第6話「予期せぬ事態」

 魔獣は巨大な両翼に炎を集め、盛大に羽ばたいた。火の粉をまとった熱風があたり一面にまき散らされる。


 広場の全員はその無慈悲な攻撃に一瞬命の危機を悟ったが、勇者は冷静に上空に手をかざす。


 何か詠唱のような内容を呟くと、彼女の手のひらから巨大な、それこそ市場を丸ごと包んでしまいそうな透明な円盤が放出された。


『すごい……魔力強化無しでここまでなんて』


 頭上で轟音が鳴り響き、円盤は熱風を完全に遮断した。


 間髪入れず少女は跳ぶ。魔獣は口から火球を放つが、跳躍魔法で自在に軌道を変える彼女には当たらない。


 懐に滑り込むように一気に距離を詰め、魔獣の頬に剣を突き立てた。


「グゥッ……オオッッ!」


 魔獣は顔周辺に業火を滾らせる。


 彼女は飛び退きつつ、剣を持たない方の手を掲げた。空を掴むその手には、淡く光り輝く槍が魔法によって具現化する。


「グアアッッッ」


 空中で投擲された槍が魔獣の眼球に突き刺さった。


 一連の猛攻の後、彼女の体は重力を取り戻し地面へと戻って来る。この数十秒間で、彼女が途方もない戦闘経験を積んできたことが容易にうかがい知れた。


「流石は勇者様だ……!」


「あれだけ大きな相手にまるで怯まないなんて……」


 周りの人々は口々に希望を口にするが、天使から見れば不安はあるようで


『……長引くと不安ですね』


 俺は、彼女が本来受けるべき天使の加護について知っていた。現在騎士団の魔術師が必死に彼女に施している身体強化が焼け石に水であることも。


 ここまで来る道中でムエルが、人間の扱う付与魔術と天使の扱うギフトには性能面で天と地の差があると言っていた。


「なあムエル、あんたが勇者にバフをかけてやることはできないのか?」


『それは可能ですけど、そのためには一旦元の身体に戻らないといけないんです』


 この非常事態においても呑気にベンチで眠りこけるムエルの身体。


『一回憑依しちゃうとしばらく戻れないんですよー……。多分、あと20分はかかります』


「……なるほど」


 その言葉を聞いた時、俺の心には焦燥感より先に、一つの強迫観念にも似た責任感の種が芽生え始めていた。




 剣の大振りが翼を斬りつける。魔獣の鉤爪の欠片が宙を舞った。


 明らかに優勢だったのは勇者の少女。しかし、俺の目を釘付けにしたのは防戦一方に見える魔獣だった。


 魔獣は残された1つの眼で、常に相手と市場の人々の両方を、虎視眈々とした眼差しでとらえていた。


 それに、これまでの魔獣の攻撃にはいくつかのフェイントが含まれていた。それも普通の冒険者には感知もできないような些細なものばかり。


 開幕の広場全体を狙った熱風攻撃のこともある。奴はただ攻撃に耐えているだけではない、そう思わせる何かを俺は感じていた。




 戦いが始まって10分も経った頃、戦局が硬直し始めた。魔獣が勇者のスピードに慣れ始めたようだ。


 魔獣の剛翼は硬い筋肉に覆われており、不意を突けなくなった今、彼女の斬撃は弾かれるようになった。


「勇者様の動き、なにか変じゃないか? さっきからずっと魔獣の周りを飛び回っているだけに見えるが」


「なんでも一刀両断するスキルを持つと言うじゃないか。どうして使わないんだ?」


「もしかして、魔王との戦いの傷が痛むのかしら……」


 予想以上に長引いている戦闘を前に、人々の言葉には焦りと不安が混じるようになった。


 群衆は巨大な魔法の盾の下でじっとしているしかなかったが、やがて勇者に触発された者たちに動きがみられた。


 勇敢な冒険者の卵たちが魔法の盾から飛び出そうとするのを、騎士団の兵士たちが引き止める。


「お、おい。よせ、危険だ!」


「離してくれ! 勇者様をお助けするんだ!」


 騎士団にとってもここまでの強敵の出現は異常事態だったのだろう。冷静な対処ができず、広場では一悶着起きていた。


 その場に居合わせた気の小さそうなシスターが加勢し、冒険者たちを説き伏せようと試みていた。


「か、彼のものは、あなたたちがどうにかできる相手ではありません……!」


 おどおどとした口調が余計に反感を買ったらしく、強面の冒険者が怒鳴って反発する。


「なっ、なんだと!?」


「ヒイッ、ごめんなさいい! で、でも、魔獣というのは、こ、狡猾な、存在です。必ず! あなた達なんて人質にされちゃいます……よ? ああごめんない怒らないで」


 この娘は人を絶妙に怒らせる天才かもしれない。


 ただ忠告自体は至極まっとうに聞こえる。冒険者たちもその正当性が分かっているようで、彼らの威勢は次第にそがれ始めていた。


 その時だった。


「なあ、そこの人! あんたは勇者様を助けるべきって思うだろ?」


 ひときわ若い冒険者に声を掛けられたが、身に覚えがなさすぎて自分のことか分からなかった。


「え、あ、俺……?」


 視線が俺(の身体)に集まる。


「な、なんだあの肉体は……!?」


「ヒィッ! 筋肉の化け物!?」


 兵士やシスターがまるで異形のものを見るように俺に顔を向ける。


 一方冒険者たちにとって俺は見出された活路のようで、


「俺には分かるぜ。修羅場をくぐってきたやつの目だ」


『プッ』


「た、確かに……。この街の冒険者なのか? ギルドでは見たことの無い顔だが」


「きっと勇者様のお師匠様よ! 魔王を倒した弟子の顔を観に来たんだわ!」


 待て待て。俺を置き去りにしないでくれ。


「あんたほどの者なら、今何をすべきかなんてとっくにわかってるんだろ?」


 どうやらこの若い冒険者は俺を信頼しきってるらしい。そんな爽やかにウィンクされても俺は何もわかってないんだが。


『ハァ ハァ アハハハハ!』


 頭の中で爆笑する声が聞こえる気がするが、今はそんなこと気にしてられない。


「さあ、どうなんだ?」


 一瞬にして集まった俺への関心に吐きそうなほど緊張していた。でも、ここで止めないと流石にまずいよなぁ……。


「なんて険しい表情……この人、もしかして本当に……?」


 その場の皆が固唾をのんで俺の言葉を待つ。


 よし、はっきりと言ってやるぞ……!そう自分を鼓舞し、俺はなんとか声を絞り出した。


「お任せください! あんな魔獣、一撃でやっちゃいますよ〜!!!」


 ……は?


 口から出た言葉は、俺の意思とは真逆のものだった。






 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 遅れてすみません、、、

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山に籠って修行2年、魔王は死んだ。 @kak427

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