限しか使われていない。
「加瀬さん……、ここの祈祷ってのは、人を呪詛するためのものだからですかね」と、田部以外にも疑問を呈する捜査員は多い。
「恥ずべきことだよな。人ってのは、まったく恥ずべきものなんだろうが、それだからこそ憐れに思えるよ。祈りは、そういう人間のためにある」
「だけどっすよ。人って、普通は神仏から加護や恵みを得るために祈るんですよ。だけど呪うためなんて、大っぴらに来れるもんじゃないっす。呪詛に堂々と来るわけにもいかないんすよ、これは」
「確かに、公に呪詛するなんてできないが。じゃあ、どうやってだってことだ」
「まったく、わかりません」
「それは、警官の仕事としてもっとも言っちゃあダメなやつだ」
「じゃ、聞かないでください。他に返答のしようがないんですから。加瀬さん、わかります?」
「いや」
「ほら」
九暁家は日常の最低必需品を宅配に頼り、それらも宅配ボックスに配達され、人が表に出てこない。
厄介な対象であることは確かで、張り込みチームにはもどかしい相手だ。
なんの動きもない静止画像かと思う正門前の映像を、昼夜をあけずに見守る。ひたすら耐えて耐えてという根気のいる仕事だが、それにも限界があった。
「三賀さんは、いったいどういうアプローチをして殺されたんでしょうね」
「さあな」
加瀬は上の空で返事しながら、門前の映像を眺めるふりをして考えた。
なぜ、三賀は殺されるような過激な行動をしたのか。
それ以前に、三賀は、なぜ加瀬を県警本部に呼んだのか。おそらく、加瀬自身がずっと避けてきた見える自分を、三賀は必要としたのだろう。
(まさか、三賀さん。あなたはこのために、最初から俺を県警本部に呼んだのですか? 俺がずっと否定してきた見えることに賭けたんですか? なんて、バカなんだ。そうだとしたら、なんて愚かなんだ。いや、違うな、三賀さん。愚かなのは俺のほうだ。あなたは、こんなバカな俺に期待したんだ。俺は、その期待に応えなきゃならん。わかったさ。どうやっても応えなきゃならんってのは。そうでなきゃ、これから先も見えることを否定していくしかない。そんな恩知らずじゃあ、俺を救った三賀さんのご両親にも申し訳が立たない。なあ、そうだろう。加瀬よ、腹を括れよ)
「警視は自分を捨て、命懸けだったのかもしれない」
「いや、仕事に命まで賭けるなんて。そんなこと、できないっす。ああ、もう僕が呼び鈴を押してこようかな」
加瀬はしばらく考えてから、「それもいいかもしれん」と答えた。
翌日、加瀬たちはフェイクを仕掛けた。
宅急便業者を装った警官が、大きな段ボール箱に入った荷物を用意して呼び鈴を鳴らした。
宅配便ボックスには入らない大きさの荷物で、誰かが表に出てくるだろうと謀ったのだ。
帽子と胸もとにカメラとマイクを仕込み、宅配に扮した警官が、インターフォン越しに声をかける。
「お荷物をお届けにきました」
「置いておいてください」と、男の声がした。
「あの〜、先方から受け取り証が欲しいそうで。荷物、大きくて重いんで」
どのくらい、待っただろう。再び声がした。
「待ってください」という声の後に、「……
かなりの時間をジリジリして待つしかなかった。
やっとのことで、通用門を開けた男を見て田部と他の捜査員が、同時におおっと声をあげた。
「加瀬さん、奴っすよ。あの男っす。コンビニに九暁辻湖といっしょにいた男にまちがいない。身長や体格的に、あの男っす」
隠しカメラがとらえた男は背がたかく、五十代くらいで背骨が極端に曲がっている。
「まちがいない。あの男だな。さっき、なんと呼ばれた」
「ほうじい……、とか。あとで声を分析に回します」
映像から声が聞こえる。
「工藤さんのお宅ですか?」
宅配を装った警官が聞いた。
男は返事をせず、ただ首をふった。この家の住所を告げる。
「こちらの住所で、まちがいないですよね」
「まちがいない」
「じゃあ、工藤匠さんでよろしいでしょうか?」
「いや、違う」
「え? ちょっとお待ちください。本部に確認します」
携帯の音がした。芝居で、こちらに連絡していきたのだ。
「Bー1189……の」と、12桁の番号を告げてから、宅配人を装った警官は言った。
「住所はあっているんですが、お名前が違って。荷物、どうしましょう。誤配達ですかね。はい、あ、確認をお願いします」
「いいぞ、いい調子だ。その調子で話せ」
「すみません、どうも誤配達のようです。お手数をおかけしました」
彭爺は通用門から帰ろうとする前に、まっすぐに隠しカメラの方向に顔をあげた。
監視カメラの存在を知るかのように、カメラを介して目があう。加瀬は一瞬、ぞくりとした。
彼の周囲に黒い影がまといつき、それが頭上にのぼっていくように見えたのだ。
あ、あれは……。
「見えるか?」
「何がですか?」
「黒いものだ」
「え?」
「あの目は尋常じゃない」
「た、確かに。ヤクザ者の親分のような胆力を感じますよね」
「背後の黒い影が、こちらを認識したような目つきでにらんでいる」
「加瀬さん、どうしちゃったんですか」
田部は問いかけるような視線で加瀬を見つめた。それから、冗談と受け取ったのか、気を取り直して笑顔になった。
彭爺は何かを呟いて、通用門の入り口を閉じた。
「
「例の映像にあった男にまちがいないか、再度、画像分析で確認します」
「奴、あの家に住んでいるのだろうか」
「謎ですね」
「しかし、あの男が実行犯にまちがいないだろう。これで引っ張ることは可能になったな」
あの夜、三賀と話していた男は暗いこともあり、映像の画素はかなり悪かった。ただ男は生まれつきなのか背中が極端に曲がっていた。分析エキスパートが可能な限り鮮明に処理した顔や身体的特徴、特に耳の立ち具合に特徴があり、それが荷物を受け取りにきた男と一致した。
「まちがいない。あの男だろう」
「いったい何者なんだ」
「九暁家の戸籍にも住民票にも存在がありません。他に免許証データなどで検索してみましたが、彼に当てはまる人物が存在しませんでした。まるで幽霊のようだとしか」
「おそらく、あの家で家族とともに生活しているのだろう」
「引っ張りますか?」
「ところで、例の火災で亡くなった遺体を九暁家に戻したか? 葬式とか、どうなっている」
一ヶ月ほどまえ、別宅の火災で発見された三遺体は、全員が検視解剖は終わり、身元確認も終わっている。早急に返して欲しいという依頼に、それぞれの家族に遺体を返した。
「二日前ですが、産婦人科医の賀茂雄三は家族が葬式をして埋葬しています。ボディガードの長谷川もですが、当主である宗十郎の遺体はどうなったのか。葬式もまだのようです」
「葬儀の情報はあるか?」
「それが、仏教式の葬儀でもないようです。神葬祭の形式だそうです」
「神葬祭。普通の葬式とどう違う」
「形式が異なるようですが。なんとなくですが、密教的というか」
「あの男を発見したのだ。管理官に連絡を入れて、突入しよう」
「まったく、いったいどうしたんすか、加瀬さん。三賀さんのもとへ行ってから人が変わったようっす。前なら、そんな危険は避けて、警官人生をまっとうに過ごせばいい派じゃなかったすか?」
「今もそうだよ。管理官に、公に逮捕状を振りかざすか。どちらがよいか伺っておけ」
田部には見えていないのだろう。より鮮明になった黒い靄の正体を。それが三賀のように思えるのは、自分の妄想なのか。それとも実際に三賀なのか、正確にはわからなかった。
(最終章につづく)
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