百年幻夢のネビュラスカ

貴葵 音々子

星が降る夜、はじまりの記憶

 生まれ育った大都会では見上げることすら忘れていた夜空が、視界いっぱいに広がる。

 今いるのはこの街で一番の高さを誇る鐘塔。裾野には石造りの街並みがびっしりと広がる。街は祭りの最中で、眠るのを忘れてしまったように賑やかだけど、景色を遮る高層ビルや、星を陰らせるほどの人工的な明かりはない。

 そんな見晴らしの良い満天に、一筋の星が流れた。瞬きの間で光が消える前にもう一つ、また一つと絶え間なく後に続く。

 生前の苦しみも、これから始まる旅の不安も――この流れ星が全て連れ去ってくれたような気がして、人目もはばからず涙があふれた。


『勇者、どうして泣く?』


 旅の仲間の魔法使いが、天使の輪っかが乗った小さな頭をこてんと傾げた。この世界の魔法使いは天環てんかんと呼ばれる光る輪っかを持って生まれる。

 子どもに泣き顔を見られて気恥ずかしくなり、急いで手の甲で涙を拭う。


『あまりにも、空が綺麗だから……』

『綺麗だと悲しいのか?』

『悲しくなくても、感動したり嬉しかったりすると、人は泣くんだよ』


 人里離れた魔塔暮らしで色々と疎い子どもは、身の丈以上の立派な杖を軸に寄りかかると、『ふぅん』と言って、同じように空を眺める。混じり気のないまっさらな白髪の間から、紫水晶アメジストの瞳が星を映してきらめく。まるで小さな宇宙みたいだ。


『あんな星屑に感動しているようでは、吾輩の魔法を見たら大号泣間違いなしだな』

『へー、楽しみにしてる』

『む……? おぬし、さては信じていないな? 吾輩はセプテントリオ王国史上最年少で勇者パーティーに選抜された魔法使いの逸材ぞ?』

『はいはい、期待してますよー』

『うむ、大いに期待してくれ。吾輩はいずれ五輪天環ごりんてんかんの上級魔法使いになるのだから、おぬしをピーピー泣かせるのだってちょちょいのちょいなのだ』


 俺と魔法少年の他愛ないやりとりを見守っていた神官見習いと剣士の二人も、顔を見合わせて微笑んだ。魔王討伐の旅が始まってすぐ『パーティーの親睦を深めるために星降祭アストラを見に行こう』なんて二人が言いだした時は、あまりに能天気で正気を疑ったけど。


『ね。来てよかったでしょう、勇者様?』


 慈愛に満ちた女神像のように清廉とした女性神官が屈託なく笑いかける。こんなに綺麗な人、芸能人にだってそうはいなかった。思わず見惚れてしまっていると、背中に強烈な衝撃が走る。


星降祭アストラの流星群を共に見た奴らは一生のえにしで結ばれる。つまりオレたち勇者パーティーは永久不滅ってわけだ! これからよろしくな、勇者殿!』


 図体も声も何もかもがでかい若齢の男性剣士が、剛腕で背中をバンバンと叩いた。痛い。《被ダメージ十、二十 》と半透明な文字が浮かんでは消える。陽キャゴリラめ! HPがゼロになったら教会からやり直しなんだぞ!


 でも思えば、二人は勇者の重責に押し潰されそうだった俺を気遣ってくれたのかもしれない。この生意気な魔法使いキッズも。そう思ったらまた涙が込み上げてきた。誰かに優しくされたのなんて、初めてだったから。




 規定通りのエンディングを迎えたとしても、この日みんなで見上げた星空を忘れたくない。

 流れ星に願うのなんていつぶりか忘れてしまったけれど、本当に、心の底からそう思ったんだ。

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