第5話 忘れじの剣

 あんなに遠くに見えた最後の山をマムートの牽引力であっという間に超えて、反対側のふもとで最後の野営をすることになった。目の前に広がる丘を越えると、いよいよウェントゥスが見えるらしい。明日には街の門を潜れるとか。

 中身がたっぷり入った水差しを持って、賑やかな野営地を歩く。演劇班の天幕の中から熱い指導が、楽団の天幕からは楽器の音や民謡の歌声が飛び交った。ところで奇術師の天幕から鳩が何羽も空へ飛び立ってるけど、大丈夫なのかな、あれ。

 どこを眺めても飽きない夢のような空間を歩けば、気の良い両腕丸太おじさんたちが少量の酒を酌み交わしている姿を発見した。


「どうにか星降祭アストラには間に合ったようだなぁ」

「街に入ってからが山場だ。場所だけはウェントゥスの興行組合が抑えてくれてるらしいが、大急ぎで設営せにゃ間に合わん」


 テーブルに置かれたオイルランプが照らしているのは、難しそうな図入りの説明書。彼らは一座の技術班で、荷台に積んだ大型の天幕や人力可動式の舞台装置の組み立てを入念に話し合っていた。


「何か俺にも手伝えることはありますか?」

「おう、テオか。気持ちだけありがたく受け取っておくぜ。素人が手を加えてもし何かあっちゃ、カーラ座長の顔に泥を塗っちまう。一座にとって、舞台は世界そのものだからな」

「ま、予定ギリギリに到着するのはいつものことだ、気にすんな」

「そうなんです?」


 ハルディン・デ・カンパーナはマムートと一緒に世界中を旅をして、歌や踊りに演劇、奇術に大道芸など、あらゆるエンタメを盛り込んだショーを各地で開いているとか。だから旅は慣れてるものだと思っていたから、少し意外だ。


「本当は五日前には街に入れる予定だったんだけどよ、立ち寄る村々で子どもたちからショーをねだられてな。道草食ってたらこの通りだ」

「人柄が良いのさ、うちの座長は」

「ああ。ショーを求められたらどんな事情があろうと絶対に断らない。そこに夢を見たい奴がいればそいつが誰であろうと、そしてどこであろうと天幕を建てる」

「流行り病で急死した先代の奥方だったカーラ姐さんが座長に就任した時はどうなることかと思ったが、杞憂だったよ。本当に退屈しないぜ、この一座は」


 おじさんたちから溢れ出るカーラ座長への尊敬の念が、オイルランプなんて目じゃないくらいまばゆく輝いて見えた。そんな風に誇れる存在がいるって、何だかいいなぁ。


「それにしてもどこに行ったんだ、ネージェの奴……」


 改めて座員のみんなに水差しの中身を配り歩きながら、白い姿を探す。ただ乗せてもらっているだけなのは申し訳ないから、配水や洗濯とか、できることを手伝おうって話し合ったのに。ネージェはいったい何をしているんだろう。悲しいかな、ろくでもない予感しかしない。

 すると突然「テオ!」と呼びかけられ、後ろを振り向いた途端に木剣をひょいっと投げられた。マルティスさんだ。相変わらずハンサムだなぁ。

 わけがわからないまま柄の部分をキャッチして、彼が持った同じものと見比べる。剣先が左手の水差しを真っ直ぐ指して、脇へ振られた。え、置けってこと?


「はぁああッ!」

「ふぁ!?」


 手近な木箱の上に銅製の水差しを置いてすぐ、木剣を構えたマルティスさんが振りかぶって来た。素人目に見ても体重の乗った鋭い一撃であることは間違いない。な、何で!? 何で急にシバかれることに!?

 もちろん目覚めてから武器なんて持ったことがない。でもなぜか、右足を下げてぐっと姿勢を低く取った。どうしてそんな判断をしたのか、自分でもわからない。わからないまま周囲の喧騒がふっと消え、マルティスさんの動きがスローモーションに変わる。目の動き、関節の可動域、指先の癖。それを一瞬で読み取れば、襲い来る剣筋が見えた。木剣を両手に構えてその一つ一つを弾き返す。

 何だこれ。何で俺、こんなことができるんだ? どうしてこんなに、剣が手に馴染むんだろう。


「ッ、おらぁっ!」


 なおも切り込む太刀筋を剣先で撫でるように逸らし、手首を捻って両腕を振り上げる。マルティスさんの手からすり抜けた木剣が宙を舞って、背後にカランと乾いた音を立てながら落ちた。


「な、何なんですか、急に!?」


 しん、と静まり返るオーディエンス。心臓の音だけがやけにうるさい。

 

「す――……すっっっげーじゃねぇかテオ! 俺の剣戟けんげきを初見で受け止めたのはお前が初めてだ!」

「へっ!?」


 それまでの覇気が嘘のように消え失せ、満面の笑顔を浮かべたマルティスさんに飛びつかれた。犬を褒めるみたいに頭をガシガシワシャワシャ掻き撫でられ、呆気に取られる。模擬戦を観戦していた座員からも「やるなぁ坊主!」「副座長が負けるなんて!」と賞賛と喧騒が押し寄せた。えっ、ど、どういうこと?


「立ち姿とか重心の取り方で相当な剣の実力があるってのはわかってたけどよ、まさかここまでとはな! 王立騎士団の師団長クラスでもなかな見れない腕前だ! いったいどこで身につけたんだ?」

「い、いや、俺……」

「あっ、カーラ座長!」

「ぐふッ!?」


 全く話を聞いてくれないマルティスさんは、俺に容赦ないヘッドロックをかけてズルズル引きずった。ちょ、力つよ……! ――って、カーラ座長!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る