第2話




 藤島は自分が何をしたいのか。何を求めているのか。すべてが夢のような、あるいは、すべてが夢であって欲しいような……。そんな錯乱した表情をしていた。

 彼をこれほど追い詰めるもの。

 それが、加瀬には理解できない。加瀬の心には、どこかで常に風が吹いている。誰からも、いい人と思われる加瀬は、誰に対しても真剣には向き合っていない。心の片隅に、いつも冷たい風が吹いていた。


「今日は有吏の誕生日だから」


 雨がそぼ降る門前で、そう切りだした藤島に、加瀬はどう答えてよいか当惑する。

 藤島の一方的な三賀への愛は決して報われない感情だった。彼らがふたりでいるときを知ればよくわかる。藤島は常に三賀を追い、三賀は別のものを追っていた。


「彼に誕生日プレゼントを贈りたくてね」

「誕生日プレゼント?」

「ああ、まだ、有吏の骨壷を墓に入れていないんだ。有吏がもっとも欲しかったものを手に入れてからでも遅くはない。九暁家の息の根を止めてからでも」

「藤島さん、そういうことは警察に任せてください」

「まったく埒があかないんだろう。有吏が言っていたようにね」


 そう言うと藤島は乾いた声で笑った。

 その声が消える直前、谷戸やとを抜けて風が吹き寄せてきた。藤島は顔を向けると、真正面から風を受けとめ目を細めた。


「警察も手をこまねいているだけではありません」

「今の皮肉な口調は……、まるで有吏のような。いや、あなたは見えると聞いた。今も見えているのかい」

「何をですか」

「有吏から聞いている。僕の隣りに彼がいるはずだ。違うか?」


 風が再び鳴った。

 近くの竹林の葉がざわざわと騒いでいる。加瀬は否定するように首を振ってから、携帯に耳をあてた。


「田部、令状は届いたか」

「今しがた、写メで画像が送られてきました。すぐこちらに届けると。管理官が、あらかじめ裁判所に捜査員を控えさせていたようで、思ったより早かったです」

「よし、確保に向かうぞ!」

「了解」


 九暁家に至る一本道は舗装されてはいるが手入れが行き届いていない。アスファルトは崩れて砂利になり、細かい穴があき、あちらこちらがヒビ割れている。

 砂利を踏んで軋むタイヤ音がよく聞こえてくる。

 黒いキャラバンが門前に到着した。

 道路に霞がかかっているため、音を聞いていても、それは突然現れたように見えた。

 田部を含めた仲間たちがバラバラとキャラバンから降りてくる。ザクザクと湿った土をふみしめ、濃くなった霞のなか横並びで行進するように歩いてきた。


「藤島さんは、僕たちの背後にいてください」

「わかった」


 田部が門の呼び鈴を鳴らした。

 しばらく待ったが、返事はない。


「もう一度、押せ」と、言ったとき、応答する声が聞こえた。

「どなたですか」


 男性の声だ。田部と目があった。あの男にまちがいないだろう。


「鎌倉警察署の者です。門を開けてください」

「なんでしょうか」

「一ヶ月ほど前ですが、お宅の別宅が全焼する火事がありましたが、そのことを含めて、お話をうかがいたい」


 しばらく、沈黙があった。なにか相談しているようだが、声は聞こえない。


「それは、弁護士に一任しています。そちらに連絡してください」


 加瀬は門の向こう側を眺めた。

 九暁家の本宅は豪壮だが荒涼として、どこか寒々しい。

 家の裏側は切り立つ崖になり、岩肌が荒々しく、崖上に生えた雑木が屋敷の日差しを大いに遮っている。おそらく、晴れた日でも日照時間は短いだろう。なんとも憂鬱な場所で、屋敷をかこむ竹林の葉が、ざわざわ風に鳴るさまも裏哀しい。

 入り口といえば正門だけで逃げ場は他にない。

 田部が呼び鈴を何度も鳴らす。

 このまま門が開かなければ、壊してでも突入するつもりだった。いよいよ最後の手段を使うべきかと思いはじめた頃、通用門が開いた。

 あの男だ。

 まちがいない。彭爺ほうじいと呼ばれた背中の曲がった男だ。そのとき、加瀬は奇妙に懐かしい感覚を抱いた。

 なぜか、彼に会ったことがある気がする。

 いや、そんなはずはない。

 加瀬が養父母に引き取られたのは、一歳頃で、たとえ九暁家で生まれたにしても、そんな頃の記憶などあるはずがない。


「何のご用でしょうか」


 辻湖は出てこなかった。


「警察のものですが、ちょっとお伺いしたいことがあります。当主の九暁辻湖さんはご在宅ですよね」


 押しの強い断固とした口調で聞いた。背後で軽く身体を接触させている田部が、今にも彼を拘束しそうな勢いで立っている。


巫女みこさまは」と、彭爺はしゃがれ声で言った。

「体調がよくなく、休んでいます」


 加瀬は田部たちに顎で指示した。


「ごめんなさいよ」


 田部は門のなかへ入ろうとして、彭爺と軽く揉み合い、その後を他の捜査員がつづいた。

 彭爺は抵抗したが、屈強な捜査員たちは造作もなく内部に突入した。


「ちょっと、おい。おまえ達!」


 あわてて叫ぶ彭爺の肘を加瀬はつかんだ。


「冷静になってください。捜査妨害をすれば、この場で逮捕しますよ。あなたの名前は」

「わ、わしは、彭ですが」

「苗字は」

「苗字? 苗字などない。ただ彭爺ほうじいと呼ばれている」

「では、彭爺さん、裁判所から令状が出ています」


 警察車両の鳴らすサイレン音が近づいてくる。すぐ数台のパトカーが停車して、応援の刑事たちが、バラバラと降りてきた。

 よし、これで確保だ。


「では、彭爺さん、鎌倉署までご同行願います」

「なぜだ。なぜ、行かなきゃならない。なぜ、こんなことをする」

「確保しろ」

「わしが何をした」

「三賀氏、殺害に関する嫌疑です。こちらがその令状になります」


 加瀬が左手を背後に出すと、後から来た捜査員のひとりが令状を手渡す。それを彭爺の目前にかざした。


「殺害って、いったい何のことだ。わしが誰かを殺したとでも? 何のことか、さっぱりわからない。わしは何もしていない」


 彭爺は力が強くかなり抵抗したが、刑事課の人間も、こうした反撃には慣れていた。


「署でうかがいます」


 加瀬は彭爺を他の捜査員に任せて、通用門から内部へ入る。その加瀬を必死に止めようと、彭爺があばれて手を伸ばした。その手を捜査員のひとりが拘束する。

 背後から藤島もついてきた。

 通用門から入った内部は石畳になっており、石畳の先には玄関。武家屋敷風の屋敷は、田部たちが入った後で、引き戸が左右に開いたままになっている。

 加瀬は携帯で田部を呼んだ。


「辻湖は確保できたか!」

「いえ、まだ発見できてません」

「探せ! 赤児もいるはずだから、隠れている訳にもいかないだろう」


 強い声で命じたとき、胸に重くのしかかるような鈍痛を覚えた。加瀬は眉をしかめて立ち止まった。


「加瀬さん。どうしたんだ」

「いや、なんでもない」

 

 ザラリ、ザラリと身体を包む重苦しさ。足が先に進まない。


「加瀬さん」


 藤島の手が加瀬の肘に触れた。まるで救助するような様子で、彼も異様な何かを感じているのだろうか。


「ああ、行こうか」




(つづく)

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