第1話 少年と魔法使い

 ◆――☆*☽*☆――◆




 長く乗っていると腰を痛めそうな揺れを生み出し、車輪が回る。普段は荷物を運んでいる幌馬車ほろばしゃの乗り心地は、あまり良くない。

 馬宿で受付してから三日。ようやく乗車できた乗合馬車の荷台には、老若男女大勢が隙間なくぎゅうぎゅうに詰まっている。乗り心地がいまいちなのはそのせいもあると思う。なのに、この男ときたら――。


「この馬車は楽園か? こんな女神に囲まれるとは」

「まぁ、お上手!」

「女神ってあたしのことぉ?」


 向かいに座るお気楽な旅の同行者へ冷やかな視線を送るも、両脇の女神に夢中で全く気づいていない。

 目が覚めるような淀みない白髪を後ろで結び、旅人とは思えないほど青白い肌で、不思議と汚れ一つない真白のローブが妙にしっくりくる男、ネージェ。性別問わず吸い寄せられるような美貌は、まるで魔法みたいだ。宿屋を利用すれば黙っていても部屋がグレードアップするし、道中「腹が減った」とぼやけば通りすがりの誰かが夕食に招いてくれる。でもそれは魔法ではなくこいつの顔の力というのがまた腹立たしい。人生イージーモードすぎやしないか。

 でも何より周囲の目を引くのは、頭部に浮かぶ光る輪っか。王国で数少ない魔法使い、その生まれながらの証である一輪の天環てんかんを睨んで、俺は膝を抱えた。最強装具の顔面に魔法使いとか、チートにもほどがある。


「人生楽しそうでいいよな、ネージェは」

「クックックッ。退屈していてもどうせ吾輩たちはいずれ死ぬ。であれば、楽しまぬのは損ではないか」


 無条件で頷きたくなるような魅惑の微笑みは、ある意味毒だ。艶のある豊かな黒髪と褐色の肌を大胆に晒す女神たちが、うっとりとした表情でぴたりともたれかかる。


「そういう信条、嫌いじゃないわ。保守的な男って退屈だもの!」

「ところで、そこのかわいい坊やとはどういう関係なの? 兄弟……じゃないわよね?」


 ネージェにひっついていた一人が、俺を品定めするようにねっとりと眺める。まるで食材を吟味するような目だ。移動民族特有の深緑色の瞳に居心地を悪くして、首元のスカーフに鼻先を埋めてますます縮こまる。

 まぁ、俺たちのぱっと見の年齢差だけで判断すれば兄弟と言えなくもない。でも魔法使いは魔力の恩恵で普通の人間の十倍の寿命があり、同じだけ成長と老いも遅い。二十代前半の見た目のネージェは、実際のところ二百歳ほどだろう。それに俺は魔法使いじゃない。頭の天環てんかんの有無からも一目瞭然だ。となると兄弟の線は消える。そもそも黒髪に茶眼っていうどこにでもいるような人種の俺に、この顔面SSレアとの血縁なんて微塵も感じられないじゃないか。


「親子……にしては似てないし、肌と髪と目の色からして出身もバラバラよね」

「そもそも魔法使いって子孫を残せないんじゃなかったかしら」

「おやおや、二人は吾輩たちの関係を探るのにずいぶん熱心なようだ。どうしてくれよう、テオ?」


 妙に含みを持たせた言い方をするから、彼女たちの熱視線の温度が上がってしまったじゃないか。本当に厄介な魔法使いだ。


「……別に。ただ向かう方向が一緒なだけ」

「な~んてツレナイことを言うのだ! 吾輩悲しい! 百年の愛も冷めてしまう!」

「いちいち誤解を招くような言い方すんな、セクハラジジイ!」

「セク……? またおぬしは、わけのわからん言葉を使って。すまぬな二人とも、こういうお年頃なのだ」

「あらあら」

「ふふっ、かぁわいい」

「人を中二病みたいに言うな!」

「「「チューニビョー?」」」


 一斉に首をかしげられた。え、中二病って知らな……あれ? ちゅうにびょうって……――なんだっけ。

 まただ。頭の中に知らない言葉がポンポン浮かぶ。そう言えばチートとか顔面SSレアとかも、何のことだろう。わからない、

 押し黙ってしまった俺を見て瞬きをしたネージェは、女性たちの肩をおもむろに抱き寄せた。


「まぁ、吾輩はこやつの旅の道先案内人と言ったところだ」

「魔法使いに道案内させてるの? えー、実はお貴族様の令息だったりする?」

「クククッ、どうだろうなぁ」

「でもこの馬車に乗ってるってことは、目的地はもちろんウェントゥスでしょう? 星降祭アストラはもうすぐだものね」


 凱風がいふうの街ウェントゥス――セプテントリオ王国の南部に位置し、南の海から柔らかな風が吹く風光明媚な都市だ。なだらかな丘陵に広がる石造りの街並みと無数の風車は圧巻だとか。全部ネージェの受け売りだけど。

 そしてネージェにべったりの彼女が言うように、この乗合馬車はウェントゥス行きの臨時急行便だ。各地の魔塔に引きこもって太陽や月、星を熱心に研究する魔法使いの連中が、百年ぶりの大流星群の飛来を予言した。それに合わせて星降祭アストラという古来伝統のお祭りが開催されるらしい。


「あたしたちも星降祭アストラの舞台で踊るために向かってるのよ」

「百年ぶりのお祭りなんて、最高の稼ぎ時だもの!」

「ほう。では星が降る前に三人で前夜祭といこうか」

「「いやぁんっ!」」


 絶対にろくな前夜祭じゃないだろ、それ。下ネタもほどほどにしてほしい。……シモネタ? ああもう、また知らない言葉が……。

 きっと慣れない旅の疲れが溜まってるんだ。ずっと歩きっぱなしだったし、ネージェは初対面の時からこの調子だし。早くウェントゥスに着かないかな。さっさと目的の流星群を見て、このよくわからない二人旅を終わらせたい。

 そう思って膝を抱えて目を閉じた時、荷台を引く馬が甲高い声を上げて急に止まった。ウェントゥスに着いたわけじゃないだろう。御者のおじさんが誰かと話す声が聞こえたので、帆布の中から顔を出して様子を見てみた。


「そこをなんとか、せめて孫一人だけでも……!」

「悪いがもう満席なんだ。これ以上重くなると馬が街までもたない。他の馬車を当たってくれ」


 質素な身なりの老人が、小さな男の子の手を引いて御者に乗車できるよう懇願している。他の馬車と言うけど、俺たちもこれに乗るために馬宿で三日も待ったんだ。後から来る便も余すところなく満席なのは間違いない。


「じいちゃん、おまつりいけないの? おほしさまにびょーきなおしてもらえない?」


 男の子は目の下が黒ずみ、死相が出ていた。

 星降祭アストラは流星に願い事をする風習を元に発展した祭事。あの子の願いは、きっと次の流星群を待っていては間に合わない。頭が地面に着くほど下げて必死に頼み込むおじいさんも、それをわかっている。

 事情を察した車内に、乗客たちからよそよそしい雰囲気が漂う。同情する人もいれば、早く出発してくれと悪態を吐く人、寝たふりをする人も。そんな最悪な空気が男の子にも伝わったのかもしれない。泣きそうな顔をして、祖父の肩に手を置いた。


「じいちゃん、もういいよ、かえろう。かえろう、ねぇ」

「ま、待って!」

「おい、テオ!」


 ネージェが引き止めるのを無視して、俺は荷台から降りた。降りなきゃいけないと、本能で思ってしまったんだ。

 御者台の上からおじさんが怪訝そうな顔をする。急に現れた俺に、道端の二人も困惑しているようだった。


「俺たち降りるんで、この人たちを乗せてあげてください」

「はぁ!? いや降りな――」

「馬宿でウェントゥスまでの二人分の料金を払いました。返さなくていいんで、その料金で二人を街まで。お願いします」


 荷台から乗り出して反発するネージェを捲し立て、頭を下げる。おじいさんは呆然と俺を見ていたが、ハッとして一緒に頭を下げた。


「まぁ、そういうことなら……」

「ありがとうございます! ネージェ、ほら行こう!」

「いーやーだー! こら、ローブを引っ張るな! なぜおぬしはこういう時ばかり馬鹿力なのだ!? ――うぎゃあっ!」


 馬車にへばりつくネージェを強引に引き剥がし、道端までずるずる引きずった。入れ替わりで帆布の中に入った二人が顔を出し、こちらへ何度も頭を下げる。


「おにーちゃん、ありがとう!」

「本当に、何とお礼を言っていいか……! せめて路銀だけでも受け取ってくだされ」

「それはお孫さんのために使ってあげてください。俺たちも後から向かうんで、ウェントゥスでまた会えたらいいですね。それじゃ、良い旅を!」


 御者が手綱を引けば、軋む音を立てて車輪が再び回り出す。幌馬車ほろばしゃの最後尾に移動したさっきの女性二人が手を振ってくれた。


「前夜祭できなくて残念! でもかっこよかったわよ、坊や!」

「舞台、間に合ったら見に来てね~!」


 走り去る馬車に手を振り返して見送る。

 何だか、今日までで一番晴れやかな気分だ。ようやく上手く呼吸ができたと言うか。人助けをして悪い気持ちになる方が珍しいだろうけど。……ネージェを除いて。


「な~にが『良い旅を!』だっ。ペッペッ!」

「何だよ、ブサイクな顔しちゃって」

「はぁ~~!? おぬしの目は節穴か!? 吾輩の美貌を再現しきれず己の才能に限界を感じて筆を折った画家がどれだけいると思う!?」

「何の話?」

「だいたい、病的なほどお人好しで利他的な性格は健在か! 昔からそうだ、おぬしは! その破滅的な自己犠牲主義だけは許容できん!」

「む、昔のことなんて知るか! !」

「それを思い出すために星降祭アストラが不可欠だと言っているのに、これでは間に合わんではないかーッ!」


 長閑のどかな馬車道に悲壮な叫び声が響く。遠くの山の向こうから跳ね返ってくる木霊が虚しい。

 穏やかな風に吹かれる雲が気持ちよさそうに流れる青空の下、俺のはピンチを迎えた。でも、あの子の笑顔を思い出したら後悔なんてない。そう言うとネージェは「今はな」と苦々しい顔で悪態を吐き、先の長い馬車道に紫の目を細めたのだった。

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