最終章 邂逅

今、僕は列車に乗って黄泉の国へと再び向かっている。


そうだ、つまり僕は死んだのだ。


大八州希栄。享年八十九歳。老衰で死んだ。


あれからあの本を書いたり、レイ...いや、キミコと結婚し、幸せな家庭を築いた。


太平洋戦争で徴兵された時期もあったが、南方戦線に派遣されたにも関わらず、無傷で帰ったときはキミコは涙を流して喜んでくれた。


それから、長い年月が立って、一九七四年、キミコに先立たれた。


黄泉の国で待ってくれていると分かっているので特段絶望感などは感じなかった。


孤独感は無かった。なぜなら、子どもたち、それから孫たちが一緒に住むようになったからだ。


孫は自分の知らない戦争の話や、黄泉の国のお伽噺を頻繁に聞きたがった。


そのたびに毎回丁寧にあったことを、時々脚色しながら語った。


それからしばらくして、僕の体も限界を迎え始めた。


だんだん記憶が曖昧になっていくのが、辛かった。


そして死の間際、すべてのことが鮮明に思い出せるようになって、気づけば黄泉の国へ向かう列車に乗っていた。しかし、列車もその次代の列車に変わっており、あの頃の汽車は見る影もなくなっていた。








「次は黄泉の国、黄泉の国」


自分の体を見てみる。あのときの肉体に戻っているのが分かった。おそらくその人間の一番記憶にある年齢が残っているのだろう。


今思えば、たしかに老人は少なかった。


いつの間にか例の切符が握りしめられていた。


「切符の確認をさせていただきます」


そう言って僕の眼の前に現れたのは、阿修羅だった。


本来の姿の阿修羅とは、ずいぶんとかけ離れたものだったは、褐色の肌と鋭い目つきで一発で分かった。


切符に穴が空き、それからもう暫く列車に揺られていると、駅に到着した。


列車から降りて、駅のホームに彼女がいないことを確認し、駅を出た。


「やっぱり出迎えてくれると思っていたよ。遅くなったね。キミコ」


「いえ、ぜんぜん大丈夫です。さあ、逝きましょうか」


「ちょっと待ってくれ。会いに行かなければならない人がいるんだ」


「誰ですか?」


「✕✕...伊邪那美だな」


「え!?どうして彼女に会いに行くんですか?彼女は私達を殺そうとしたた人じゃないですか!」


憤慨する彼女に僕わ頭をかいてすべてのことを脚色無しで丁寧に伝えた。


「...なるほど、そんな事があったんですね」


納得した様子で頷く彼女を僕は黄泉の国の中心、冥府の城まで連れて行った。


今はもう城の影はなくなって、高層ビルと化している。


「止まれ。ここは関係者以外の立ち入りを禁じられている」


城の衛兵が僕の行く手を阻んだ。しかしすぐに事情を察知した衛兵は携帯電話を使って、誰かに連絡した。


「ここも最新式になってるんだな」


口を滑らせ出てしまったその言葉に、一瞬衛兵は耳を疑うような素振りを見せたが、すぐに僕たちを城の中へと通した。


場内は前来たときとは違い、電気が通っており、現代の人間の生活に限りなく近いものになっていた。


まあ前回来たときは、神代だったから奇妙な空間視界のは不思議なことではないのだけれど。


衛兵に連れられて歩いていると、とある部屋の前にたどり着いた。


理事長室、おそらくここが伊邪那美の部屋だろう。


えらく格式張った部屋には、スーツを着こなした伊邪那美が部屋の中心のデスクの前にいた。


「おかえり。大八州希栄。それから、レイ、いまは大八州キミコだったね」


「久しぶり、じゃないな。初めまして、✕✕✕」


僕の挨拶に彼女は少し微笑んだようにも見えた。


「早速だけど君たちには少しの間ここで働いてもらおうと持っているんだけど、まあキミコちゃんは拒否権があるけど、どうする?」


「これって、希栄は強制なんですか?」


キミコは少し不安げに言った。おそらく伊邪那美のあのイメージがまだ払拭しきれいていないのだろう。


「彼は私と約束したからね。仕方ないことさ。で、君はどうするんだい?大八州希栄以外の人たちもここで働いている人もいるようだけれども」


「誰、ですか?」


「例えば、メイ。それから、その兄。後は、峰高とその片割れだな。螢はまだ生きていて、宮嶋は輪廻に帰っていった。そして君たちが最後なわけだけど...そういえばキミコ。君は希栄が死ぬまでの十年間、うどん屋で働いていたらしいな。まだそこで働いていてもいいが、どうする?」


彼女は少し悩んだ後、きっぱりと言った。


「私もここで働かせてもらいます」


「よろしい!」


その答えを予測していたかのように、伊邪那美が次に提示したものは、仕事場のガイダンス書類だ。


近くの椅子に座って書類を確認したが、労働時間は五時間だけだった。その理由を尋ねてみた所、


「人員が多いし、もうこれ以上の効率の追求は生きてきた生命への侮辱になるから」


と言って、魂の処理の効率化をやめたそうだ。


そして、魂の処理は簡単で、シュレッダーを使って、その人間の情報がかからた紙束を粉々にしてから燃やす。実際、輪廻の輪に入った人間は少しの間だけ生き残ることができるらしい。まあすぐに処理されるからほぼ同時と言っても過言ではないけれど。


そして僕たちが配属されることになったのもその部署だ。


書類を読み終えた後、伊邪那美が言った。


「なにか質問あはあるかな?」


「それなら、これとは関係ないけど、いくつかいいか?」


僕の質問内容は、彼女にはもうすでにバレていたようで、あのときの玉藻前の行動について、不可解な点が多かったことだろう?と言って、話し始めた。


「まず神器の話からだ。残りの三種の神器は今も現世にあって、玉藻前が持っているはずがないんだ。つまり嘘だ。そして、私、伊邪那美を殺すのに必要なのは三種の神器ではない。そんな物持っていたところで何も変わらない、所詮はただの石ころと鏡だ。そして、玉藻前が嘘をついた理由は、あの伊邪那美にあった。伊邪那美は黄泉の国に来た者の意思や思考を自由にコントロールすることができるんだ。これも私がなってみて初めて気が付いたことだね。でも中の良かった獄卒ならその異変にはすぐに気づくはずだ。そこで彼女はこう考えたのだろう。なら彼女ごと操ってしまえばいい、と。そして彼女が黄泉の国にまで上がってきたタイミングで、意思と思考を塗り替え、操り人形同士を使い上手に君たちを誘い出し、操った君の父親を使って殺させたわけだ。...あ、今の私は誰の頭もいじってないよ。面倒くさいし、疲れるからね」


✕✕✕が伊邪那美にならなければ知れなかったことをたくさん知れた。しかしこんな裏があったと走りもしなかった。質問の時間が終わると、その後すぐに解散となった。


キミコは先に帰っておくと言って僕に住所の書かれた紙を渡し、僕は伊邪那美に呼ばれてビルの屋上までついていった。








「ふう、ここはやっぱりいい景色だ。全体をくまなく見渡せる」


ビルの屋上で伸びをする彼女に僕は問いかけた。


「✕✕✕は、伊邪那美の子供だったのか?」


「そうだよ。私は彼女の子供だ。そして、捨てられた...」


「...それで、母親を殺した感想は?」


「なんとも無かった、といえば嘘になるね。でも、ほとんどが彼女への復習だ。許してやろうなんて気持ちは更々湧かない。後、そういえば伝えておきたかったことがあったんだけど、本来であればカグツチは殺されているはずなんだ。神様が一人多いって、相当なことなんだよ?」


ああ、そうか、それで、あの怪事件が起こったんだ。


「米戦艦爆発沈没事件か...あれのおかげで日本はかろうじて勝利できた。まあ、戦後は軍閥も何もかもなくなって、驚くほど汚職も減ったがな。で、事件の概要は?」


「火薬庫から、原因不明の発火、そこからの誘爆に次ぐ誘爆。当時の指揮官が全滅した。そこに日本軍の急襲。あれは中々こじつけだね」


肩をすくめてくすっと笑う彼女に、僕は問いかけた。


「もしも日本が負けていたら、世界はどうなっていたと思う?」


少し考えた後、彼女はこう言った。


「いや、変わらなかったんじゃないかな。結局今は敗戦国のアメリカに経済成長とか諸々を抜かれているだろう?多分それはどうしようもない歴史のルートなんじゃないかな」


「ルート?」


「そう、ルート。神々の力をもってしても成し得ない、強力な自然の力。神々でさえ自然に抗うことは出来なかった。だから神代は終わりを告げた」


少し声のトーンが下がった彼女に僕は言った。


「それにしてもカグツチが、どうしてそんな事をしたのか、聞いてみたいんだがもしかして知ってたりするのか?」


彼女はゆっくりと頷いて言った。


「もちろん聞いたさ。もっと細かくやるのが良かったんじゃないかってね。そしたら彼は答えたんだよ。命の恩人に、お返しするのは神なんだ。そんなちっぽけなお返しじゃ、炎の神としての名が廃れるだろう?ってね。全く、馬鹿な弟だ」


「...そうか。弟なんだな」


僕はそう言って彼女に最後の質問を投げかけた。


「コトリバコは、どうなった」


彼女は少し黙り込んだ後、小さな声で言った


「伊邪那岐は神代の末期に私が回収しに言った。すべてやることが終わったから、その箱に入れろって言ってきたんだよ」


「で、入れたのか」


「そうだね、入れた。それでその時代に埋めてきた。発掘されることは当分ないし、そのときにはもうただの木くずになっているだろうから安心したまえ」


僕が、そうかと言って立ち去ろうとした時、彼女は言った。


「君の本は、とても面白かったよ。是非続編も欲しい」


「もう書けないさ。僕の紀行はもう終わったんだ」


「そうだね。たしかに君の紀行は終わった。でも、まだ人類の紀行は終わっていないだろう?」


「まさか...」


「そう、君には人類の紀行を書いてもらいたいんだ。」


僕は反論することもなく、大きくため息を付いた。


「まあ、いいけど」


「君ならそう言ってくれると思ってたよ。なにせ君の感情(それ)は完全じゃないからね。多分最後まであの感情は知らなかったんじゃないかな」


「どの感情だ?恋情も哀しみも怒りも喜びも楽しみも学んだ」


「じゃあ、寂しさは?」


寂しさ。


寂しさって、


寂しさなんか、


あれ、


寂しさって、






何?




「知らないな」


僕がそうつぶやくと彼女は待ってましたと言わんばかりに喜んだ。


「輪廻の輪に入った瞬間に、君の魂だけを取り戻す。それで一人で物語を描かせる。それでいいだろう?」


「ああ、問題ない。レイには悪いが、寂しさを覚えて、完結させてやる」


彼女はフフッと笑って、僕の肩に手を置いて言った。


「まあ、せいぜい頑張りたまえ」


それから僕は城を出た。大きくため息を付いて一人黄泉の国を歩いていった。


「結局、生きるとか死ぬって何も掴みどころのないものだったんだな」


そう呟いて一人、黄泉の国を歩いていった。








拝啓 これを読んだ君へ


今僕は君の紀行を書いている真っ只中だ。まあ一挙手一投足を監視しているわけじゃないから、安心すると良い。しかし君の今の顔、なかなか良いものだ。これも紀行の一説に入れておくとしよう。


これからも、僕は君の執筆を続けながら生き死にを探求し続けるだろう。


しかし、奇跡的に巡り会えた、これを呼んでいる君たちにもついでに問うておこう。まあせいぜい人生を使って研究してくれたまえ。


生きるとは何か、死ぬとはなにか。


                                  敬具










夜行紀行【完】

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