第5話




 田部は二十八歳。

 デジタルネイティブでもある彼は、常にスマホ画面を見ては膨大な情報を得ている世代。インターネットを利用して裏垢をあさり、SNSを駆使することが日常と化している。必然的に警察内部の情報通だ。

 それは、まったく無駄な時間だなと加瀬は思ってしまう。確かに莫大な情報量だが、江戸時代から井戸端で交わされてきた噂話と違わない。

 そんな田部が、朝の帳場前に頬を真っ赤に興奮して話しかけてきた。


「今日の帳場は荒れますよっ!」

「何かあったのか」

「『聞き込み』班からの情報っすが、例のコンビニの映像は九暁辻湖とボディガードって、完全に判明したようで」

「ボディガードの名前もわかったのか?」

「それが、便宜的にボディガードと呼んでいるのには理由があるんす。この男、なんというか名前が不明ちゅうか、わからない。九暁家に住み込んでいるようっすが、九暁家の住民票を確認しても、彼の名前がない」


 もしかすると、その男は戸籍のない者かもしれない。あの家には、そういう者たちが存在すると三賀から聞いていた。


「あの、例の戸籍のない男って奴っすかね。でもって、それ法律違反しょ。戸籍法に反してるっすよね。だって戸籍に入らなければ、日本人になれず、困ることも多い。いろんな保証もまったく得られないから。病気になったときなんて困るっすよ。病院にも……、あっ! あの家は病院を経営してた。病気になっても無料診察してもらって、薬だって出せる」

「彼らを九暁家の全員で保証しているんだ。国ではなく、まさに九暁家の民なんだろう」


 田部の予想通り、捜査会議では九暁辻湖と用心棒らしい男を引っ張るかどうかで揉めた。


「引っ張るしかないでしょう」という強硬派が多数を占めた。


 県警から来た一部の刑事たちが、コンビニ映像に色めき立ったのだ。

 七十八歳の女性だ。取調室に招いただけでも緊張するはずだと考えている。しかし、加瀬の意見は違った。九暁辻湖は容易な女ではない。


「落としてみせますよ」と、捜査一課の男が言った。

「できるか」

「任せてください、管理官」


 そう言いきる中堅刑事の自信に加瀬はあやうさを感じた。

 確かに九暁辻湖の任意同行は可能な状況だが、あくまでも任意だ。例の弁護士が間に入るとしたら、落とせるとは思えない。

 犯行当日、三賀と会っていただけでは、どんな言い逃れもできる。

 DNA鑑定で三賀が手につかんでいた毛髪と一致したとしても、それがいつのもので、なぜ、彼が手にもっていたかなど証明しようがない。

 すべてが状況証拠にすぎないのだ。日本の警察は自白主義で、辻湖が黙秘すれば行き詰まるだろう。

 これが九暁家でなければ、辻湖でなければ、こうした証拠で落ちることは大いにある。

 犯罪者は、基本、自分のしたことを打ち明けたいものだ。それで楽になりたいのか、あるいは、誇りたいのか。取調室に入れば、罪を犯した者たちは血圧が上がり、冷静ではいられなくなる。それは、あくまで自分の罪を自覚しているからだ。

 辻湖は違う。

 彼女は自分の正しさを信じてゆるぎがない。

 その上、三賀に直接的に手を下したのは彼女ではない。

『殺人幇助』、『殺人教唆』、『死体遺棄』で起訴するには、実行犯の自白が必要だ。三賀の両親も含め、別宅で発見された三人の遺体など、過去の犯罪も考えれば連続殺人犯である。

 実行犯と思われるボディガードが自白しない場合、そこから先がない。その上、あの男が九暁家にいるのか、その確信もない。

 こうした宗教絡みの信者は狂信的で、いわゆる教祖に絶対的な服従を誓っている。洗脳されているとも言えるが、洗脳者でさえ洗脳されている厄介なケースだ。


(なるほどな、三賀さん。公安案件だという意味がわかってきたよ。あの家は厄介だ。あまりにも長く怨念に生き、歴史のなかで凝り固まった奴らなんだろう)


 加瀬は自分を励ますように気合を入れ、そして、手をあげた。管理官がうなずく。


「管理官、わたしは泳がせたほうがいいと考えます。九暁辻湖が実行者ではないことが問題です。ボディガードのような男が発見できなければ打つ手がなくなります」

「君は加瀬くんか。確か三賀のもとに呼ばれていたんだな」

「はい、ま、あの、そうですが。この件は、はっきり言えば、三賀警視を殺した人物をあげるだけの問題ではありません」

「どういう意味かね」

「三賀警視が殺された理由は、彼が追っていた別の案件と関連しています。九暁家の闇を根こそぎ暴くためにも、早急に動かないほうが良いと考えます」


 管理官は、それが癖なのだろう。顎に親指をあて、鼻の下を人差し指の脇腹でさすっている。


「管理官にお聞きしたいのですが。この件、三賀警視を殺した被疑者逮捕というだけが幕引きでしょうか」


 管理官は答えなかった。沈黙の時間が長くつづき、先に口を開いたのは加瀬だった。


「昔から、彼らは血脈の存続のために罪を犯しても悔いることはありません。それが彼らなりの正義であり、宗教だからです。呪いを罪とする現代法はありません。それは刑法の要求する犯罪行為としての危険性がないと思われているからです。誰かが、呪い人形に針を刺して呪詛したからといって、警察が動くことはないのは、その効力など誰も信じていないからです」


 管理官が苦笑したのが見えた。

 加瀬も説得力がないと思った。なぜ、こんなことに必死になっているのか。まさに、三賀の呪いだと思う。


「三賀さんは自分の両親の死をずっと追っていました。これには呪いに隠された根深い問題があると考えたからです。そして、何より問題は、実行犯の存在自体がないということです。コンビニの映像がとらえた五十代の男ですが、どう調べても実態がない。彼は幽霊です。もし、辻湖を引っ張って、奴の所在が知れないとなると、そこで頓挫する可能性もあります」


 加瀬は、はっとして口をつぐんだ。

 三賀の言っていた戸籍のない者をどう捕らえたら良いのだろうか。

 どこかに隠されたら、所在を確かめるすべがない。監視ビデオに残る、画像の荒い人物写真でしか、実在しない男。

 これは、辻湖以上に厄介な存在だ。

 最初の勢いから、加瀬の声は徐々に小さくなった。断言できるような根拠もないと重々承知している。

 常にいい人である加瀬は、警官にもかかわらず人と正面から戦うのが苦手だ。その上、呪詛とかいう非現実的なことを言ってしまい、失笑をかっている……。


「根拠はあるのかね」

「はい、あります」


(いや、あるはずがない。何を言い切ったんだ、俺は)


「そうか、では、一週間だ。猶予を与える。その間に、確たるものを持ってこい。敷鑑チームの班長として、なんとしても答えを見つけろ」


(終わった……)




(つづく)

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