第5話



 三賀と同じ土俵に立ち、互いに競争心を刺激して敵対するしかないと考えた。……が、どうも違うようだ。

 三賀は加瀬に無関心で、顔色も変えず黙々と自分の業務をこなしている。

 同じ土俵どころか、異空間にいるかのようだ。

 拍子抜けした加瀬は困った。コブシを振り上げたはいいが、そのまま行き場を失い、所在なく宙にとどまっている。

 もしかしたら、これは、完璧なひとり相撲なんだろうか。


(は、恥ずかしい。これだから、いやだ。立ってるだけで、ちやほやされるイケメンってのは)


 神経質そうだが品のよい顔つきをした三賀は、身につけた漆黒のスーツも高級そうだ。どこかの御曹司と聞いても違和感がない容姿だ。

 常に『いい人』止まりの加瀬と違い女にモテそうで、そこもムカつく。

 ピーという音がして印刷が終わると、プリンタが印刷物を吐き出した。

 加瀬は動かない。

 三賀も動かない。

 ふたりは頑固にそれぞれすべきことを、加瀬は自分の荷物を整理し、三賀はパソコンのキーボードを叩いている。

 野生動物のマウント争いに身を投じた加瀬は、まったく折れる気はなく、プリンタには打ち捨てられた印刷物が残っている。

 三賀の携帯が鳴った。


「ああ、そうか。わかった、これから向かう」


 三賀は立ち上がると、「運転はできるか?」と聞いた。


「できないんですか?」

「質問に質問で答えるな。不愉快だ」

「それは、こちらの言い分です。あなたは上司でしょうが、しかし、なんの説明もなく駆り出されたんですから。これでも、押さえているんです」


 三賀がちらりと加瀬を見た。

 その目つきがセクシーで、相手は男なのにぞくりとした。こいつは目だけで女を殺せると思うと、反感がつのる。


「九暁の家が関わった事件捜査で、鎌倉に詳しい者を頼んだのだ。あの焼け跡に残った三人の遺体のことだが、君はどう考える」

「他殺です」

「根拠は?」

「ご遺体の口内に煤が入ってなかった。火災前に亡くなったと考えるのが妥当だからです」

「火災にも、いろいろある。焼け死ぬ前に、一酸化炭素中毒で死亡した場合、煤が入らないケースは考えられる」

 

 それは考えなかったが、しかし……。


「あの火災が現代建築の気密性が高い家屋なら、その線もあるでしょうが、しかし、隙間風の多い古い日本家屋で一酸化炭素で中毒死するくらいなら、昭和初期には大変な惨事ばかりだったでしょう。家のなかで練炭やかまどを使って料理していたんですから。別の理由で死亡したと考えたほうが筋が取っています」


 三賀は何も答えず、再び同じ質問を繰り返した。


「それで運転はできるか」

「できます」

「では、現場まで運転してくれ」


 彼はそう言うと、プリンタの印刷物を無視したまま、ドアに向かう。

 まったく……。

 プリンタをチラリと確認すると、『人事異動に関する辞令』とある。おそらく、これは加瀬の配属に関する書類なんだろう。

 彼は諦めて、その書類を取ると、三賀は横目で見て、軽く右頬をゆるめた。勝ち誇った顔をしなかっただけマシか。

 まったく幼稚な奴だ。

 いや、自分もかと、彼は苦笑した。


「これは?」

「あとで処理するつもりだ。ともかく、向かうぞ」

「わかりました」


 車で鎌倉まで行くなら高速道路を使い、渋滞がなければ四十分ほどで到着できる。

 横浜横須賀道路は通称『ヨコヨコ』と呼ばれ、首都高とちがって渋滞は少なく平日のこの時間帯は快適にスピードが出せた。

 朝比奈インターチェンジで高速道路を降り、狭い山道を抜け鎌倉に入る。

 道すがら会話もなく、加瀬は、こんなことなら、そっちが鎌倉署に来ればよかったのでは、という嫌味をのみ込んだ。


「鎌倉警察署に寄りますか?」

「いや」

「じゃあ、現場ですね」

「ああ」


 三賀と出会ってから一時間ほど、尻の下がもぞもぞするような居心地の悪さを感じている。

 必要なこと以外に無駄口を叩かず、他人にもそれを強要する。無愛想で、おおよそ社交的とは言い難いが、逆に言えば、他人にどう思われようと気にも止めない人間だろう。

 確かに、これは出世するタイプじゃない。

 本庁ではなく所轄にいることからも、変わり者にちがいない。

 そんなことを考えながらバックミラーで確認すると、目があってしまい、加瀬は奇妙にドギマギした。


「運転に集中しろ」と、三賀が言った。


 反論しようかとも思ったが、やめた。出会ってから何度も反抗している。これ以上は大人気ないだろう。


「集中します」


 生真面目に答えてみたが、それに返事はなかった。谷戸に向かう細い道に入ってからは運転に集中した。

 鎌倉の道路は特殊で狭い公道が多い。平日でも観光客が多く、メイン道路の段葛だんかずら沿いや海岸沿い以外は、歩道も整備されてない。

 さらに、この狭い道を公共のバスや大型観光バスも走行するから、対向車とすれ違うには、道路ごとにテクニックが必要になる。

 交番勤務の頃、大型のリムジンバスと公共バスが狭い道で出会い、互いにすれ違うことができず、その後、後続車が続々とバスの背後に止まりの状況に陥った。交通整理のために加瀬たちが出動したことがあるほどだ。

 ただ地元民は慣れたもので、電柱の空間や建物スレスレに停車して待ち互いに道を譲り合う。

 現場は渓谷の間に位置する谷戸だ。まさに鎌倉の道の典型で、道幅は狭く車一台がやっと通れるような狭道せまじだ。

 まさか、三賀が加瀬を呼んだのは、鎌倉の道を車で走る難しさを知っていたからか。運転手として呼ばれたのかと考えると、うんざりするし、それを確かめる気もおきなかった。 

 高速道路を出て数十分後、車同士のすれ違いを制して現場に到着した。正門の鍵は壊されたままだった。持ち主に連絡を入れるよう伝えてあるが、どうなったのか報告を受ける前に辞令がおりた。


「門を開けてもらえますか? 自動では開かないんで」


 後部座席で閉じていた目を開き、三賀がじろりと睨んだが、彼は文句を言わずに降りて重い鉄格子を開けた。

 高級スーツを着ながら素直に従う姿に、なんとなく加瀬は吹き出しそうになった。

 鉄格子が開き、私道に乗り入れる。

 数時間前に来たばかりだが、もうずいぶん前にも思える。

 洋館前の現場には警察車両が停車していた。黄色い規制テープが貼ってあり、相棒の田部もいる。


「あ、加瀬さん。どこに行っていたんすか」と、気さくに声をかけてきた彼を見ると、少しほっとした。

「おお、田部」

「先ほど、メールを送ったばかりっすけど、返信がこないから、どうされたのかと」

「何があった」

「実は、こちらの所有者にやっと連絡が取れて、後ほど来るそうで、待っているんすよ」

 

 今朝方の消防活動で家の前はまだぬかるんでおり、ところどころ水溜りができている。


九暁宗十郎くぎょう・そうじゅうろうと連絡が取れたのか」と、三賀が口をはさんだ。

「こちらは?」

「神奈川県警の三賀警視さんだ」

「ご苦労さまです」

「返事を聞いていない。九暁宗十郎と連絡が取れたのか」

「いえ、警視。九暁家の使用人と話しましたが、取れてないようです」


 田部は如才なく役職を呼ぶと、直立不動で敬礼する。三賀は視線もあわせず、彼の横をするりと通り抜けた。肩透かしされた田部が好奇心いっぱいに加瀬の耳もとでささやいた。


「ねぇ、加瀬さん。何者なんですか?」

「半年ほど、俺の上司になるお方だ」

「え?」

「そんな、間抜けづらをするなよ。署に戻ったら、いきなり辞令がきたんだ。俺もそういう顔をしたかと思うと、恥ずかしいを通りこして腹が立つ」

「ええ、ぇぇえ?」

「だから、いい加減、間抜けづらをするなって」


 三賀は、さっさと洋館の裏側へと歩いて行く。


「また、あとでな」


 田部に説明することもできず、説明する気もおきなかった。彼の肩を軽く叩いて、加瀬は素直に三賀の後を追った。




(つづく)

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