第3話




 裁判所の令状を得て、その足で加瀬は鑑識官ふたりに田部を引き連れて別宅に向かう。


「田部、別宅に到着する五分前に、九暁家にメールを入れておけ。できるだけ邪魔されないようにな」

「了解っす」


 先に証拠隠滅をさせない用心として、ギリギリにメール連絡を入れると、すぐに電話がかかってきた。


「これは急ですね。立ち会いに行きますので、勝手に掘り返さないでください。聖なる祠です」と 九暁側からすぐ連絡がきた。

「裁判所からの執行命令がおりていますから」

「ちょ、ちょっと。すぐ行きます」


 慌てたような相手の声に加瀬はほくそ笑んだ。

 正門前で待っていると、立ち会い人として佐久間弁護士が駆けつけてきた。

 また、この男か。

 舌打ちしたい気分になったのは、初対面と同じように佐久間は尊大で、いけ好かない奴だからって訳じゃない。いけ好かないだけなら簡単だ。いけ好かない上に小狡い。つまり頭が回る。おそらく、徹底的に邪魔するつもりがあるのだろう。


「ここは九暁家にとって神聖な場所です。くれぐれも慎重にお願いします。中の方々を脅かさないように」

「なんですか、中の方って」

「それは、ほこらまつられた公暁さまと、ゆかりの者たちです」


 加瀬は声もなく笑った。彼には珍しく皮肉な様子だったので、田部が不思議そうにしている。そんな顔、加瀬さんに似合わないですよと言わんばかりだが、田部は何も知らないのだ。

 この禍々しい祠の真の意味さえ知らない。

 この場所に来るのは半月ぶりだが、しかし、ずいぶんと昔に感じられる。

 焼け落ちた屋敷は以前のまま打ち捨てられ、片付けが入った様子もない。このまま放置して廃家にするつもりなのか。

『九暁家の聖域に、かってに触れることも、まして掘るなど論外な場所です』と、あの日、佐久間が立ちはだかった。

 その言葉が嘘ぽく聞こえるほど、聖域はまったく手入してない状態で、竹と雑草に呑み込まれようとしている。

 この季節の竹は成長が驚くほど早い。

 一昼夜で一メートルは伸びる。手入れをしなければ若竹が乱立して、生活区域に乱入してくる。このまま数年もすれば、竹に占領され、全てが朽ち果て、屋敷は森の一部へと帰っていく運命だろう。

 佐久間は神聖な場所だと言うが、その言葉と、この状況には矛盾が生じるとは思っていないようだ。

 あるいは……、三人が亡くなった場所を闇に葬りたいのか。

 彼らの遺体は、それぞれの家族に返され、すでに荼毘にふされたと聞いている。

 加瀬は虚しさを感じた。

 いったい、何を三賀はしたのか。いや、何をしたかったのか。死んでしまうことほど無駄はない。たとえば、殺されかけたときに、それを避ける手段はあったはずだ。彼は自ら望んで死地に飛び込んだと、加瀬は考えるしかなかった。


「すべてはこの屋敷からはじまった」

「加瀬さん、そんなどっかの預言者みたいなこと堂々と言われても、様にならない

すよ」

「黙っとけ。さあ、掘ろうか。では、すみませんが、はじめてください」

「わかりました」


 鑑識官がふたり掛かりで、注意深く祠の土をスコップで掘り返しはじめた。

 佐久間は表情も変えずに立って見ている。以前に三賀と来たとき、彼は断固とした態度で祠を暴くことを阻止したものだ。

 裁判所の令状もなく、確かにそれは被害者宅で暴挙だったにちがいない。

 今回は令状がある。

 祠は三賀と来たときと同じように土が新しいと気づいた。いや、これは新しすぎる。すでに掘り替えして証拠隠滅をはかっている。先に予想していたのかもしれない。そう考えると徒労感が増す。


「巫女さまか」

「なんですか、加瀬さん」

「いや、なんでもない」


 ここ数日、睡眠時間も削り、足が棒になるくらい歩いて地域情報を集めたが、目立った証拠は出ていない。その上、ここで何も出ないのかと思うと、心身ともに堪える。


「何もないですね。土だけです」

「ああ、まだまだだ。さらに掘ってくれ」


 鑑識官たちがスコップで丁寧に掬うように掘り返していく。

 加瀬は再び奇妙な幻影を感じた。黒く、蠢く、形のない影がじわじわと祠から漂ってくる。

 足もとに底なしの闇が広がったような、どうしようもない不安に襲われる。


「田部」

「なんですか?」

「なんか重苦しいと思わないか? なんていうか、抑え込まれるような、そういう気分にならないか?」

「どうしたんですか、加瀬さん。気分が悪そうすね。二日酔いすか?」

「飲んでないよ」


 ぐるりと全員を見渡したが、とくに誰も変わった様子はない。


(俺だけか……。三賀さんの死で神経質になりすぎている……、いや、違う。またているんだ)


 今日はゴールデンウイークを挟んだ平日で、日中の気温も二十三度ほど。その上、竹林に太陽光が遮られ、少し肌寒いくらいだ。しかし、土を掘り返す鑑識官たちは大量の汗をかきはじめた。彼らも意識せずに、ているのだろうか。

 と、加瀬は息が詰まるような、襲いかかってくるような奇妙な感覚に、ジリジリと肌を焼かれるような気がした。うぶ毛が毛羽立っている。

 掘り返す土にはなんの変化もない。


「ちょっと、止めて。いや、掘るのを中止してください」


 祠の新しくなった土部分をすべて掘り返したが、何も出てこない。しかし、土の色が変わったのに気づいた。おそらく、この部分は古い土だ。


 ──大量の血が……、流れた。


 ふいに、耳もとでささやく声が聞こえ、加瀬は慄然とした。周囲を見渡す。ここに来たもの以外に誰もいない。

 田部は一メートルほど背後におり、誰も耳もとで囁いていない。

 風が吹き抜け、竹林を鳴らす。


「ちょっとまて、この場所でルミノール反応を試してくれ。古い土に染み込んでるかもしれない」


 ──そうだ。


「え?」


 大きく問い返した自分の声に驚いた。


「加瀬さん、どうかしたんですか」

「いや、気にするな。ともかく」


 鑑識がルミノール液を丁寧に噴霧する。

 ルミノール液は新しい血痕よりも、むしろ時間が過ぎた古い血液のほうが強く反応する利点がある。ただし暗い場所でなければ発光しない。昼間ではむずかしいことはわかっていた。


「シャーレを貸してくれ」


 鑑識官が、アルミニウム箱から、ガラス製のシャーレを取り出した。そこに土を入れる。

 上着を脱いで、シャーレを囲み、簡易的な暗幕にして、その中を覗いた。

 薄紫色にシャーレの土が発光している。やはり出たか。


「加瀬さん」

「ビーカーに土を採取して、人血検査にまわしてくれないか」

「いったい、何を探しているんですか。古くからある墓なんですよ。雑木に囲まれた場所ですし、動物の血が落ちるなんてことがありそうですけど……、おや、あれは?」

「なんだ」

「血の塊というか、なにかの内臓のような……」と、田部が発見した。


 田部のいう場所に、二センチくらいの土の塊のようなものがある。その土が剥がれた箇所が赤黒い色をしていた。

 鑑識のひとりが、丁寧に周囲の土とともに、それをシャーレに移した。

 佐久間の口もとが歪んだのに気がついた。彼は表情には出さないが動揺しているにちがいない。

 普段の加瀬なら、直感など信じない。しかし、今回に限っては確信があった。

 これはまちがいなく人血だ。いったい、ここに埋まっていた者は誰なのだろうか。


「前も言ったように、ここは九暁家にとって聖なる祠です。さらに掘り続けて、公暁さまのお骨を……、あなたたちは呪われますよ」

「弁護士先生が、また非科学的なことをおっしゃるものだ」

「これ以上、掘り返すのは、やめてもらいたい。ここは神聖な場所であり、遺跡調査のようなことは禁忌なのだ」

「ですが」と、田部が言ったが押し留めた。


 祠を掘り返しすぎることに、加瀬自身も耐え難く感じていたのだ。いったいこれは、どういう感覚なのか。

 原始的な不安に似た恐怖のようなものだ。

 佐久間が言うように、確かに、この場所から現代の殺人事件より、さらに遠い過去にあった忌まわしいものを掘り出しそうだった。


(三賀さん、それを知りたいわけじゃないだろう)と、彼は心の中で聞いた。


 何かが肯定した。それが何なのか知りたくなかった。




(つづく)

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