第2章
第1話
平成二十六(2014)年四月末。
加瀬は、「本気じゃないから」と言い訳しながら、結構、本気でがんばる人が好きだった。微妙な照れが見て取れたとき、その人間臭さをほほ笑ましく感じるからだ。
加瀬は違う。
彼は人間臭いようで、案外と仮面をかぶっている。
ワンコ系の顔で年齢より若く見え、ほんわかした印象を与える加瀬は敵を作らない。穏やかに見える性格からしても、強い信念を持つ男とは思えない。
が、実際は違う。
けっこう熱い思いを胸の奥底に秘めている。だからだろうか、いざとなると頼りになる男で、『困ったときの加瀬頼み』と言われてもいる。先輩後輩には好かれるが、出世競争をする同期からすれば、ちょっとだけ癪にさわる。
加瀬とはそういう男だ。
高校卒業後、警官になって十八年、大きな失敗も大きな成功もないが、地道に真面目にコツコツと仕事をこなしてきた彼は、周囲の信頼もあつい。
それでも、三賀がなぜ彼を呼んだのか。その理由は見当もつかなかった。
『公安特別資料室』に配属になって数十日が過ぎたが、捜査に進展はなく事件は行き詰まったように見えた。
三賀の望むような秘密裏に捜査するなど、そもそも人的パワーが低すぎて前提から間違っていると、加瀬は徒労感さえ覚えている。
一方で、「三賀さん、睡眠をとっていますか?」と、加瀬が聞くほど、三賀は事件に専念していた。
いや、専念という言葉では足りない。狂気じみた執念であり、執着で……。
まったく呆れるしかない粘り強さ、こんな刑事を見たことがなかった。もちろん、事件に執念をもってあたる警官は少なくない。しかし、三賀のそれは違う。常人には理解がむずかしく、言葉では表現できない何か別ものだった。
「三賀さんがいう戸籍をもたない者の手がかりさえ、まだ、つかめていません。このまま膠着状態がつづいては、我々だけでは無理ですよ。なぜ、他人の手を借りないんですか? 特別捜査本部も立たないんじゃ、お手上げだ」
「特別捜査本部を立てるだけの犯罪の証拠がない」
三賀は急にぼんやりした表情を浮かべ、窓の外へと視線をうつした。加瀬はその視線を追う。赤煉瓦倉庫のイルミネーションが点灯しはじめていた。
沈黙の時が、ただ息苦しくつづく。
ふいに何の前ぶれもなく、主語も述語も関係なく、三賀はいきなり要点を話しはじめた。
「あの洋館で住んでいた者がいるのは間違いない。おそらく、洋館ではなく離れ家に住んでいた。家庭菜園のように野菜も植えられていたのだ。自給自足の生活だったろう。完全に焼け落ちたので証拠はないが」
水道水が使われた形跡はあるが、近辺のものに聞き込みをしても、あの屋敷に住む者を知っている人間はいなかった。
九暁家の弁護士、佐久間に事情を聞くと、『ときどき、手入れのために、九暁家の者が行っております』という嘘っぽい作り話しか戻ってこなかった。
『九暁家の者とは』
『使用人です。部屋の空気を入れ替え、庭木の手入れをして掃除をする。月一回ほどのルーティンですよ』
佐久間の話を聞く三賀の顔は、あからさまにゆがみ、失礼きわまりない表情を浮かべるので……、加瀬は何も言わなかったが、内心ではあわてていた。
『裏庭で家庭菜園をしているが、あれは何のために?』
『ああ、あれですか。奥さまが自然農法がお好きで、あの場所を使っていたのです。手間がいらない野菜ばかりで、やはり行ったものが収穫しておりました』
『ほお、それは事実かな。あそこで自給自足の生活をしていた者がいたように見える』
『まさか。ご冗談でしょう』
のらりくらりと返答をして、質問をはぐらかす。佐久間はなかなかのキレ者のようだった。
『洋館はいつ建てられたのですか?』
『洋館を建てたのは、昭和初期です。第二次世界大戦に突入する前は、都内に住む一族の疎開先として利用していました』
敷地内にあった監視ビデオを回収したが映像はなかった。
侵入者を防ぐためのフェイクカメラで、実際に使用していないと佐久間は言う。
三賀とともに、ハシゴを使って監視ビデオまで登り、機械を調べたが壊れてはいなかった。
「監視映像はあったな。ただ、それは消されている」と、三賀は言った。
駐車スペースに残る黒塗りのセダンが、火事の前日、鎌倉街道を谷戸に向かって走り抜けていく映像が残っていた。
この数十日ほどで、わかった事といえば、三人の身もとを正式に確認したくらいで、死因はいまだに不明だ。
三人のうち、ひとりは
七十八歳で妻と息子ふたりに養女にした娘がひとりいる。彼は婿養子で、妻である辻湖は
神道の亜流であるこの教団は、死を穢れとし万物を神となす精霊信仰を行う秘密教団だと、嘘っぽい説明を聞いた。
二人目は
九暁家とは母方の親戚関係になる産婦人科の開業医、五十九歳。妻は他界し、息子がふたり。ひとりは産婦人科医。ひとりは医学部の大学生だ。
九暁家の用心棒で運転手である。孤児のようで、親はいない。
彼らが洋館に行った理由を問いただすと、『ひさしぶりの休暇をとって、別荘でのんびり過ごした。こんな悲劇になるとは』という返答だ。
『職業も年齢も違う三人が、ともに休暇で遊んだ理由はなんですか?』
『運転手の長谷川は常に当主と一緒ですから、ともに参っただけです。加茂さまは親族ですから』
『犯人の心あたりは?』
『犯人? まさか当主は殺されたのでしょうか』と、佐久間はすっとぼける。
関係者は口裏合わせでもしたように、同じ答えをする。
火事による遺体の損傷が酷いが、三人とも心臓や肺などの内臓に損傷はない。血管の破裂もなく、骨折もない。
毒物も検出されず、一酸化炭素中毒など、さまざまな可能性を探ったが、検視解剖では理由が見つからない。
突然、息を止めたとしか説明のしようがない死因であった。
『きれいなもんだ』と病理医の藤島が独特の表現を使った。
加瀬は頭を掻いた。
「刺殺されたわけでも、撲殺されたわけでもなく、毒物も検出されない」
「それでも他殺だ」
「その言い方、まるで駄々っ子みたいですよ。子どもが欲しいお菓子をねだって騒いでいるようだ」
「ふん」
「洋館も離れ屋も燃えて、犯行の証拠も消えている。恐怖で心臓発作でも起こしたんでしょうか? ホラー映画でも見たとか」と、冗談にすると、三賀が、「そうかもしれん」と真面目に答えた。
加瀬は、その声が妙に引っかかった。
「わかっていないことがある。目に見えない何かだ。その存在がわからない」と、三賀はつけ加えた。
三賀は感情より理性で動く男に思える。
強引な振る舞いや、傲慢で独善的な態度や、いかにも人を小馬鹿にしているような様子に、最初は好感がもてなかった。
なんとか上手く関係を保ちたいとは思ったが、三賀にまったくその気がない。好かれることで人を懐柔してきた加瀬にとって、やりにくい相手である。
しかし、彼の無駄のない思考回路に、たとえば、捜査手順にしても、聞き取り調査にしても常に最適な方法で行い、時間的ロスがなく、ロボットかと思うほどだ。同じ調査をするのに、加瀬なら、もっと時間を無駄に使っただろう。
そんな三賀が見えないものがあるのなら、一体誰なら見えるというのだろうか。
(つづく)
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