春を待つ君

mamalica

春を待つ君

 降る雪を見るのは初めてだ。

 ひんやりした窓ガラスに手を当て、息を吹き付ける。

 

 去年も同じことをした気がする。

 白く曇ったガラスに触れた気がする。

 それを想い、自然と笑みが浮かぶ。


 ――良かった、覚えてる。


 

 安堵して机に近付き、『球根』に話し掛けた。

 円柱形のガラス瓶は二重底で、『球根』は上部の半球部に収まっている。

 済んだ水に浸かった『球根』の底からは、数本の白い根が生えている。


「昨日の朝に生けたばかりなのに、もうこんなに伸びてる」


 球根の上部に指で触れ、そうっと撫でる。

 4月初旬に渡されて以来、籐の小皿に入れて飾っていた宝物だ。

 

「今日は『終業式』だよ。あっという間だったね」


 しみじみと語りかけ、ウォールカレンダーの前に移動した。

 ⒋月から12月まで、9か月分の日付欄が縦横に並んでいる。

 が、12月24日の今日の日付欄より先は無い。

 『24』の日付欄に、赤い水性ペンで×印を書き、お辞儀をした。


「今までありがとう」


 尽きぬ思いに浸っていると、天井に据え付けの円形スピーカーが点滅した。


 

『朝食の時間です。ドアを解放しますので、食堂に移動しましょう。体調不良の生徒はコールボタンを押して、部屋で待機して下さい』



 いつも通りの音声が流れた。

 制服の深紅のネクタイを締め、紺色のブレザーに袖を通し、部屋を後にする。

 



「おはよっ、春也」

 廊下に出ると、隣室の郁弥が擦り寄ってきた。

 2年の男子生徒60人の中で、もっとも気の合う友人だ。


「おはよう、郁弥くん」

 右手を上げて挨拶すると、彼は腕組みして嘆息する。

 

「いけないねえ。今日という日まで、『くん』付けされると傷付いちゃうぜ」

「そうかな……」


 首をすくめつつ、目線を上げる。

 相手は、頭半分ほど長身だ。

 バスケットが得意な彼と、運動が苦手な自分。

 けれど、不思議とウマが合う。



「おはよー」

「今日の朝メシは何だ?」

「メニュー表を見てないのかよ。ライ麦パンと、野菜と豆のトマトスープだよ」


 他の生徒たちの雑談を聞きながら、食堂に向かう。

 4階の渡り廊下の窓の下には、狭い中庭がある。

 枯草の上にも、薄く雪が積もっている。


 反対側の窓の向こうには、女子寮の渡り廊下が見える。

 男子と同じように、食堂に向かう女子たちが歩いている。


 立ち止まり、腕時計を見た。

 長針が『3』を差した時――彼女は現れた。

 

 肩の下で切り揃えた黒髪。

 赤いカチューシャ。

 

 彼女も立ち止まり、こちらを見て、左手を左右に振った。


 名前も知らない彼女。

 5月に目を留め、7月に初めて手を振り、8月には振り返してくれた。



「いいねえ。オレも青春が欲しかったぜ~」

 冷やかされ、思わず頬が火照る。

 

「そんなんじゃないよ。それに来年があるよ。だから、早く行こっ」

 彼女から目を離し、振り切って歩き出す。



 食堂に入ると、長テーブルに食事を載せたトレイが並んでいる。

 いつも通り、入室順に席を埋めていき――人数を数える。


「45人だね。昨日より、⒋人少ない」

「ああ。『お別れ会』に出られるといいんだが」


 郁弥は、心配そうに眉をひそめた。

「ま、とにかく食おうぜ」

「そうだね。いただきます」


 生徒たちはカトラリーを取り、食べ始める。

 焼き立てのパンは香ばしく、酸味のあるスープとの相性は抜群だ。

 

 食べ終えた生徒たちは、栄養補助剤を口にしてから席を立つ。

 春也たちも、トレイはそのままに退出した。

 


  * * *



 朝食後は、寮と隣接した校舎で六時限の授業を受ける。

 2年生男子は2クラスに分かれている。

 

 科目は、言語・歴史・生物学・地学・美術・情報・運動など。

 高等芸術・音楽・栄養学・保健理論は選択制だ。

 将来を見据え、4月には皆が頭を捻って選択する。



 そして、6時限目が終わると、黒板モニターに白髪頭の校長が映し出された。


「これにて授業は全て終了です。9か月間、ご苦労様でした。学んだことは、来年の糧になるでしょう。君たちの努力は、きっと報われます。ありがとう」


 校長の姿は消え、担任が挨拶をする。

「みんな、『球根』は水栽培キットに植えたな? 『お別れ会』は午後六時からだ。それまで、シャワーを浴びておけよ」


「はい、先生!」

 クラス委員が立ち上がり、頭を下げた。

「お世話になりました! 先生のことは、決して忘れません!」


 全員が起立し、声を合わせる

「ありがとうございました!」


「君たちのことは忘れない。いずれ、社会の役に立てるだろう」

「はい!」


 担任も生徒も涙ぐみながら、別れの挨拶を交わす。

 校舎を出たら、もう会うことはない。



  * * *

 


 『お別れ会』は、食堂で行われる。

 各自の部屋には、スーツが用意されていた。

 ライトグレーのスーツで、ネクタイはネイビー。

 顔出しの被り物は、事前に申請した物が置いてあった。

 春也は、薄茶色のネコを選んだ。


 それらを見に付ける前に、まずはシャワーを浴びる。

 髪を洗い、櫛で熔かす。

 すると、一気に櫛が黒く染まった。

 抜けた髪が絡みついたのだ。


「……まあ、いいか」


 春也は抜け毛を取り除き、排水溝に流す。

 栄養補助剤を飲んでいても、この有り様だ。

 

 今は、嫌なことは忘れよう――

 言い聞かせ、シャワールームを出て着替える。



  * * *



「おっ、みんな派手だねえ」


 ライオンの被り物を選んだ郁弥は、友人たちの被り物を見て笑う。

 イヌ、ヒツジ、トラ、ウサギ、キリン、パンダなど。

 いずれも、先史時代の絶滅種だ。

 キリンの被り物は天井スレスレの高さがあり、被った生徒は食事を摂るのに苦戦していた。


 パーティーは立食式で、生徒たちは思い思いに、ケーキやサンドイッチ。飲み物を摂る。


 その中を、5基の配膳ロボットが進む。

 部屋に留まった生徒たちのリクエストを受け、食事と飲み物を持って行くのだ。


「おーい、透矢! 見てるか―!」

「遠慮せずに、食いたい物を頼めよ!」


 天井のカメラに向かい、生徒たちは肩を組む。

 春也と郁弥も、声を振り絞る。



 ―― 遥けき山に雪は降り

 ―― 春来たりなば川流る


 ―― 夏の光に青葉ゆれ

 ―― 渡る秋風あかね雲

 

 ―― 若き我らは夢路行く



 

 やがて、食べ物も飲み物も尽き、生徒たちは退室する。


 途中――春也は、向き合う渡り廊下の人影を眺めた。

 女の子たちも、足早に寮に戻っている。

 影のひとつが停止し、こちらに顔を向けた。

 ほのかな灯りに、華奢な体が浮かび上がる。


 ライトグレーのワンピースにボレロ。

 白い猫耳の付いたカチューシャ。


 無垢な女の子は、左手を振り――去った。

 

 目尻がふわりと熱くなり、無音の想いは息と共に消える。



「うーん」

 

 郁弥は被り物を脱ぎ、瞬きをした。


「おい、見たか? 隣にいたショートカットのウサ耳の子。来年は彼女に手を振ってみる!」

「そうしなよ。再来年に大学に進学したら、共学になるっていうし」

「よし! 希望が湧いて来たぜ!」


 意気込む郁弥を、微笑んで見つめる。


 しかし、寮に近付くほどに、生徒たちの口数は少なくなる。

 廊下の灯りも暗さを増す。

 消灯時間が近付いているのだ。



「郁弥くん、また春に会おう」

「当たり前だろ! その時は、『くん』付けは禁止だぞ!」


 ふたりは握手を交わす。

 他の生徒たちも、思い思いに声を掛け合い、温もりを分かち合う。



  * * *


 

 自室に戻ると、ベッドの上には寝衣が置いてあった。

 白シャツ、白ハーフパンツ、白ソックス。


 それらに着替え、スーツをハンガーに吊るし、最期に『球根』に語る。


「……おやすみ。僕が覚えていたことを、君が覚えていますように」


 薄闇の中に、か細い祈りが満ちる。

 窓の外は、艶やかに白い。


「あの女の子のこと、友達のこと……目覚めたら、真っ先に思い出してね」



 スピーカーから、落ち着いた女性の声が響く。



『終身の時間です。速やかにベッドに横になって下さい。さあ、眠りましょう。次のの目覚めのために』



 柔らかなオルガンの音が流れ、香しい花の香りに包まれる。

 とても懐かしい香りだ。


 

 ―― 僕が愛したすべてを、どうか覚えていて。


 

 暗い視界の奥に、次の自分が映る。

 彼は生長し、春に目覚めるだろう。

 3櫂の、3年生の寮の個室で。


 

 ――また、郁弥の隣の部屋だといいな。


 ――あの女の子が、僕を覚えていますように。


 

 彼は、瞼を下ろした。

 心地よい沈黙が意識を呑み込んだ。

 



 

 * * *






『30分後に、廃棄物を全回収。次世代の育成を開始します』

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