最終話 家族

 文化祭からの帰り道。夕暮れ時の通学路を木葉このはと若菜が歩いている。

 若菜は笑顔だが、木葉このはは何か思い悩んでいるような表情だ。


「若菜さん……」

「はい、どうしました?」

「家族……って、何だろうね」

「…………」


 若菜は答えられなかった。


「僕、今日若菜さんや社長さんに助けてもらって、こんな大人になりたいって、損得なしに子どもへ手を差し伸べることができる大人になりたいって、本当にそう思ったんだ」


 優しく微笑む若菜。

 それとは逆に、木葉このはは辛そうな表情を浮かべる。


「……でもさ、毎日暴力を振るってくる親がいて、娘の身体をまさぐる親がいて……親って、子どもにとって一番信頼できる大人じゃないの? 親って家族だよね? 則夫の父親は、血の繋がりだってある。それなのに……それなのに! 分かんないよ! ねぇ、家族って何!? 大人ってみんなそうなの!? 僕、もう分かんないよ!」


 声を震わせる木葉このは

 大勢の客を前にチェーンソー・カービングで彫刻をしている時も、則夫と早苗のことが頭から離れなかった。あのふたりが長い間我慢していたことを思うと涙が止まらない。


木葉このはくん」


 若菜は木葉このはを胸に抱き締めた。

 夜を前に灯った街灯の明かりが、ふたりを優しく包み込む。


「……うまく説明できないけど……木葉このはくんは、家政婦みたいな私のことを『家族』って言ってくれたよね」


 顔を上げる木葉このは


「当たり前だろ!」

「『家族』って、そういうことなんだと思う。血縁関係とか、親子関係とかって、あくまでも大きなきっかけのひとつ。私にとって木葉このはくんは愛する『家族』。私の一番大切なひとだもの」


 涙を零して若菜にしがみつくように抱きついた木葉このは

 そんな木葉このはを優しく抱き締めながら、頭を撫でる若菜。

 夜が近づく空の下で『本物の家族』はお互いの愛情を確かめ合っていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 数日後、児童相談所の一時保護所――


 ロビーのベンチに、金髪ベリーショートの男子と、茶髪ロングの女子が並んで座っている。則夫と早苗だ。その手には、小さな木の人形らしきものがあった。担任を通じて受け取った木葉このはからの餞別だ。


「コッパくんからの餞別、大切にしなきゃね」

「そうだな。正直、最初はこんなモンいらねぇって思ったけど」

「すっごく優しい表情だよね。私、このお顔を見てると安心する」


 ふたりが手にしていたのは木端仏こっぱぶつ

 木片を彫って作られた小振りな仏像だ。細かく彫り込んでおらず、とても素朴な出来になっている。


「なんていう仏さんだっけ?」

観世音菩薩かんぜおんぼさつでしょ! もう忘れたの?」

「そうだ、そうだ。それそれ。観音様だよな」

「私、ネットで調べたんだ……」

「観音様のことを?」

「うん……人々の苦しみや悩みを聞いて、別け隔てなく慈悲の心で救ってくださる菩薩……そう書いてあった……」

「そっか……」

「コッパくん、最後まで私たちのこと、心配してくれてたんだね……」

「コッパのやつ……」


 手にした木端仏こっぱぶつを優しく撫でるふたり。


「あれ?」


 底面に何かシールのようなものが貼られていることに気付く早苗。

 木端仏こっぱぶつをくるりとひっくり返した。

 そこにはQRコードが印刷されたシールが貼られていた。


「なんだろう、これ……」

「さぁな。読み込んでみようぜ」


 ふたりはポケットからスマホを取り出してQRコードを読み込んでみた。すると、チャットアプリ『LIME』が起動し、自動的にチャットルームへ参加させられた。


[則夫がチャットルームに参加しました]

[早苗がチャットルームに参加しました]


[あっ、来た来た!]

[ふたりとも元気?]

[2年3組のチャットルームへようこそ!]


 驚くふたり。

 そして、最初にしなければいけないことが頭に浮かぶ。

 謝罪だ。文化祭をめちゃくちゃにしたことを謝らなければいけない。

 ふたりは顔を見合わせてうなずいた。気持ちは同じなのだ。

 ふたりが謝罪の言葉を入力しようとした時だった――


[則夫、ごめんな]

[顔にキズが増えたのを気付いた時、『何かあったのか?』って声をかけるべきだった]

[弟さん、大丈夫なのか?]


[早苗ちゃん、気付いてあげられなくてゴメンね]

[夜中、コンビニのイートインコーナーにひとりでいたのを見たことがあって……でも『どうしたの?』って言葉が出てこなかった。本当にゴメン]

[早苗さんが不良だって勝手に決めつけてた……本当に反省してる]


 ――クラスメイトたちからの謝罪や気遣いの言葉が続いた。

 チャットの文字が涙に滲む。


「どうして……? どうしてみんなが謝るの……?」

「俺からみんなに相談するべきだった……」


[ふたりとも、いつでもここに帰ってこいよ]


 木葉このはの投稿にハッとするふたり。チャットルームがなぜなのかが分かった。そして、木葉このははただ餞別を渡したのではなく、自分たちに手を差し伸べてくれたことに気付いたからだ。


[コッパくん、ありがとう。みんな、本当に本当にごめんなさい]

[みんな、本当にゴメン。コッパ、ありがとな]


 チャットルームの名前は『2年3組の家』。


 いつでも安心して帰れる『家』と、何でも相談できる『家族』の存在に、ふたりは心から安堵した。

 不安しかなかったこれから始まるであろう見知らぬ土地での新しい生活。信用できる『家族』の支えを得て、ふたりはようやく自分の明るい未来を見出だせたのであった。


[コッパくんは何でも彫っちゃうんだね]

[美樹ちゃん、どういうこと?]

[私たちの心に『ともだち』って、消えないように彫ってくれたでしょ]

[そんな風に受け取ってくれると嬉しいね]

[あれ? 美樹は不満なんじゃない?]

[???]

[コッパくん、美樹が心に彫ってほしいって。『オレの彼女』って]

[ちょっと早苗ちゃん!]

[そんなの必要ねぇよ。男子はみんなそう思ってっから]

[則夫くんまで何言ってるの!]


 賑やかな『家』の様子に、則夫と早苗の顔にも笑顔が浮かぶ。

 木葉このはが彫った木端仏こっぱぶつの観音様は、そんなふたりを優しく微笑みながら見守っていた。



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心の彫刻 下東 良雄 @Helianthus

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