最終部 加瀬と宜綺

第1章 加瀬と怨霊

第1話



 通用門が閉じ、宅配業者を演じた部下が戻ってきた。

 加瀬ははやる気持ちを抑えた。ここまで捜査が行き詰まった原因は、被疑者が特定できなかったからで、やっと見えた糸口を大事にしたかった。


(ここで、焦るな)


 彭爺ほうじいと呼ばれた男の特徴を本部に知らせるため、映像データを送るよう指示して、同時に管理官へ連絡を入れる。


「管理官、被疑者確保の許可をお願いします。例の三賀警視とコンビニで会っていた男が出てきました」

「間違いないか」

「特徴的な身体つきをしていましたから、まちがいないはずです。彭爺ほうじいと呼ばれていました。この男、データベースではまったく発見できない、幽霊みたいな存在です。例の戸籍を持たない九暁家の者かと」

「よし、捜索令状を請求する。すぐ裁判所から出るだろう。慎重に、だが大胆に行け! 応援も送る。随時、連絡をしてくれ」


 なにもかも思い通りにうまく運んだようだ。

 いや、うまくいき過ぎているかもしれない。

 電話を切ったが、どうもすっきりしない。その理由が自分でもわからなかった。

 彭爺と呼ばれた男は、あのコンビニで確かに生きている三賀と会っている。そこも問題ないはずだが、どこかで割り切れない。なにか大事なことを見逃している気がするのだ。

 このまま突入してもいいのか。


「どうしたんすか。顔色がすぐれませんけど。加瀬さんの思った通りの人物が現れたんすよね」

「なんだかな。俺たちは、まったく間違ったアプローチをしているかもしれないと……、そういう疑問がぬぐえないんだ。これほど家だけにこもり、外部との接触を絶っている者たちが、なぜ、三賀さんを殺したのか」

「確かに、何を餌に三賀さんは、彼らに呼びだされたんでしょうね」

「あわてて殺してしまうほどにだ。俺はアホかな。考えてみれば、警察のマニュアルアプローチなんぞは、これまで三賀さんが散々してきたはずだ。警視として、三賀さんはそれをする力を持っていた。しかし、ラチがあかなかった。何をして、彼らを刺激したのか、どうもわからない」


 脇道に隠したキャラバンで二人制での交代とはいえ、二十四時間体制の張り込みに誰もが疲れていた。静止画像のような正門を見張るだけの状態には心が削られる。

 あまりに動きがないゆえ、こちらから動いたのだ。

 すると、急に田部が加瀬の肩を叩いて、モニターの映像を指さした。


「加瀬さん、あれっ、あれ! 見てください。あれは」


 公道の各所に監視カメラを設置した。そこに、いきなり自転車が入ってきた。まっすぐに迷いもなく九暁家に向かっている。


「あれは駅前にある貸し自転車屋のものですよ。まさか、観光客がここまで一人できたんですか。え? 加瀬さん!」


 加瀬はキャラバンのドアを横開きにして飛び降りた。自転車を漕ぐ人物が誰かわかったのだ。


「加瀬さん、どうするっすか。あれが誰か知っているんすか?」

「病理医だっ! 藤島っていう」


 ヒーロー登場みたいな言い方だと思うと、加瀬は苦笑するしかなかった。


「なんでそんな人がここに来るんすか。僕も行くっすよ!」

「いや、待っていろ。令状が発布されるまで、九暁家の者を脅かしたくないんだ」


 ここを通りすぎたはずだが、見逃してしまった。九暁家ばかり注目していたからだろう。

 屋敷までの一本道は平坦に見えるが、軽く登り坂になっており、張り込みで体力を削られた加瀬は追いかけるのがつらかった。

 今日は朝から天気が怪しい。

 パラパラと細かい雨がふりはじめている。春の煙るような弱雨で、周囲に霞が漂っているようだ。

 キャラバンから走って五分ほどの距離に九暁家がある。それが無闇に遠く思えた。

 藤島はフード付きの黒いトレーナーにジーンズという姿。数メートル先を細い身体を左右にふって、立ち漕ぎしている。ゆるい坂だが自転車に乗り慣れていない者にはきついだろう。

 どんどんスピードが遅くなる。

 その背中を、追って、追って。

 高い木々に囲まれ佇む正門が、雨のなかにけぶって見えた。普段より幻想的で別世界のようにも思える。

 加瀬が追いつくと、ほぼ同時くらいに藤島は自転車から降りた。そのまま城門のような門を見上げている。

 門に表札はない。門戸の上部に扁額へんがくが掲げられ、そこに『二十御坊』と書かれていた。


「藤島さん」


 藤島が、こちらを振り返った。

 死神のように青ざめた顔つきだ……。ひょろりと高い身長が、いつも以上に神経質そうに見える。その姿は幽鬼のようで、冥界が口を開いているような凄みを感じた。


「ああ、君か」


 どことなく上の空だ。


「祐樹」


 加瀬は、びっくりするほど優しい声で、彼の下の名前を呼び、そんな自分に驚いたた。

 なんだろう、まさか……、いやいや、違う。違うと思いたい。三賀の感情が自分のなかに入っているなんてことはない。


「いや、藤島さん、ここで何をしようとしているんですか」

「何を?」

 

 藤島は溺れそうな切羽詰まった表情で、加瀬を見て、それから首をふった。

 空が暗くなった。

 どす黒い雲が太陽をさえぎり、まだ昼だというのに薄暗い。それでなくても威圧的な正門がさらにいかめしく、細かい雨に澱んでいる。灰色の霞が立ちこみはじめた。




(つづく)

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