第4話




 九暁家の別宅から戻った加瀬は、鑑識に渡した塊の一部を切り取って、藤島の法医学研究室にも届けた。

 鑑識官の能力を疑っているわけではない。しかし、藤島なら、おそらく別の何かを発見してくれるはずだと期待した。

 翌日の午後、「他を後回しにして超特急で鑑定しました」というメッセージとともに、鑑識から結果が届いた。

 祠で発見された血液の混じった二センチほどの塊は、人血検査で人のものと断定された。

 さらにDNA鑑定に回した結果、土に混じった血液の遺伝子情報はXX。性別は女性である。しかし、問題は肉塊で、そちらは遺伝子がひとりのものではなく、遺伝子情報が混ざっている可能性が高いという結論になったことだ。

 どういう意味なのか、さっぱりわからず鑑識に向かった。


「加瀬さん、書いた通りの意味ですが。肉塊のほうは、DNA鑑定者が遺伝子情報の判別が難しいと言ってきたのです。だから書き方が曖昧なりました。これが間違いというわけではないのです。採取された肉塊は、異なる遺伝子が混じった状況で、これは、いわゆるキメラ遺伝子と呼ばれるものなんですが」

「キメラ?」

「キメラというから難しいですね。キメラとは、異なる遺伝子がひとつの状態にあることです。そこから導きだせる結論だけを言いますと、肉塊は妊娠中に母体と胎児を結ぶ胎盤の一部だと思われるのです」

「つまり、胎盤の一部が埋まっていたのか」

「そういうことです。胎盤は、妊娠中の母体のなかで胎児に栄養補給をする役割をもっています。子宮内の胎児は、精子と卵子の結合によって生まれたもの、つまり、父親と母親のふたつの遺伝子を持っています。つまり、両親の遺伝子を持つ胎盤をキメラであると言っているのです」

「まったく意味がわからない」


 妊娠中の母親と胎児はそれぞれ別の遺伝子を持っている。その中継をするのが胎盤なのだそうだが、加瀬は何度聞き直しても、よく理解できなかった。


「母体のなかで胎盤の役割は重要です。加瀬さんでもご存知だと思いますが」


 加瀬さんでもって、でもってなんだと思ったが、黙っていた。


「たとえばですが、輸血するときに、血液型が合わないと血管内で不適合を起こします。最悪の場合、死に至る。母親と胎児のあいだに、もし胎盤がなければ、この不適合を起こすのです。だからこそ、胎盤が必要であり、父親の遺伝子と母親の遺伝子を持つ胎盤をキメラと言っているのです」


 母親と違う血液型の胎児であっても、胎盤が血液を濾過して栄養素と酸素だけを運び、血液凝固などの問題がおきない仕組みを担っているというのだ。


「塊ですが、あれは胎盤の一部です。そう考えるとキメラであることの辻褄つじつまがあいます。専門的な話になりますが、胎盤と胎児は姿こそ違いますが、同じ受精卵から発生した一卵性双胎です。さらに興味深いことに、血液の一部は胎盤の遺伝子とは全く別物でした」

「話を整理すると、土中の塊は胎盤であり、別に土に混ざった血とは遺伝子情報が合わないと言っているのかい」

「まさに、そう言っています。両方の血液とも、遺伝子情報としてはXXですから、性別は女性です。それ以上の鑑定は不可能なんですが」


 藤島に送った血の塊も同様の結果がきた。しかし、彼は、さらに多くの情報を付け加えてきた。そこに三賀に対する彼の思いを感じて、加瀬は妙に悲しくなった。


「加瀬さん。あのDNAは三賀が握っていた毛根の主と血縁関係にある。それも母系の血縁で、続柄としては祖母と孫の関係のようだ」

「祖母と孫?」

「そうだ。この情報をもとに九暁辻湖のDNA鑑定をすべきだ……、僕の予想だが、毛根は、まちがいなく彼女のもののはずだから」


 この結果を管理官に伝えた加瀬は、逮捕状の請求ができると考えた。三賀は他殺で、DNA鑑定をすれば九曉辻湖に至る。


「裁判所で捜査令状を取ってきます」という声に、桂川管理官は「よし!」と言った。


 捜査は順調に進んでいるかのように見えたが、それでも、加瀬はひどくもどかしいものを感じていた。

 法を破る犯罪者に対して、こちらは法を遵守するしかない。それは両手を縛られて敵を追いかけているようなもので、向こうは自由に両手を使えるのだ。かといって、法を犯せば、ある意味、犯罪者と同じ場所に立つことになる。そこが、苛立たしくもどかしい。


「住民票によれば、あの屋敷には、現在、九暁辻湖と赤児しか住んでないっす。あとは、通いの運転手と使用人っすが、みな口が固い。周囲のものはみな辻湖に心酔? いや、明らかに畏れており、敬ってもいるようで、何も話さないんすよ」


 確かにそういう事だろうと、加瀬は納得できた。

 あの老女は普通ではなかった。何がと聞かれると困るが……。

 九暁家は世帯主である彼女がすべての実権を握っている。亡くなった夫も彼女に従っていたはずだ。

 戸籍謄本によれば、夫の九暁宗一郎との間に娘がひとりと息子がふたりいる。

 息子のうち、次男は十代の頃から精神病院に隔離され、四十九歳の今も入院している。長男(五十八歳)は医学部を卒業後、グループ病院の院長として経営に携わり、都内に住んでいた。

 息子ふたりは実子だが、娘の紫緒しおは養女で他界したばかりだ。例の別荘での火事があった数日後、グループ病院で亡くなっている。


「九暁家は不幸つづきですね」


 五人家族の二人が亡くなり、長男は東京に住み、次男は精神病院。養女の遺児がひとり増えた結果、九暁家に住むのは九暁辻湖と赤児だけで、赤児の名前は九暁笙妃くぎょう・しょうひとして届けられている。

 八十歳近い祖母が広い邸宅で、たったひとりで乳飲み子を育てているとは思えない。

 藤島にも情報を流そうと思った加瀬は、捜査内容を外部に漏らそうとしている自分に、はっとした。自分の意思とは別の、まるで三賀が乗り移ったような感覚に襲われる。

 結局、自宅に戻った夜、彼は藤島に電話した。


「紫緒が養女になったのは二年前、十八歳で最近亡くなっているんだね。死因は?」

「突発性虚血心不全という診断書が書かれていますが、産後の肥立ちが悪かったようです。九暁家の病院で亡くなった。遺児は九暁家が引き取り育てているようです」

「父親は?」

「それが不明です。戸籍謄本も空欄になっていました」

「妊娠したが男に捨てられて戻ったということなのか。彼女は二年前に養女になったばかりだね。九暁家は資産家だ。なんというか普通に考えたら援交(援助交際)の子かもしれないが?」

「藤島さんの口から、援交なんて言葉がでるとは驚きました」


 援交。確かに考えられないことではない。

 祠で発見された、土に混じった血液は女性のものだ。遺伝子的に九暁家の血が混じっていないなら、養女である紫緒の可能性がありそうだ。


「娘は出産後に亡くなった。その日は例の火事の数日後です」

「医師が親族だと、いろいろ便宜が計れそうだ。死亡診断書を書けばいいだけだからね」

 

 自分も医師のくせに、藤島の声には皮肉が混じっていた。推理するまでもなく、何かの不正を行ったにちがいない。

 同時期に祠に捨てられた胎盤の一部が残っていた。

 火事で亡くなったのは男性三人。女性はいなかった。だからこそ、娘が亡くなったのは、あの離れ屋だと加瀬も確信したが……。

 この一族は、九暁グループの名を冠する総合病院を持っている。

 警察が簡単に手を出せない理由を、なんとなく加瀬は察することができた。おそらく医師会にも影響力があり、その先には政財界の有力者たちがいるはずだ。


「確かに病院で便宜を図れるかもしれませんが、しかし、その推理も破綻しています。養女なら遺伝子的には血脈であるはずがない。あの祠で発見された胎盤は、九暁家の遺伝子を持っていた」

「遺伝子情報が混じっているから。なんとも言えないが。ただ、火事があった同じ頃に、あの場所で、なぜ女性の血液が発見されたかは疑問だと思わないか」


 一方で、九暁家は女系相続者を得たと、加瀬は確信した。産まれたばかりの女児が育っている。


(いや、奇妙だ。いったい、どういう意味だ。紫緒の産んだ子は九暁の血縁なのか。父親は、おそらく、九暁の血縁者にまちがいない。紫緒のほうは養女で血縁ではないだろう。じゃあ、どうやって、まさか……)


 ──そうだ。


(冷凍卵子を使い、仮腹による体外受精ということも考えられる。辻湖は高齢で妊娠は不可能だが、受精卵を保存しているのだ。その胎児を育てる子宮が紫緒なのか)


 加瀬はぞくっとした。


(まさか、俺の母親は辻湖……、いや、……。それは考えるな。考えれば変になってしまう)


 祠に埋められ、その後、隠された誰か。なぜ、無惨に祠にすてられたのか。ずさんな方法は例の火事と関係していると加瀬は直感した。

 あの火事は九暁家にとって突発的な何かが起きたのだろう。


「じゃあ、また連絡します」

「頼みます、有吏のためにも」


 藤島の声は穏やかだったが、どことなく寂しげに聞こえた。




(つづく)

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