第7話




「たとえ、この場が神聖な祠だろうと、捜査で必要なことはする」


 三賀はそっけなく、社会性の欠片もない態度で言い放った。が身についた加瀬としては、ハラハラしてしまう。

 この態度で、よく仕事ができたものだ……、いや、それが許される理由があるのかもしれない。

 そんな彼に九暁辻湖が目を半眼にしてつぶやいた。


「その身に抱えるものが多いようじゃな」


 深く湖底を探るような辻湖の目つきに、加瀬などはついひれ伏したくなるが、三賀はすずしい顔で立っている。

 このままでは、まずいことになると感じた。

 加瀬はヒリつくような奇妙な感覚におそわれたのだ。老婆の身体から不快で禍々しい黒いもやが溢れてくるように見え、両目をこすった。

 黒い靄と思ったものは、老婆のまわりにとぐろを巻き、さらに数を増し、人の形がぼやけていく、人でありながら、人ならざる者。

 心臓がキリッと痛む。

 これは、なんだ?

 この痛みを、誰も感じていないのか。

 蒼白な顔で加瀬は三賀の平然とした様子をながめた。彼は老婆の変化にまったく気づいていない。

 老婆が呪文のような言葉をつぶやいた。

 すると、背後にいた男たちが、その場にひざまずいてこうべを垂れる。何も感じていない三賀なら、あまりにも芝居じみていると考えるだろう。事実、彼の右頬が皮肉にまくれあがった。


「そちは半魂はんごんの者なのか。名前は?」

三賀有吏みつが・ゆうり

「おまえじゃない、背後にいる男だ」


 全員の視線が加瀬に突き刺さった。


(え? 俺に言っているの)


 味方であるはずの三賀さえも加瀬を見ている。しばらく沈黙した三賀は老婆を振り返るとぼそりとつぶやいた。


「九暁辻湖さん、あんたはまた人を殺したんだな」

「み、三賀さん、何を言っている。いや、九暁さん、これは……」


 三賀の言葉には遠慮というものがない。こんな雑言を投げつければ、名誉毀損で警察全体が訴えられるとは考えもしないのだろうか。

 警察とは個人ではない。三賀の背には警察組織すべての名誉がかかっている。

 どうしたらいい。

 この場合、謝罪一択というのが、加瀬の処世術だ。謝罪してこの場を納めようとした彼の前に、「黙らっしゃい!」と、辻湖が一喝した。

 祠を前にして、さらにバチバチと放電するような険悪なムードになった。

 放っておけば、誰かが感電死するんじゃないかと、思わず茶化した自分が、もっとも緊張していると加瀬は思った。

 それにしても、家の持ち主で、被害者である相手に、「また殺したんだな」という言い草はない。

 物騒がせな男だ。いったい何を考えている。

 もしかして、あるいは、いや、たぶん、そう考えたほうが自然かもしれないが。三賀と九暁の間には何か特殊な因縁があるのか……?


「それで」と、三賀が言った。

「それでとは?」


 辻湖からあふれていた黒い靄が身体に収まった。

 彼女は背後の男に目配せした。控えていた男が丁寧だが高圧的な態度で前にでてきた。


「ここは私有地にです。そして、あなたが掘ろうとしている場所は、九暁家の聖域になります。かってに触れることも、まして掘るなど論外な場所です」

「あなたは?」

「九暁家の顧問弁護士をする佐久間聡です」


 丁寧な言葉遣いだが、口調は皮肉ぽく、見下げるような視線で威圧的だった。

 まったくと加瀬は思った。

 こっちもこっちだが、あっちもあっちだ。

 刑事課の日常はタチの悪い犯罪者と渡りあうことが主な仕事だ。尊大な態度が脅しになると思うのは勝手だが、逆に何か隠してると邪推するのが刑事としてのさがでもある。

 加瀬は謝罪をやめ、一歩下がって見守ることにした。

 三賀は傲慢だが、愚か者ではなさそうだ。いや、そうであって欲しいという願望かもしれないが。


「この場所で他殺と思われる遺体が発見された。捜査に必要なことはやらせてもらう」

「拒否します。この祠は古く八百年前から結界をはった、当家の聖域になります。あなた方は陵墓を掘り起こす権利を持っていません」

「陵墓とは? この祠が天皇家の墓とでも言うのかね」


 佐久間弁護士は辻湖の顔色をうかがった。深いシワにうもれた顔は表情がわかりにくい。辻湖は、ただ、まぶたを閉じて開いた。それで確認したのか、佐久間は続けた。


「それに近いものです。この祠には、公曉こうぎょうさまが祀られております」

公曉こうぎょうとは?」と、加瀬は思わず、彼らの間に入って失敗したと思った。


 鎌倉で公曉と言えば、あの人物しかいない。

『こうぎょう』あるいは『くぎょう』と呼ばれた、鎌倉時代、時の将軍を暗殺した男。

 ことは八百年前の鎌倉時代に遡る。

 公暁は第二代将軍である源頼家みなもと・よりいえの第二皇子として生まれた。頼家の死後、あとを継いだのは遺児である公暁ではなく、叔父である源実朝みなもと・さねともだ。

 歴史では、これに怒った公曉が、鶴岡八幡宮で実朝を殺したとある。その後、彼は誅殺され、今日に至るまで墓の所在さえ不明のはずだ。


「公暁の墓?」

「公暁

「もし、それが事実なら歴史的なものですが、墓が残っているという話は聞いたことがありません」

「あなたは?」

「加瀬といいます」

「歴史に詳しいのかね……。まあ、それはいいとして。九暁家は闇に葬られた公暁さまの怨念を守り続けております。公にしていないのは、当時の政治的状況からですが。公暁さまの母君の一族によって、秘密裏に谷戸のこの場に祀り、悲運の御霊を鎮めてきたのです。この神聖な場所を汚すなど、もっての他な蛮行です。呪いが恐ろしくないのですか?」


 まるで、鎌倉幕府の転覆が、つい最近のような話し方だった。

 まあ、鎌倉には独特の慣習がある。古くからこの地に住む地元民は時の流れが普通とは異なる。

 京都人にとって、先の大戦といえば、太平洋戦争ではなく応仁の乱という話は有名だが、鎌倉にも、そうしたところがあるのだ。

 いくらネットで情報が氾濫する時代であろうと、AIが発展する世界だろうと、ここだけは時が滞っている。狭い時の空間に閉じ込められた場所なのだ。


「神聖と言うだけでは、法律上の認可が降りていないようだが」と、三賀が抗った。

「刑法189条にある『墳墓発掘罪』と『礼拝所不敬罪』をご存知ないのか。警察自らが犯罪に手を染めるとは、裁判所の令状もなく勝手なことをしてもらっては困ります。今回のことが放火による犯罪であったにしても、ここは被害者宅だということをお忘れないように願いたい」


 ああ言えば、こう言うという状況だが、どう考えても、かってに墓を荒らしたとなれば、こちらに非がある。ここは被害者宅なのだ。

 加瀬は頭をかきながら、「まあまあまあ。三賀さん、ここは、ちょっと」と、とりなした。

 佐久間弁護士も早々に切り上げたいのだろう。

 名刺を取り出すと、「今後は何かありましたら、わたしにご連絡ください」と言った。

 差し出された名刺を三賀は受け取る様子がない。また、不穏な空気になりそうで加瀬が横から引き取った。名刺には大手弁護士事務所のシニアパートナー佐久間聡とある。


「ところで、火災は放火によるものですか? 保険の問題もありますから、今回の事情を早めに知らせて欲しいのですが」

「放火は間違いないでしょうね。ところで、ご遺体について、心当たりはありますか」


 加瀬は飄々とした態度を取りつくろった。


「昨日から、当主の九暁宗十郎くぎょう・そうじゅうろう氏と連絡が取れず、非常に心配しております」


 なぜ、それを最初に言わない。

 加瀬は大いに呆れた。八百年前の公暁の歴史より、よほど大事なことだろう。


「九曉氏と連絡が取れなくなったのは、いつからですか?」

「当主は、時に何も言わずに行動なさる方ですが。火事の連絡を受けて、携帯に連絡をしたのですが。行動を共にしていた運転手も連絡が取れません」

「運転手とは? 名前を伺っても」

「長谷川洋司といいます」

「彼の体格を教えてください……」


 今頃になって当主の不在を告げた佐久間は、心配そうに顔を歪ませたが、それは演技としか思えない。

 そもそも妻である辻湖が泰然としている。遺体が夫のものとは思っていないのか、あるいは、全く関心がないのか。

 所有する家が火事になり夫と連絡が取れず遺体がでれば、普通の家族なら大騒ぎするだろう。

 宗十郎は婿養子の立場で、実権は目の前に立っている小柄な老婆、九暁辻湖くぎょう・つじこにある。加瀬が調査したところでは、この家は代々の女系家族で、男が生まれても外に出て、娘が婿養子を迎えて資産を相続している。

 鎌倉時代から、連綿と女系家族が相続しているのだ。

 これは、ある意味、奇跡だと思う。

 昔からの名家が存続するのは難しい。歴史上、何度も危機が訪れたはずだ。特に戦後、米国の財閥解体から、華族の財産没収などで彼らは困窮した。現在の法律では、持てば持つほど、遺産相続の税金は多額になり、三代も続けば没落する。

 九暁の本家は鎌倉市にあるが、親戚縁者は東京都に住んでいる。

 本家から外に出た男たちに医師が多いことから、彼らが支えているのかもしれない。資産家であることは間違いないが、生業がなにかは不明なのだ。

 もの思いに沈んでいると、竹林から田部が出てきて、「加瀬さん」と呼ばれた。


「ああ、どうした。田部」

「署から連絡っす。携帯に出てください」

「ああ、すまない」


 加瀬はほっとした。傲慢な三賀と奇妙な一族の面々に関わっていると神経が参る。


「三賀さん、行きますよ」

「なぜ、わたしまで」

「いいから……、では、九曉さん、先ほどの当主と運転手の方については、この田部が詳しくお聞きしますから、よろしくお願いします」


 強引に三賀の腕を取ると、その場から引き剥がした。なぜか、そうする必要を強く感じた。




(つづく)

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