第3話 星詠みの旅

 最低限の休憩と水と食料で歩き続けて三日目。さすがに疲労が蓄積されてきた。


「ネージェ、ワープの呪文とか使えないの?」

「空間転移魔法は大昔のアホ魔法使いが誤って魔界と通じてしまったがためにこっちの世界に魔物が溢れ出し、それ以来禁術となっておる」

「つまり使えないんだな。まぁお前、魔法使いのくせに火も出せないしな」

「出せぬのではない、加減が難しいのだと何度言えばわかる!」

「水も出せないし」

「だーかーらー! 吾輩は使だと言っとるだろうが! 生活魔法のように微量な魔力を絞り出す方が難しいのだ! 川が氾濫して村を沈めるほどの大雨なら降らせられるぞ!?」


 また、そんな強がりを。

 ネージェの頭に光るのは一輪。それに魔塔の偉い魔法使いたちもせいぜい五輪だって言うじゃないか。その『微量な魔力を使う生活魔法』すらろくに扱えないんだから、七輪なんて妄想も大概にしてくれ。いっそ痛々しいから。


「じゃあ空飛ぶ絨毯とか、別の空間に繋がる置時計とか、そういう魔法道具は?」

「そんな便利な代物があれば、そもそも臭い馬宿で三日も馬車を待ったりせぬ」

「たしかに」


 つまり、このまま歩き続けるしかない。星降祭アストラに間に合うかわからないけど。


「その『記憶の星詠み』って、どうしても星降祭アストラの流星群じゃないとだめなのか?」


 俺たちの目当ては星降祭アストラそのものではなく、百年ぶりの流星群の方だ。

 と言うのも、俺はいわゆる『記憶喪失』らしい。自分自身とこの世界に関することは忘れてしまったけど、善悪の判断や一般的な生活知識は備えているという、何とも都合の良いタイプの記憶喪失だ。唯一覚えているのはテオという名前だけ。そしてどうやらこのへっぽこ顔だけ魔法使いは、記憶を失う前の俺と面識があるらしい。廃城跡で出会ったネージェに誘われるがまま記憶を取り戻す旅に出て、今に至る。

 ネージェ曰く、星には誰かが忘れてしまった記憶が宿るとか。思い出したい出来事があった場所で星空を見上げれば記憶を取り戻せる。それが、『記憶の星詠み』。そもそも記憶がない時点で思い出したい場所を探し出すことが不可能なんだから、奇跡的な御業だよな。


「星詠みは同じ星空でなければ意味がない。かつておぬしがウェントゥスで見たのはただの星空ではなく流星群だ。南の空の流星群は毎年見られる定期群ではなく突発的なもの。今回を逃せばもう機会はないかもしれぬ」


 だからネージェは星降祭アストラにこだわっているのか。なんだか俺以上に俺の記憶を取り戻すことに必死みたいだ。

 でも待てよ。今回が百年ぶりの大流星群ってことは、もしかして俺が見た流星も百年前の――……いやまさかな。千年生きる魔法使いならともかく、俺は天環てんかんもないただの人間のはず。記憶がないから確証なんてないけど。


「……というか、別に星詠みなんて回りくどいことしなくても、ネージェが俺のことを知ってるなら教えてくれたらいいのに」


 歩きながらそんな悪態を吐いた。結局ネージェは朝までぐっすりで、寝ぼけ半分でずっと見張り番をしていた俺はもっと疲れている。

 すると、文句を言いつつも街へ向かって歩き続けていた魔法使いのブーツの音がピタッと止まった。後ろを振り向けば、紫色の真剣な眼差しが俺をじっと見つめている。やめろやめろ、イケメンの真顔なんて破壊力の強い兵器を俺に向けるな。


「そんなに知りたければ教えてやろう」

「えっ!?」


 いいの!? じゃあウェントゥス行かなくていいじゃん!

 浮足立ちながら駆け寄った俺を、奴は性別を無視した暴力的な美貌で見下ろす。ひょろいのにまぁまぁ背が高い。ちくしょう、すぐ追い越してやるからな。成長期をなめるなよ。


「いいかよく聞け。実はな……」

「(ごくり)」

「――吾輩たちは、将来を約束しあった恋人同士なのだ」

「ふざけんなよ」


 まじで、ほんとに。少しでも期待したのがバカだった。

 盛大に顔をしかめた俺を見て、それまでただの真剣なイケメンだったネージェがとうとう「クヒヒヒヒッ」と笑い出した。完全におちょくってやがる。


「ほんっとしょーもない! お前俺以外に友だちいないだろ!?」

「なぜわかった? ああ、もちろんいない!」

「堂々といばるな!」

「クックックッ! まぁ恋人というのはもちろん嘘だが、仮に本当だったとしても、おぬしは信じなかっただろう?」

「当たり前だろうが!」

「他人から教わる記憶などそんなものだ。何が本当で何が嘘か、証明できる根拠を持たなければただの情報でしかない。だからおぬしが自分で思い出すしかないのだ。そのための星詠みの旅なのだから」


 ネージェは胡散臭うさんくさくて軽薄で善良とは言えないけど、不思議と言葉に力がある。つい聞き入ってしまったり、「そうかも」と思わせるような力が。それこそ魔法でも使っているんじゃないかと疑わしいくらい、その声は本能によく届く。めちゃくちゃ腹立たしいけど、俺は星降祭アストラを目指すことに納得するしかなかった。

 

 そうして歩き通して何日が経ったのか。携帯食は底を尽き、途中ですれ違う満車の馬車の乗客が憐れんで分けてくれた水でどうにか生きているようなもの。どうせなら乗せてくれよって思ったけど、人生ってそれほど甘くない。空腹はその辺に生えている葉っぱを食べて凌いだ。このままでは馬とか兎になってしまう。まだ余裕のあった序盤と違い、ネージェも目に見えて口数が減っている。


「ネージェ、ウェントゥスまであとどれくらい……?」

「ええと……おお、喜べ。あと山を一つ越えた先だ」

「山……」


 地図を開いたネージェの回答に、足元が霞んで見えていた視線を上げて辺りを見渡す。勾配の少ないなだらかな馬車道が続く先に、小指ほどの大きさの山がちょこんと見えた。つまり、めっちゃ遠い。


「「…………」」


 二人分の足音が完全に止まった。擦り減りすぎて靴底の意味を成さないブーツが酷く重い。ネージェなんて、支えにしている杖から根が張ってしまったようにその場から動けないでいる。

 心が折れかけたその時、背後から断続的な重低音が響いた。


「な、なんだ……?」


 地鳴りのようなそれは、歩いて来た丘の向こうから徐々に俺たちへ迫り来る。警戒したネージェも目を細めて杖の先を浮かせた。

 晴天の丘からじわじわと現れたのは、四本の柱で組み立てられた天幕。幌馬車ほろばしゃかと思ったけど、様子がおかしい。なぜなら鞭を打たれていななく馬の鳴き声ではなく、耳を突いて吹き抜ける風のように鋭く大きな咆哮が響き渡ったから。その場ですくみ上がった俺たちは、丘を越えて現れた衝撃的な光景を目の当たりにする。


「んなっ、な、なっ……!?」

「これは驚いた。まさかセプテントリオでマムートを目にするとは」


 冷や汗を浮かべたネージェがマムートと呼んだのは、天幕を背中に乗せて歩く巨大な四足歩行生物。全身を覆い尽くす灰色の毛を風になびかせながら、太くたくましい足で大地を揺らす。この世の全てを突き崩しそうな曲線の牙の間で、特徴的な長い鼻が自在にうねる。まるで動く山だ。その背後には何列にも連なった荷車が引かれ、圧巻の大行進を見せた。

 鐘の絵が描かれた派手な色の豪華な織物を垂れ幕のようにまとったマムート。その背中に作られた天幕のやぐらから、一対の視線が突き刺さる。


「そこの二人、旅人かい?」


 力強く張りのある声は女性のものだ。ネージェと顔を見合わせて、深く頷いて返す。こちらは丸腰な上に空腹と疲労で満身創痍。相手は人など簡単に踏み潰せそうな巨獣に乗っている。下手に刺激するのは得策じゃない。

 マムートのやぐらから身を乗り出した女性は、虫けら同然の俺たちを見下ろして白い歯を見せた。大柄なシャツを小麦色の豊満な胸の下で結んでいることで、腰の細さと引き締まった身体のラインが強調されている。ターバンと一緒に編み込まれた癖のある茶髪と深緑色の瞳は乗合馬車で出会った移動民族の女性の特徴と同じだったが、柔らかいだけの彼女たちとは違う、しなやかな鞭のような強さが垣間見えた。


「あたしらは旅一座のハルディン・デ・カンパーナ。星降祭アストラに行くなら乗せてやるよ。――ただし、同業者ならそのまま野垂れ死にな」

「「ただの観光客(だ)です!!」」


 ネージェと記憶探しの旅を始めてしばらく経つけど、俺たちの息がこんなに合ったのは初めてかもしれない。

 あまりに必死すぎる反応に、快活そうな女性はくびれた腰に手を当てて豪快に笑い出したのだった。

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