第4話




 加瀬は海浜公園を後にして、古巣の鎌倉署に戻った。監視カメラ映像や所持品の調査、そして、連絡すべき親族を探すなどの雑務をこなすためだ。

 ほとんど声を荒げたことのない加瀬は、自分の感情を抑えることに慣れている。

 それでも……。

 

「大丈夫ですか、加瀬さん」と、田部に聞かれたとき、胸に鉛玉を撃ち込まれたような気分がした。

「大丈夫って、なんだ。たったの二週間ほどだよ。彼といっしょにいたのは」

「加瀬さんって、隠すのが上手いのか下手なのか。ほんと微妙っすね」

「ちっ、仕事、仕事」


 もっとも気になったのは、遺体やその周囲に灯油が撒かれていたことだ。

 三賀の全身に灯油がかかり、強烈な匂いを放っていた。犯人は、なぜ火をつけずに逃げたのか。そこに逮捕の糸口がありそうだ。


「三賀さんって」

「今度はなんだ」

「警察に入ったときの身上調査票に、連絡先を空欄で提出しているんすね。そして、身元保証人は友人になってる」


 三賀の両親はすでに他界しており、彼はひとりっ子で兄弟姉妹はいない。親族を調べたが、親戚との関係は薄く、二十年近く連絡も取っていないようだ。両親が亡くなったあと、もしかすると遺産でもめたかもしれない。そうした理由で親戚関連の縁が切れることは多い。

 入庁時の身元保証人に、藤島祐樹の名前があって驚いた。


(俺と境遇的には似ているのか……)


 加瀬は養子だった。

 中学生になるまで両親を実の親だと信じていた。祖父が亡くなったとき、たまたま戸籍謄本を見て自分が養子であることを知った。

『身分事項』の欄には、「養子縁組」と記載され、実親の欄は空欄になっていることに衝撃を受けた。驚きのあまり手が震えたことを今でも覚えている。ただ、震えただけで両親には何も言わなかった。

 言えなかったのだ。彼らが実の我が子のように愛情深く育ててくれたから、知れば悲しむだろうと考えた。

 養子縁組は加瀬が一歳になる前であり、産みの親の記憶はまったくない。


「なんだか、こういう言い方も変だけど。三賀さんって、とても孤独なんすね」


 田部が嘆息するように言ったのには、胸をつかれた。涙ぐみそうになって横を向いたとき、大脇が声をかけてきた。


「加瀬、ちょっと来てくれ」


 あまり話したい気分ではなかったが、逃げる訳にもいかない。

 

「なあ、加瀬さんよぉ。解剖結果で事故か他殺かを見極める必要があるんだがな」


 大脇はわざとらしく困った表情を浮かべ、はち切れそうな腹を左手でさすった。


「事故? それは、ありえませんよ。灯油をまかれ、手錠をかけられてましたし、他殺です」

「ともかくだ、加瀬。三賀警視のもとにいたからって私情を挟むな。それは、いかんよ。そこは冷静にだな」

「大脇さん。歯切れがわるすぎて。いったい何が言いたいんですか」

「言うな。問い詰めるな。黙っておけ。これは非常にデリケートな事案なんだ。そして、なお悪いことにな、なぜ、デリケートなのか、俺も知らんってことだ」

「どういう意味ですか? さっぱりわかりません」

「神奈川県警の捜査一課から連絡がきてるぞ。公安部ではなく捜査一課な。ひと波乱もふた波乱もありそうな声で、おまえを呼んでいた。まったく、例の火事が起きてから、今でしょ! ってくらい、加瀬ちゃんモテるな」


 加瀬は呆れた。昨年の流行語大賞になった『今でしょ!』って言葉を、なぜ、ここで使うのだろうか。

 その残念なセンスが人気取りをしようとして外しているとは、大脇は気づいてもいない。


「そこは、譲りましょうか」

「だめ、だめよ。そこは、いらん気遣い。ともかく捜査一課の課長の、高橋警視に会いに行ってくれ」

「はあ……」


 大脇は話が終わった合図に、右手を胸の前で振っている。

 すぐに神奈川県警に行けということだ。この場合、戻るというのか行くというか、加瀬自身も迷う。

 藤島からもメールが来ており、横浜で会おうと書いてあった。横浜なら鎌倉署より県警本部から行ったほうが近い。

 藤島に午後三時過ぎなら抜けられそうだと返信すると、具体的な場所をすぐに提示してきた。

 それから、加瀬はJRで県警本部に向かった。

『みなとみらい』は今日も華やかで、多くの人で大いに賑わっている。

 いったいどちらがいいのだろうか。こんな春の陽気の美しい日に悲劇的なことを知るのと、どんよりした曇天の日に知るのとでは。

 キラキラと日差しに輝く海面を見ながら、「三賀さん」と彼は呼びかけた。


(あんたは、いったい何をしてしまったんだ)





 県警察本部に到着して、そのまま公安には立ち寄らず捜査一課に向かう。少し迷ったが、捜査一課の大部屋を探して、「高橋警視を」と案内を乞う。


「高橋さんなら、窓側のあそこです」


 加瀬は言われた場所に向かい、挨拶した。

 高橋は、でっぷり太った大柄な男だった。大脇といい、捜査一課の課長は太るのがデフォルトなのだろうか。


「公安に出向している加瀬です」

「そう、君か。君が加瀬くんか、捜査一課長の高橋だ」

「わたしにご用だと聞きましたが」

「待て待て、俺といっしょに来てくれ。ちょっとね、静かなところで話そうか」

 

 身体が重かった。いっそ、このまま疲れに身を任せて、すべてを忘れることができればと思うほど、疲れを感じた。

 まだ三賀から連絡が来そうな気がしきりとして仕方がない。


「君、大丈夫か?」

「あ、はあ。大丈夫です」

「そうか、この部屋だ。入りたまえ」


 高橋は捜査一課の隣りにある個室に案内した。そこで、これまで三賀と何を捜査していたのか、根掘り葉掘り聞かれることになった。


「……そういうわけで。九暁宗十郎くぎょう・そうじゅうろうら三人の焼死体が鎌倉で発見された事件を彼とともに探っていました」

「公安案件か」

「そうです」

「しかしな、加瀬くん。公安課では三賀警視が何を探っていたのか把握していないというのだ。独自捜査だったらしくてね。鎌倉市で起きた火事で発見された遺体については、九暁家から早く遺体を返還して欲しいという要望が来ている。他殺を疑う状況もあるにはあるが、しかし、検死解剖では死因は不明だそうだな」

「そうです」

「それも公安部の案件ではないということだ。君の考えは?」

「九暁事件について、三賀さんが、なぜ自ら捜査することにしたのか聞いておりません。鎌倉署から呼ばれたのは、単に土地勘があるということだったので」

「三賀くんはね、ここでも特殊な存在だった。疫病神というか、いや、口を滑らせた。聞かなかったことにしてくれ。ともかく、彼の行動を誰も把握はしとらん。ただ、その上から自由にさせて欲しいという命がくだっていた。だから、彼は聖域扱いだ」


 そう言って、課長は自分の頬に触れた。今の状況に困惑しているのだろう。


「君には、いろいろ申し訳ないが、鎌倉署に戻ってもいいよ。公安課のほうには話を通しておく」


 三賀を失った今、加瀬が県警本部にいる意味はない。もともと三賀が特殊な地位で招いたのが加瀬である。


「あの」

「なんだね」

「半年ということで、こちらに配属されました。この案件に警察が及び腰なのは、九暁家が関わることだからと、三賀さんから聞いてます。例の三つの遺体、三賀さんは他殺であることは間違いないと思っていました」

「しかしだ」

「このまま、半年間だけ、独自に捜査させてもらえませんか?」


 課長は、ただ渋い表情を浮かべた。


「組織を軽くみてはいけない。君はその一員だということを決して忘れないで欲しいのだが」


 加瀬は白い歯を見せて、誰も抵抗できない無邪気な笑顔を浮かべた。



 

(つづく)

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