第2話




 毎朝九時から『特別捜査本部』が開かれることになり、俄然、署内は慌ただしい空気に包まれた。これより関係者は日々の情報を共有することになる。

 加瀬は、それが三賀の願いだったことを知っていた。


(よかったな、三賀さん。いよいよ帳場だ。あなたの思いは……)、そこまで考えてから、加瀬は複雑な気分になった。

 三賀の事件を解決することは、取りもなおさず彼の関わりが公になることを意味する。三賀の父親が救ったのは、他ならぬ自分なのだ。この事実を言うべきか、黙っているべきか。


(俺は小さい男だ。三賀さんは命をかけて九暁家に向かったんだ。今が、あの家族に救ってもらった礼をするときだ。わかっているな、加瀬、腹をくくれよ!)


 第一回目の帳場(特別捜査本部)が緊張のうちにはじまろうとしていた。

 管理官である桂川の合図で、神奈川県警から来た女性がきびきびと前にでる。いかにも有能そうなタイプだ。


「机上の資料をご覧ください。まずは、これまでわかっている事件のあらましを共有します」


 加瀬の机にも分厚い資料が置かれ、『江ノ電殺人事件特別捜査本部会議用』と表紙に書いてある。

 いったい誰がこのネーミングにしたのか。センスの欠片もなく、微妙に事件とは別の方向性を与えてしまう気がした。


「……以上が事件のあらましになります。当日、三賀警視の足取りは定かではありません」


 捜査員は、そこで区切ると、確かめるように桂川管理官の顔を見た。彼は、あいかわらず親指で顎を支え、人差し指で鼻の下をさすっている。

 その無表情な顔に不安を感じたのか彼女は早口になった。


「さて、ここでの注目点ですが、事件当夜、携帯電話の通話記録について、資料の五ページをご覧ください。午後七時、警視が連絡を入れたのは九暁家の固定電話です。通話記録を取り寄せたところ、一分ほどの通話で切れています。次に、午後八時、午後九時、それぞれ同じ番号に連絡を入れています。通話時間は、二分から五分弱と徐々に増えています」

「そうなの。で、九暁家は誰が出たの」と、管理官が口を出した。

「手伝いをしている女性でした。三回とも同じ女性が電話を取っています。電話内容は、九暁辻湖と話したいという内容だったそうですが、素性の知れない人には取り次げないと断ったと供述しております」

「通話記録によると、一分以上話しているよね。内容がそれだけって、変じゃない。それだけなら、二十秒もかからないだろう。三賀警視は身分を名乗らなかったの? そこ、誰が聞き込みに行った?」


 前列にすわる加瀬の知らない男が手をあげた。


「彼らは口裏合わせをしているようでした。聞き込みには、『知らない』、『わからない』の一点張りで。電話についても、それだけを話したと。あとは佐久間弁護士を窓口にして欲しいと口をつぐんでいます」

「そう」

「加瀬くん、何か言いたいことがあるんじゃないか?」


 しばらく沈黙が続いたあと、いきなり大脇が声をかけてきた。ここでも注目されるのかと、加瀬は鼻白んだ。


「桂川管理官、彼は三賀警視に呼ばれ、彼とともに九暁家の別宅である離れ屋の火災を調査していました」

「そうなの」


 桂川管理官の声は微妙に冷えた。知っていてとぼけているのか、別宅に触れることに鬼門でもあるのだろうか。なんとなく後者の気がした。

 加瀬は立ち上がると、皆の視線を感じた。


(はああ、三賀さん。これを押し付けて逝ってしまったんですね。わかってますよ。そのために俺を使った。あなたの道具になった気もしますが、あなたのご両親には恩がある。その権利はあるとわかっています)


「敷鑑班の加瀬です。三賀さんに呼ばれて捜査していた九暁の別宅ですが、離れの裏にほこらがありました。当時、三賀警視が、祠の土が真新しいと気づいて掘り起こそうとしたのですが、しかし、その場に九暁辻湖と佐久間弁護士があらわれ、被害者宅の神聖な祠に手をつけるなと拒否されました。今回は裁判所の令状が取ることが可能かと考えます。この祠を調査したいのですが」


 管理官は顎においていた手を外して、ただ、振った。それはやめろと言ってるようだが、何も言わない。

 しばし、沈黙があった。


「他に?」と、彼がうながした。


『地取り』班の刑事が発言した。


「当夜、海浜公園の横にあるコンビニに、一台の黒いセダンが駐車していました。犯行時刻近くで、コンビニが設置しているビデオに残った映像がありました。その場に、三賀警視らしい人物と、老齢の女性およびボディーガードのような男性の姿が、一瞬ですが写っておりました。画像が不鮮明なので、コンピュータ処理しているところですが、男はまちがいなく三賀警視でした」

「残りのふたりは」

「九暁辻湖らしき人物とそのボディーガードらしい男です。男については確認中ですが。五十代前後の背中が曲がった大柄な人物でした。身元確認はまだです。車内には運転手らしき人物が残っていました。車両ナンバーはわかりませんが、車種はトヨタ・クラウン、黒いセダンです」

「そう」

「車は三十分ほど、その場に運転手を残して駐車していました。再び戻ってきたふたりは、そのまま帰りましたが、三賀警視の姿はありませんでした」

「そうなの。それは裁判所で家宅捜索をする令状が取れそうだね。高橋さん」と、管理官は隣を見た。


 帳場は俄然、活気が出てきた。

 それから、さまざまな意見や情報がだされたが、コンビニ以外の情報は、どこかピント外れな気がした。

 管理官は三賀の他殺を九暁家と結びつけはしているが、しかし、彼と九暁家の関わりから、突発的に起きた事件という捉え方だ。おそらく、犯人として九暁家の誰かが引っ張られ、そして、早期解決となりそうな予感がした。

 そうではない。何か奇妙だという違和感が、加瀬のなかで大きくなるばかりだ。問題は、その違和感の根拠が明白な証拠に基づくものではないことだ。

 特別捜査本部での会議は一時間ほどで終わった。

 このままでは、まずい。

 加瀬の脳裏には、江ノ電で生きているようにすわっていた三賀の姿が焼き付いていた。

 彼は、会議後の管理官を呼び止めた。


「管理官」

「なんだ、加瀬くんだったね」

「敷鑑班としては、先ほどの別宅の件で裁判所に令状を取って、祠を確認したいのですが」


 彼は、あきらかに不服そうだったが、「まあ、よかろう」と譲歩した。


(三賀さん、やっと鬼門に入り込めそうだ)


 加瀬は思わず三賀に心の中で話しかけた。

 三賀は鎌倉で発見された九暁家の三遺体も殺人だと考えていた。本来なら、あの火事も含めて捜査すべきなのだが、それを言えば、さらに事件は複雑になる。上層部は、それを望んでいないように見える。その理由は明らかではないが、なんとなく察することができた。

 廊下で田部が待っていた。


「おお、田部。今から裁判所に行って令状をもらい、離れ屋の祠の調査をするよ」

「加瀬さん。祠を掘り返すのですか」

「ああ、そうだよ」

「バチがあたりませんかね」

「まったく迷信深いな」


 強いて笑ったが、迷信深いことにおいて、加瀬ほど身にしみているものはいない。彼は、昔からていた。


「三賀さんって、相当に強烈な人だったんすね。加瀬さんが、そんなふうに積極的に行動するなんてね」


 実際の加瀬は、それほど積極的な気持ちではなかった。

 人とは思い込みが激しい動物だと思っている。同じ事柄でも、十人に聞けば十人の答えが返ってくるものだ。同じ人物を目撃した者たちが、ある者は背が高いと供述し、ある者は低いと供述したりする。

 自分も見当違いの思い込みをしている可能性を考えると、加瀬は苦笑いするしかなかった。


(本当に俺はんだろうか。それとも、母が言うように、見えると思い込んでいるんだろうか)




(つづく)

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