サマー・プラネット
ロケットを持っている。しかもジャンク品だ。
こんな貴重な代物を万札五枚で買い求められたのは、願ってもない幸運だった。ただでさえ、ぼくの住む五等星――クウネルには、他の惑星への移動手段がないのだから。
近所の老人たちは、それを子供騙しだの、所詮玩具だの、散々に吐き捨てた。クウネルの星を去ってまで、向かう場所などないのだと怒鳴った。
老人たちがそう考えるのは、きっと外の星を知らないからだろう。五等星のクウネルは、いわゆる「冬」しか訪れないハズレの惑星。布団みたいな分厚いコートを羽織らないと、家ですら凍えてしまう。太陽からも離れているから、町はいつも薄暗い。
そんな環境でも、老人たちは満足している。なぜならそれが普通だから。
ハロウの住む一等星――地球には、どうやら「夏」と呼ばれる季節があるらしい。彼女が言うには、コートはおろか、服も脱ぎ捨てたくなるほどの猛暑だという。
行ってみたいと思った。だからロケットを手に入れた。
基盤、軌道演算、自動操縦……。構築すべきシステムは山積みだ。しかし、幸運なことに、ロケットはジャンク品だった。
中途半端な積み木を完成させるよりも、一から積み上げた方が簡単なのだ。
少なくとも、ぼくにとってはね。
ポケットが震えた。通信機が鳴っているようだ。
「ハロー、フタリ。退屈なら話し相手になってよ」
地球の住民――ハロウからだった。実のところ、ぼくは全く以て退屈ではない。けれど彼女と一秒でも繋がっていたかった。だからくだらない嘘をついたのだ。
ぼくたちの関係を説明するのに、大した言葉は必要ない。みんなにもネットの友達がいるだろう。それさえ想像できればいい。
ハロウはよく喋るし、よく笑う。普通の女の子だ。機械人形――ロボットということを除けばね。
「ロケットの調子はいかが? まだ夢の中かしら」
ほら、彼女の声にだって、時々ノイズが混じるだろう。それこそが、彼女を機械人形たらしめる証拠なのだ。もっとも、通信機の不具合かもしれないけど。
ロケットの改造はぼちぼち進行中だ。今のところ、山も谷もない。そういった趣旨のことをハロウに伝える。
「早く地球においで。クウネルより、よっぽど素敵な場所よ」
彼女と会ってもうじき五年になる。地球とクウネルの環境差を知るには、もう充分すぎるほどの時間が流れていた。
ハロウの話によると、銀河のどこかの偉い人が、惑星に順位を付けたらしい。判断基準は、人類が快適に暮らせるかどうかだ。既に繁栄した地球を一等星として、環境が悪くなるほど階級が下がる。
みんなはこう思ったに違いない。五等星のクウネルはお察しだ、とね。
お母さんの話によると、クウネルの住民は、どうやら不時着した宇宙飛行士の末裔らしい。なんとか現在まで種を保っているが、劣悪な環境ゆえに、終わりが約束されている。
子供ながらに、ぼくは不条理だと思った。だけど、ぼく以外はそうじゃなかった。
「ねえ、フタリ。いつ頃地球に来る予定なの?」
見通しは立っていない。作業は山積みなのだ。
「一・二ヶ月以内だと助かるわ。だって、夏が始まるもの」
話には聞いていた。地球には夏があるって噂を。
「地球には海があるのよ。水がたっぷり溜まって、まるで銀河全体の水槽みたい。夏にぴったりの場所だから、フタリを連れて行ってあげたいの」
見てみたいと思った。だからロケットを手に入れた。
まだまだ動き出しそうにもないロケット。虚空を見上げて、夢だけが高く打ち上がる。
痣だらけの頬。泥まみれの服。寂れた道を歩きながら、通信機を握りしめる。
「珍しいね。フタリから連絡してくるなんて」
とうに慣れた仕打ちのはずだった。ただ、誰かに慰めてほしかったのだ。
「何かあったのかしら。話してみて」
鬱憤、たまりにたまった怒り。吐き出そうとした。できなかった。本心を吐露すれば、ハロウに嫌われると思ったのだ。機械人形とはいえ、ぼくの友達は彼女だけ。
ハロウを失ったら、ぼくはジャンク品のように、外殻だけの空っぽ人間になってしまう。どこまでも広い銀河の片隅。終わりゆく五等星で、孤独な最期を迎える。どれだけ惨めか。どれだけ恐ろしいか。今のぼくには言い知れない。
「寂しいの?」
口を噤んだまま、ウンと呟く。
「だと思った。寂しくなくなるまで、一緒にいてあげる」
地面が濡れた。クウネルは雨なんか降らないはずだった。
家に着いて、新しい服に着替える。シャワーを浴びる時間さえ、今は惜しい。
――ハロウに会いたい。ここ数日で、その気持ちが膨れ上がっていく。
要するに、ぼくは彼女が好き、なのだと思う。断定はできない。なぜなら彼女は機械人形だから。彼女に向ける感情だって、本当は尊敬や友情といった純粋な名前が付くのかもしれない。ただ今は、暫定的に恋心だと決めつけているだけだ。
その一方で、ぼくには恐れていることがあった。ハロウが機械人形ですらない、つまり存在しないことだ。ぼくは五等星に暮らすナードで、ハロウは一等星の機械人形。生まれながらにして卓越した頭脳を持つ彼女なら、ぼくと喋るよりも、他にやるべきことがあるはずなのだ。
この通信機は親からの贈り物だった。友達がいないなら、他の惑星の住民と喋るといい、という理由で。
ハロウは、通信機が創り出した虚構の存在なのかもしれない。ぼく自身が、嘘を認めたくないのかもしれない。
それでも、ハロウのことを疑いたくなかった。疑えやしなかった。この脆い両手でやっと掴まえたのだ。絶対に離してやるもんか。
通信を繋げたまま、ロケットの改造に取り掛かる。本当に地球に行くのだ、と通信機越しの彼女に伝えるために。
「少しは気分が晴れたみたいね」
指先を動かしながら、マアねと声を弾ませてみせた。
ハロウに会いたいと思った。だからロケットを手に入れた。
寒くて手がかじかむ。白い息を吹きかけて、幾らか楽になる。
誰にだって、過去を振り返りたい瞬間はある。ぼくの場合、それが丁度今だったわけだ。
とはいえ大した昔話ではない。ぼくが十歳だった頃……つまり、五年前の話だ。
誕生日という名目で、親から通信機を受け取った。なんでも、他の惑星と交信して会話できるんだとか。便利な機械だと思った。こんなものに頼らないといけない自分が惨めになった。
試しに電波を発信してみたけど、せいぜい四等星――ガニメデまでが限界らしい。おまけに、繋がった全員と反りが合わなかった。ぼくが手出しできないのをいいことに、日頃の鬱憤や愚痴を理不尽にぶつけてきたのだ。相手が通信を切る頃には、ぼくは嫌な気持ちでいっぱいになった。
だから父さんに相談したのだ。どうすればいいだろうかって。
次の日、通信機はずっと遠くまで繋がるようになった。父さん曰く、ちょっと手を加えたのだという。そこで電波を飛ばしてみると、なんと一等星まで届いたのだった。
そして、一番最初に繋がったのが、ハロウだった。
罵詈雑言を並べる人々とは違って、ハロウはずっと寡黙だった。ぼくも同じだ。けれど沈黙さえ心地良かった。だから、一度通信が切れても、もう一度繋ぎ直そうと思ったのだ。
彼女は自らを機械人形だと言った。構わなかった、孤独を紛らわせてくれるなら。
何回か通信するうちに、会話が続くようになった。心なしか、ハロウの表情も柔らかくなった。ぼくと同じで、ハロウも人見知りなのだろう。相手は機械人形、されど似た者同士。
いくつもの時間を共有した。限りなく肉声に近い機械音声が、ぽっかりと空いた余白を埋めてくれた。地球に行きたくなってしまった。ハロウを好きになってしまった。だからロケットを手に入れた。
本当は、ハロウなんていないかもしれないのに。
……いや。確かめなければ分からない。確かめるのだ。地球に行く。ハロウに会う。夏を知る。全てが現実なのだと証明する。そのためにロケットを手に入れた。
ロケットを広場の中央に持ってきた。いつものように、肌が震える日のことだった。分厚いコートに身を包み、首をうずめる。手はポケットの中だ。
見送りに来た両親に抱きしめられる。ロケットの物珍しさからか、周囲には人だかり。ぼくに泥を投げつけた連中も交じっている。
故郷を離れるとはいえ、ほとんど未練はない。両親のことだけが心残りだ。だけど、二人はぼくよりも社交的だ。きっと幸せに暮らすだろう。
両親に手を振って、ロケットに乗り込む。何度も試運転を繰り返した。失敗はまずない。失敗したって、別に構いやしない。
コンピュータを起動する。打ち上げに備えつつ、自動操縦の目的地を選択する。向かうは地球。片道切符の一人旅。
窓越しから父さんの顔が見える。父さんが改造してくれた通信機は、ちゃんとロケットに積んである。
「ハロー、フタリ!」
もちろんハロウとも繋がっている。一人旅だが、孤独ではない。
それとなく目を閉じる。聴覚が研ぎ澄まされる気がする。カウントダウンが、始まろうとしている。
打ち上がった。背中が引っ張られる感覚。轟音と共に、ぼくは空へと舞い上がる。見下ろせば、見上げる人々。手を振る両親の顔が、次第に消えゆく。辺りはあっという間に暗闇になって、何も見えなくなった。
「打ち上げ成功。お祝いパーティーを開かないとね」
パーティーは早くとも半日後だろう。なにしろ広大な宇宙だ。中古のロケットだと、それなりに時間がかかる。
幸運なことに、通信機は動作している。ハロウさえ許してくれれば、退屈に困ることはない。
他愛もない会話をした。最近はロケットの改造に忙しかったから、久しぶりにゆっくりと喋ることができた。彼女の声は、ちょっと低くて、ハスキーボイス。お姉さんって感じだ。声なんて、普段は意識しないのに、どうにも気になる。会話だけに集中しているせいだろうか。
「ところで、どこに着陸する予定なの? 迎えに行ってもいいかしら」
今のところは太平洋だ。
「太平洋? それ、本気?」
どのあたり。太平洋は太平洋だ。何を言っているのだろうか。
「フタリ、太平洋は海なのよ。溺れるわ」
ハロウ曰く、太平洋は陸ではないらしい。だから着陸はできないという。
とんだ失態だ。予め地球の情報を入れておくべきだった。とはいえ、時間は大量にある。ハロウと相談した結果、ひとまず彼女の住むUSAのテキサス州を目標にした。
雑談を交えていたら、二時間が経っていた。この調子だと、話す内容が尽きそうだ。ただでさえ会話が苦手なぼくのことだから、下手に話題を出そうとして失言するのが恐ろしい。
ぼくが口を閉ざしたら、ハロウも静かになった。休憩する時間だ。外を眺めていると、きらりと瞬く星を発見した。あれは何等星だろうか。人類が住んでいる気配はない。心なしか、段々と近付いている気がする。
いや、あれは星ではない。隕石だ!
自動操縦を解除して、レバーを左に傾ける。もしものために、ハンドルを搭載していたのが功を奏した。突如、機体が大きく揺れる。別の隕石が衝突したのだ。モニタを確認する。噴射口が一部欠損していた。燃料も漏れ出ているらしい。
「どうしたの、フタリ。大きな音が鳴ったけど……」
ハロウに隠し事はしたくない。隕石にぶつかったと素直に伝えた。ついでに、機体が故障したことも。
どうやら、機体は衛星の溜まり場に入ってしまったらしい。この場を脱出しなければ、今度こそ機体は宇宙の塵と化してしまうだろう。
地球にいる彼女に向けて、安心するように呼びかける。しかし返事はない。離席しているのかと思ったが、荒い息遣いが聞こえて、そうではないのだと悟る。
「フタリ」
やっと漏れ出た言葉は、その声色に相応しくないほど脆弱なものだった。
「私、あなたに隠していたことがあるの」
ぼくはキーボードを引き出して、プログラムを開始した。
「ゴメンなさい」
気にしないでと呟く。指先を動かして、機体の動作を指定する。
「私は、機械人形じゃない」
構いやしない。
「あなたの気を惹こうとして、嘘をついたの」
別に機械人形ではなくても、ぼくたちは五年間もの時を共有したのだ。
「本当は、私――」
今更、何がぼくたちを隔てようか。
夏が見たい。ハロウに会いたい。そのためにロケットを突き動かす。
ふと意識を取り戻した。ぼくは砂の上に横たわっていた。
顔だけを上げる。前を向く。茜色の天体が、丁度沈みゆくところだ。なんて眩しいのだろう。腕を目に当てて、光を防ぐ。
どこを見渡しても、ロケットの姿はなかった。通信機も一緒に消えてしまったらしい。孤独だというのに、気が重くなるような心地はしない。これは自暴自棄に近いのかもしれない。理性を取り戻したら、また薄暗い部屋で怯える日々が始まるのだろうか。
先程から、生ぬるい液体が足を撫でてくる。どうにも心地良くて、ずっと留まっていたくなる。
どこかから、砂を踏みしめるような音が聞こえる。段々と大きくなって、ぼくの隣で止まる。
ぼくは「ハロー、ハロウ」と呟いた。
ざあざあと、液体が寄せては返す。足を濡らして、逃げるように去っていく。
「ねえ」
隣から聞こえたのは、ちょっと低いハスキーボイス。
「退屈なら、話し相手になってよ」
そばかすの目立つ少女が、そう微笑みかけてきた。
ゲームテキスト置き場 阿部狐 @Siro-i
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