第8話




 翌日、出勤すると、三賀が車のキーを放ってきた。


「これから、遺体の解剖結果を聞きに行く。つきあえ」

「え? もう結果が出たんですか?」

「優秀な病理医に頼んでおいた」


 三賀の口から『優秀』という言葉がでたのに驚いた。自分以外、みな愚か者だと考えていそうな傲慢な彼が認めるとは、いったいどういう人物なのだろう。


「それは早かったですね。性別も判然としない焼死体だから、検視解剖が難しいでしょうし、事件性を考えれば、結果を知るのに時間を要すると思っていたんですが」

「だから、優秀だと言ったろう」


 どんな手段を使ったのだろうか。特別捜査本部もないケースだから、尚更、このスピード検視は異例だ。

 疑問を覚えながら彼が指示した大学へ向かった。

 大学の法医学教室では、三賀が優秀と言った医師が待っており、加瀬の疑問はとけた。

 病理医である藤島祐樹ふじしま・ゆうきは三賀の高校時代からの友人だという。

 三賀は県警本部でも浮いた存在だ。署内に友人どころか、仲間さえもいないから、友人がいたことに、まず驚いた。

 紹介された藤島の顔を二度見したほどだ。

 その上、ふたりはあまりに対照的だった。

 藤島は、黄ばんだ白衣を着た痩せた男で、骨格が細い上に、猫背ぎみに歩く姿は微妙に身体全体が揺れてるように見える。パッと見だけならば、どこかの路地裏で浮浪者としていても違和感がない。

 紳士然とした三賀の友人とは想像できないが、しかし、ぼさぼさの長い髪に隠れた顔が現れたとき、加瀬ははっとして息をのんだ。その顔は中世的な繊細さがあり、美しく、非常に魅力的だった。


「よう」と、三賀が呼び、「ああ」と藤島が慣れた様子で答えた。


 互いにそっけない。

 まるで、それが日常であるかのように、一緒に暮らしているかのように、自然で遠慮がない。


「それで? 祐樹。結果は?」

「まず、基本的なことから話そうか。性別は全員男性。ひとりは七十代から八十代ってところか。もう一人は四十代から五十代で、大柄な男性は若い。二十代から三十代ってところだ。日頃から、かなり身体を鍛えており、肺や心臓が発達している。老齢の遺体は、おまえが手配した歯型から、九暁宗十郎くぎょう・そうじゅうろうに間違いないだろう」

「そうだとすれば、若い男は長谷川洋司だ。彼の運転手を兼ねた警護の者だろう」


 県警本部で腫れ物扱いされている三賀に、藤島は『おまえ』と親しげに呼んだ。もし、三賀が学生時代からの知り合いだとしても、自分ならぜったいに彼を『おまえ』呼ばわりはできないだろうと加瀬は思う。

 加瀬はなんとなくだが、自分が邪魔者のような気がした。どこかしっくりせず、居心地が悪い。それは、常に張り詰めた三賀が自宅でくつろいでいるように見えるからだ。

 その理由を知りたくはなかった。

 ふたりの持つ絶妙な空気感は、けっして触れてはならない禁忌のように感じたからだ。


「もうひとりが、誰か予想がついているような口ぶりだな」

「ああ、おそらく、縁戚関係にある産婦人科の賀茂医師だ。彼も行方が知れず、鎌倉の家が焼けたことで、家族から連絡があった。年齢は四十九歳だから、所見とあっているだろう。死因は?」

「死因は不明としか言えない。焼死ではない。それは肺に煤が入ってないことからも確実だ」

「三人ともか」

「ああ、そうだ」

「つまり、三人のうち誰かが残りの二人を殺害して、道連れ自殺したわけではないということだな」

「まちがいない。外皮は重度のヤケドを負っており、死因を調べるのは困難だが、消去法で考えても、内臓に死に至るような打撲、刺創もない」

「外傷がないということか」

「そういう意味だよ。おまえのせいで、徹夜で検視解剖をしたんだぞ。きつい声でビシビシ質問するな。朝から頭痛が出はじめているんだ」


 三賀が唇を真一文字にすると、頬にエクボができた。それは、まるで笑っているように見えて驚いた。


「ああ、だめだ、有吏。今の僕に、おまえの愛嬌はきかん」


 これは、いったいどういう種類の会話だ。まるで恋人どうしがじゃれ合っているように聞こえる。

 そう感じた瞬間、加瀬は、それを全力で否定した。

 視線を落とし、汚れたリノリウム床を見つめ、唇を手でこすった。

 三賀に肩を叩かれた。


「加瀬巡査部長、聞こえないのか。さっきから何度も呼んでいるだろう」

「あっ、すみません。な、なんでしょう」

「聞いているのか」

「聞いています」


 藤島が楽しそうに声を出して笑った。神経質そうなところは三賀と似ているが、彼より人間味があった。


「チッ、おまえ、ちょっとは社会性を持たんとな。……加瀬さんでしたか。こいつと一緒では、さぞかし大変でしょう」

「は、はあ。否定はできません」

「勘弁してやってください。こいつは、重い過去を背負っているんです。九暁に関する事件に執着しててね、狂気……」

「祐樹っ!」

「あわ、わかった、わかった。……さあ続きだ」


 口に出しかけた言葉を途中で止められるほど、嫌なものはない。が……、加瀬は不満をあらわさなかった。

 三賀が慣れた様子でビニール手袋をはめ、遺体の頭から足の爪先まで調べはじめたからだ。その上、マスクを外し顔を近づけて匂いまで嗅いでいる。

 解剖室は独特のひどい匂いがする。

 それは死体からでる腐敗臭だ。それこそ、鼻がひん曲がるような吐き気がする匂いだ。

 遺体に顔を近づけるなど、加瀬にはぜったいできないが、三賀はまるで花の匂いでも嗅いでるように平然としている。


「アルコールの匂いがかすかに残っている」

「ああ、三人とも空きっ腹に酒を飲んだようだ。胃の内容物がほとんどないが、胃液にアルコールが混じっている。かなり空腹の状態で亡くなっている」

「気になることがあるのか」

「ああ、アルコールに血液が混じっているんだ。死因の特定は、まだできないが、毒物である可能性は否定できない。解剖ではわからないから、胃の内容物と体液を薬学部に送っておいた」

「それは想定内だ。三人同時に、それもひとりは格闘技に優れた大男を殺すには、その方法以外はないだろう」

「ともかく、毒物検査をするように送ってある」


 話しながら、三賀はビニール手袋をゴミ缶に投げ捨てた。




(つづく)

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