第2話 本当の善

 ◆――☆*☽*☆――◆




 目が覚めたのは、どこかもわからない洞窟の中。外に出たらそこは苔むした廃城跡みたいな場所で、雑草だらけの原っぱが遠くまで広がっていた。

 

 ここはどこだろう。どうしてこんな場所にいるんだろう。


  行く当てもないまま半壊した城の中をさまよっていると、天井が崩壊した大広間のような場所に出た。窓は全て吹き飛び、大きな瓦礫がそこら中に転がる。これまで通って来たエリアの中でも一番被害が大きい。災害、もしくは戦争――何か大きな脅威に見舞われて、この城は滅んだらしい。

 無意識に足が向いたのは、崩落した天井から光が差し込む立派な石造りの玉座。座る人の威厳に合わせたのか、やたら高さのある背もたれは風化して、亀裂が走っている。一段、二段と位の差をつける段差を上り、玉座を真正面から見下ろした。

 恐れ多いような、懐かしいような、待ち焦がれていたような。バラバラの感情が胸の内に渦巻く。何も思い出せないけれど、一つだけ明確な答えが頭に浮かんだ。


 俺は、この椅子に座らなければならない。


『人にはそれぞれ相応しい椅子がある。おぬしの席は本当にそこで合っていると、なぜ思える?』

『……!』


 不意に背後から声を掛けられ、驚いて振り返る。

 足音もなく現れた真っ白な男は、まるで羽のない天使のようだった。




 ◆――☆*☽*☆――◆




「もう嫌だ~! 疲れた~~! これ以上一歩も歩けぬ~~~っ! 老体をもっと労われぇぇえええ!」

「うるさいなぁ、こういう時だけジジイキャラに全振りするな!」


 それだけ騒ぐ元気があれば大丈夫だろう。初対面ではそれこそ白くて綺麗で天使のようだと思ったけど、今では口を開くほど「おしゃべりクソジジイ」という印象が強まる。いっそ本当にヨボヨボシワシワな老魔法使いだったら労われるのに。たっぷりの白いひげをモフモフさせてモノクルをかけたとんがり帽子のテンプレ魔法使い。威厳もあって良いと思う。今からでもチェンジできないのかな。

 ちなみに現在は乗合馬車を降りて二日目の日暮れ。野営以外は休みなくずっと歩き続けている。途中で後続の馬車と何台かすれ違ったけど、やっぱりどれも満席だった。


「ほんと、あの二人に席譲って良かった」

「良いものか! このままではウェントゥスへ着く前に野垂れ死ぬぞ!」


 ギャーピー騒がしいネージェは、ローブの中から羊皮紙の巻物を取り出して見せた。これは便利な魔法地図で、所有者の現在地を光る赤い点が教えてくれる優れモノだ。

 昨日から歩きっぱなしだが、進んだのは地図で見れば指の第一関節ほどの距離。目的地のウェントゥスまでの距離は片手の指関節で足りるかどうか。それに食糧と水も最低限しかない。これじゃあ本当に野垂れ死ぬかも。

 体力温存のため、今日はもうここで野営することにした。残り少ない干し肉を軽く焚火で炙って二人で分ける。水も貴重だから少量ずつ。地べたは硬くて、歩き疲れた身体には正直堪える。でも俺が選んだことだから、文句は言えない。


「まさか今回の旅でもおぬしの偽善に振り回されるとはな、全く!」

「偽善? あれが偽善だって?」


 パキッ、と焚火にくべた木の枝が割れる。

 その言い草は、さすがにカチンときた。思わず声を低くて言い返したが、ネージェは一切ひるむことなく、むしろ俺以上の怒気を込めて静かに吐き捨てる。


「偽善だろう。身を削って他者を救ったとしても、それは一時しのぎにしかならん。あの二人がまた行き詰まった時、おぬしのようなお人好しが再び現れる保証などどこにある」

「それは……」

「本当の善とは、誰かが犠牲になることなく平等にもたらされなければならない。その道を模索せず簡単に自分を切り売りして救われているのは、本当はおぬし自身なのではないか?」


 その言葉で、馬車を降りた時の感情を思い出した。

 あの二人が乗れてよかったなとか、病気が治るといいなとか。色んなことを考えたけど、一番しっくりきた感情は違った。


 俺、自分が犠牲になることで誰かが救われたことにほっとしたんだ。誰かの役に立てたって思うことで、自分の存在意義を見つけられたような気がしてた。


「でも、そんなこと言ったって、じゃあどうすればよかったんだよ」


 あの光景を目の当たりにして見て見ぬふりをするなんて、それこそ自分が許せなくなりそうだ。足元に視線を落として震えた声で問う俺を、ネージェはどんな顔で見てるんだろう。怖くて、顔を上げられなかった。


「そうだな……まず、他に席を譲ってくれる者がいないか確認すべきだったのではないか?」


 俺の子どもみたいな反論に、意外なほど落ち着いた声で律義に答えをくれたネージェ。おそるおそる顔を上げると、焚火の炎が淡く照らす双眸と目が合った。吸い込まれてしまいそうな紫色の瞳には、呆れも怒りも感じられない。ただ静かに、俺を見つめている。


「乗客のほとんどは近隣周辺からの観光客だっただろうし、どうしても星降祭アストラへ行かなければならないのっぴきならない理由を持った者の方が少なかっただろう。それでも候補が現れなければ、目的地までの距離を確認して他の乗客から食料を分けてもらったり、最寄りの馬宿の場所を聞いたり、降りるにしろ色々手立てがあった。なのにおぬしはそれらをすべてすっ飛ばして、ただ自分が犠牲なればいいと考え馬車を降りた。だから吾輩は不満なのだ。わかるか?」

「……うん」


 一個ずつ丁寧に説明されて、すごく耳が痛い。でもどれも本当のことだから、おとなしく頷いた。


「自己犠牲を選ぶのは自分の意思一つだから簡単だ。悩まずに済むし、人助けをしたことで気分も良くなる。だがな、誰も犠牲になることのない本当の善を模索するのを簡単に諦めてはいけない。この世にないがしろにして良い存在など一人もいないのだから。おぬしを含めてな。いいか、自己犠牲などクソ食らえだ」

「うわ、良いこと言ってたのに急に口悪っ」

「この吾輩が馬糞だらけの馬車道を歩いてる上に野宿までしているのだぞ? それこそ馬糞でも食ってクソまみれになってしまえばいいのだ」


 綺麗な顔でクソクソ言わないでほしい。なんか夢が壊れるじゃん。それに――。


「……ネージェが言ってること、わかるよ。俺のために怒ってくれてるのも。でも……」


 理解はできても、すぐには心が納得しない。それこそネージェが呆れるほど、記憶を失う前から自己犠牲主義が染みついていたんだろうから。


「もし同じような状況になったら、俺はまた『助けたい』って思うだろうし、身体が勝手に動くんだと思う。条件反射みたいにさ」


 ――そうしてまた、独り善がりな安堵を覚えるのかな。


 真っ直ぐに立つための支えを揺さぶられたような気がして、急激に心がざわつく。寒くもないのに指先が震えるから、ぎゅっと膝を抱え込んだ。

 風に吹かれた焚火のように不安定な俺に、ネージェは変わらず落ち着いた声色で語りかける。


「テオ、誤解するな。自己犠牲とは完全な善ではないが、悪でもない。誰かを助けたいと思うのは人として当たり前のことだ。おぬしが吾輩にそう教えてくれたのではないか」


 呆れたように微笑むネージェが、ひどく寂しそうに見えた。とたんに記憶がない罪悪感で胸が苦しくなる。


「そんなこと言われても、覚えてないし」

「うむ。だから星降祭アストラを見に行くのだろう?」

「……記憶を取り戻したら、今までと変われるのかな?」

「いいや……おぬしの自己犠牲主義呪いを解くのは過去の記憶ではなく、これから記憶に代わる未来の時間だ。だからこそこの星詠みの旅は、自分自身のためだけに歩けばいい」

「俺自身のため……?」

「うむ。行きたい場所へ行き、やりたいことをして、誰かのためではなく自分のために今を生きろ。それが旅に付き合ってやっている吾輩への報酬にもなる」


 あぐらをかいた膝の上で頬杖をつき、道先案内人はへらっと笑った。肌は透けるように白いのに、腹の内はとことん見えない。

 ただ一つわかるのは、俺への過剰なまでの献身。報酬と言っても、それでネージェが何か得するようには思えないのに。


「何だか、俺のためにあれこれ付き合ってくれてるネージェの方が自己犠牲的に思えてきた」

「それはさすがに自惚うぬぼれというものだ。吾輩は常に自分のためにしか行動せぬ主義なのでな。――というわけだから、先に寝る」

「は?」


 ニヤッと片方の口端を上げて妖しく笑ったネージェは、フードを枕にして地べたの上でふてぶてしく丸まった。

 突然の行動で呆気に取られて瞬きをするが、思い出したようにむくむくと怒りがわき上がる。


「おい! 昨日だって俺が見張り番だったのに、ずるいぞ!」

「クックックッ、早い者勝ちだ。薪の残りが半分になったら交代してやるから起こせ」

「結局起きなかったくせに!」


 揺さぶり叩いて蹴ろうとも一向に起きなかった前夜を思い出す。寝かせるものかと必死に詰め寄るが、背を向けたネージェは「ぐーぐー」とわざとらしい寝息を立てた。

 こいつ、本当に自分のためにしか生きてない、絶対に。

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