第5話「インフレしきった世界」

『お、勇者が来ますよ!』


 先刻から感じていた転移者の雰囲気が、今や俺の肌にビリビリとした緊張を纏わせていた。


 広場に騎士団の一行が到着する。流石、皆歴戦の戦士といった風貌。それでも、群衆の視線は一人の少女に集中せざるを得なかった。


 その少女は鎧ではなく動きやすさと華やかさを兼ね備えた装束を身に纏っていたが、凛々しい面持ちと腰に備えた剣が彼女を勇者たらしめる。


 黄色い声の合唱が響き渡る。


「「「勇者様〜〜〜!♡」」」


 長い黒髪に濃褐色の瞳の大和撫子は、男女の区別なく既に異世界人の心を鷲掴みにしていた。


 隣で冒険者のグループが騒ぎ出す。


「お、お前勇者様をデートに誘うって言ってただろ……? ほ、ほら、行ってこいよ」


「あっ、あうあ、あう……」


 怖気づくのも無理はない。外見で他者を魅了すると同時に、滲み出る彼女の実力はその場の魔術の心得ある者を圧倒していた。


『流石勇者、という貫禄ですね。でも、正直実力ならうちの山田くんも負けてませんよ〜?』


「あっ、あっ、うあう」


『いやなんでですか』


 かく言う俺も完璧に萎縮していた。


 自分より若い彼女から溢れる自信や輝き、何より最初に会った時から変わっていない真っ直ぐな瞳に気圧されていた。


 そんな時だった。


 あろうことか彼女はその瞳を俺に向け、おかしな物でも見るように俺を凝視したのだ。


 俺は蛇に睨まれた蛙のように立ちすくむ。


「あっあっあっ(む、ムエルー? これならバレないんじゃ無かったのかー……?)」


 少女が目を見開いて俺をじっと見る、緊張の数瞬。


 その永遠に感じられる時間を終わらせたのは、広場の人々の悲鳴だった。


 同時に強い気配を察知した俺と彼女は揃って上空を見上げる。


 そこには巨大な鳥の魔獣が炎を纏いながら待ち構えていた。




 騎士団が逃げ惑う人々をなんとか整理していたが、広場の様子は混迷を極めていた。


 魔獣の広げた両翼は優に20mを超え、地面に大きな影を落としている。


「……お前が勇者か」


 鋭い嘴と見開かれた眼光は完全に獰猛な猛禽類のそれだったが、重量感のある声や、悠然と羽をはためかせながら高度を下げる様からはその存在の深い知性も感じさせた。


 それでも、対話の必要なしとばかりに少女は剣を構える。


 魔獣は構わず続けた。


「私は大いなる者の使い。魔王を倒した勇者、その実力を測る命を受けたのだが……正直な所、私も命が惜しい」


『すぐに襲い掛かってくるわけじゃないんですね』


 ムエルの声に共感する。意外と対話で何とかなるんじゃないか?


 俺達も魔獣の声に耳をそばだてる。


「そこでだ、戦った証拠として、お前には私の身体を程よく痛めつけてもらいたい」


「なんか俺みたいな魔獣で安心するな〜」


『なに親近感感じてんですか。まったく』


「ただ私のみ傷つけられては具合が悪い。私にも面子というのがあってな、この街をある程度破壊し、人間を2、30人ほど殺させてくれればいい」


「……」


『……』


 全然そんなことなかった。めっちゃ人類の敵だった。


「戯言を」


 当然勇者の答えはノー。


「交渉決裂、というわけか。仕方ない」


 そう言うと怪鳥は2、3翼をはためかせ、燃え盛る身体を勇者に向かって突撃させる。


 少女も高く跳びあがって迎撃の構え。地上の人々に危害を加えないための最善の行動だった。


 お互いが空中でぶつかり合う。一撃目はほぼ互角といった所。


『あの魔獣、中々の強敵ですね』


 俺は逃げることも戦うこともできず、ただその場に立ち尽くしていた。

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