第3話



 加瀬は背後に控える田部にめくばせした。

 彼より七歳若い田部が相棒になって三年になる。ひょろりと背が高く、「見上げると首が凝る。俺の横を歩くな」と、からかっているが、実際は田部にからかわれる方が多い。


「じゃあ、ちょっと中を見てみるか」

「加瀬さん、いいんすか? 現場を荒らしたら、鑑識から怒られますよ」


 加瀬は、それには答えず、黒くこげた焼け跡に入った。室内とはいうものの、屋根もほとんど抜け落ち、黒焦げの支柱しか残っていない。

 その瓦礫のなかに三人の遺体が埋まっている。大柄な男と、身体付きは中肉中背といったふたり。

 加瀬はポケットに差したボールペンを取ると、遺体の口をこじあけた。


「加瀬さん、触れてもいいんすか?」

「ああ、このくらい気にするな」


 口内に煤が入っていないことを確認して、ほぅっと息をもらした。


「他殺かな?……」


 遺体の口内には汚れがなく、それは煙や煤を吸い込んでいないという証拠だ。火に焼かれる前には死んでいたことを示唆している。残りのふたりも確認したが同じだった。

 ということは、火をつけたのは、この三人ではない。

 目視の状況だけでは判断がつきがたいが、事故の可能性は低いだろう。

 古い日本家屋の和室だ。

 廊下から庭に逃げるのは容易い。この場所で、三人が同時に亡くなるという事故も考えにくい。集団自殺の線はありえないか……。九暁家は呪詛集団という闇世界での噂を耳にしたことがあり、もしそうならカルト集団の自殺も考えられる。

 黒焦げになった三人の遺体は年齢も性別も判別しがたい。

 ただ、ひとりは百九十センチ近い身長があり、骨太で大柄だ。骨格から判断しても女性ではないだろう。残り二人は中背で、肩幅などから男性だろうが、断定はできない。

 他殺にしても、三人を殺すとなると、ひとりでは難しい。


「焼死体で注目すべきことは、火が原因で死亡したのか、あるいは、証拠隠滅のために死んだあとに焼かれたかが重要なのだ。いいか、田部、彼らの口内に汚れがない。それに、この離れ屋は純和風の木造家屋だ。開口部が多く、部屋から廊下、庭へと脱出するのは容易だ。それなのに三人とも火に焼かれた」

「単なる火遊びじゃないってことっすね」

「ああ、そうだな」


 話している途中で、刑事課の仲間と鑑識がきた。みな顔馴染みの者だが、刑事課トップの大脇警部は来ていない。

 加瀬は火事と遺体の発見について、田部が鑑識と話すに任せ、ただ遠巻きに見ていた。

 鑑識の現場検証がはじまると、田部が戻ってきてささやいた。

 

「この屋敷の所有者に連絡を入れたそうっす、加瀬さん……、あれ、どうしたんすか? ぼうっとしてますよね」

「いや、すまん。ちょっと考え事だ。なんて言った?」

「屋敷が火事になったという連絡だけを持ち主にしたそうっす」

「それで」

「すぐ、こちらに来るらしいすが。持ち主は九曉くぎょうという名前で、極楽寺在住だそうで。ま、でも、急いで来ても一時間以上はかかりますよね。あっちから来るなら、海岸沿いの道路が渋滞するだろうし」

「さて、ここで現場検証を眺めていても意味がない。とりあえず報告がてら、一旦、署に戻ろう。特別捜査本部の準備も必要だろうしな」

「燃えますね」

「おいおい」


 遺体が三つも出たとなれば、鎌倉署に特別捜査本部が立ち上がるはずだ。神奈川県警から派遣される幹部クラスが指揮するにちがいない。おそらく、その相談で大脇課長は来なかったのだろう。

 そんなこんなで署はてんやわんやの状況だろうと想像していたが、鎌倉署に戻っても、常と変わらず普通だった。


「奇妙だな」

「なにがっすか?」

「三人の遺体が出て、他殺の可能性が高い。鎌倉市で過去に例のない凶悪事件になりそうじゃないか。しかし、どういうことだ?」

「どういうことでしょう?」


 同じ言葉を田部が繰り替えした。

 加瀬はそれを無視して、刑事課までの階段を駆け上がった。すぐ、上司の大脇を探す。


「なんだ、加瀬。血相変えて部屋のドアを叩くんじゃないよ」

「叩いてる訳じゃなくて、いや、今はジョークを飛ばしている気分じゃありません。どういうことですか?」

「どういうって、九曉家の別宅ことか?」

「そうです」

「いや、あの、あれはな、公安案件なんだよ」

「あの別荘の火災が公安ですか?」

「そうだ」

「納得できませんが」


 加瀬は完全に肩透かしをくらった気分になった。自分でも理由はわからないが、昔から、あの屋敷に関心を持っている。


「検視結果を聞くまでもなく他殺ですよ。そこで、なぜ、公安が出てくるのか、理由がわかりません」

「まあ、いろいろあってな。ともかく、鎌倉署に特別捜査本部は立たない。ただ、公安のお偉いさんから、名指しで君に聞きたいことがあると言ってきている。こちらの資料を用意しておいてくれ」

「あの別宅の持ち主が九暁家だからですか?」

「なんだ、もう知っているのか」

「いえ、それほど詳しいわけじゃないんですが。公安って、どこのですか? 神奈川県警、それとも……」

「そうだ、神奈川県警の警備部公安らしいんだが、いや、俺も奇妙な話だとは思っているよ」


 警察には公安課と刑事課があり、このふたつの部署は、なにかと反発することが多い。捜査手法からはじまって、事件解決に至る方法論もまるで違う組織だからだろう。

 公安は常に地下に潜るものと加瀬は思っている。

 表面に出ず、対象を徹底的にマークして丸裸にする、いわゆる行確コウカクが、彼らの捜査方法の原点だ。


「それでな。これはもう決定事項ということだが……」


 そういうと、上司は立ち上がって、いずまいを正した。


「加瀬和夫巡査部長、本日付をもって、神奈川県警察庁警備部公安特別資料部への出向を命ずる」

「は? はあああ?」




(つづく)

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