6-10

「一人でゆっくり休みたいかもしれないが……俺の頼みを聞いて頑張ってくれたんだ。どうか労らせてくれ」

「そんな、わたしは自分がやりたいと思ったことを――ん、む」


 口を開いた瞬間。

 もふ、と。

 唇に柔らかい感触が伝わり、続いて舌の上にソースを作っていた際に一度感じた蒲焼き風のソースの味が広がる。

 つい先ほど空腹を刺激されたばかりだ。口の中に広がる魔獣肉とソースの味が特に美味に感じられ、胃を締めつけられるかのような空虚感が埋まっていく。

 紡がれるはずだった言葉と一緒にもぐもぐと咀嚼するフィリカの様子を微笑ましそうに眺めながら、レウィシアも切り分けたうちの一切れを口に運ぶ。


「……わざわざ食べさせてくれなくても……」

「言っただろう。労らせてほしい、と」


 頬にほんのりと熱が集まっているのを自覚しながらも、少しばかりじとりとした視線を送る。

 だが、レウィシアはやはりどこ吹く風といったような様子で、全くといっていいほど怯んだり申し訳なさそうにしたりする様子を見せない。かわりに微笑ましそうな――愛おしさも滲ませた穏やかな目でこちらを見つめるばかりだ。

 食べさせてもらった分を飲み込んで、また浅く唇を開けば、レウィシアが次をすかさずフィリカの口元へ運んで食べさせる。


 どうやら今度はチリステーキ風に仕上げたものらしい。蒲焼き風のソースよりもしっかりしたバーベキューソース風の味わいと辛味がフィリカの舌に広がっていく。

 魔獣肉を噛みしめるたびに広がる味わいは食欲を強く誘うものがあるが、少しばかり喉が渇きそうだ。

 これはこれで酒が進むだろうが、これをあてにして食べ進められる何かも用意しておくべきだったか――反省点として頭の片隅に書き留めておきながら、フィリカは口の中にある分を飲み込み、炭酸水を口に運び、一息つく。


「ところで、フィリカ。知っているか?」

「……? 何をでしょうか」

「暴竜と呼ばれる竜たちは、番として選んだ竜へ食事を運んで求愛をするという習性があるそうだ」


 急激に喉が狭まり、げほごほと思わず咳き込んでしまった。

 あまりの驚きにむせてしまったが、そうなってしまうのも仕方ない。

 暴竜たちが番として選んだ竜へ見せる給餌求愛と、レウィシアがフィリカを労りたいと口にして食事を食べさせてくれている今の状況がどうしても重なってしまうのだから。

 数回ほど咳き込んで、呼吸を整えたのち、じとりとした視線を再度レウィシアへ向ける。

 こちらの姿を映す薄灰色の両目は実に楽しそうに弧を描いており、フィリカの反応を楽しんでいることを雄弁に物語っていた。


「……。……レウィ様、本気なんですか?」


 問いかけながら、フィリカは口元をハンカチで軽く拭った。

 そうしている間も心臓は驚愕と恋情、二つの感情で早鐘を打っている。自分からはわからないが、きっと今のフィリカの頬は朱で染まっているはずだ。

 本気なのかだなんて、自意識過剰に思われてしまわないかという不安もあるが――わざわざ食事を食べさせているタイミングで給餌求愛の話をしたということは、きっとそういうことなのだろう。


 レウィシアはフィリカの反応を見て楽しむことも多い人間だが、人に期待を抱かせるだけの嘘をつく人間ではないことを、これまでともに過ごしてきた時間の中で知っている。

 かちゃ、かちゃり。

 遠くから賑やかな人々の声が聞こえてくる中、ナイフとフォークが皿と触れ合うかすかな音が二人の間に満ちた空気を揺らす。


「では、逆に問うが。俺が遊び半分で婚約者にこんな話をすると思うか? もしフィリカの目にそういった人間として映っているのなら、少しばかり悲しくなってしまうな」

「いえ……そういうわけでは、ないんですけど……」


 レウィシアがそんな人間だとは思っていない。

 ただ、己よりも年上である彼から恋情と呼べる感情を向けられるとは思っていなかっただけで――フィリカよりも魅力的な令嬢は大勢いるから。

 ぐっと眉間にシワを寄せたフィリカの口元へ、また切り分けられた魔獣肉が差し出される。


「俺は本気だとも。俺は、俺の隣に置くなフィリカがいいと考えている。他の令嬢たちではなく、フィリカがいいのだと」


 他の令嬢たちではなく、フィリカがいい。

 レウィシアの唇から紡がれる言葉一つ一つがフィリカの鼓膜を揺らし、じんと胸に染み渡っていく。

 想い人から他の誰でもなくお前がいいのだと告げられて、嬉しくならない者がいるだろうか――いや、きっといない。

 この人の隣に立ってもいいのだろうか、この人と釣り合う人間になれているだろうか――と、一瞬だけ抱えてしまった余計な不安を簡単に吹き飛ばしてしまうほどの歓喜がフィリカの中で声をあげる。


「フィリカ。お前はどうだ? お前はどう思っている?」


 熱を宿した薄灰色がこちらを見つめている。

 冷たく灰色に染まった雪空の合間に、陽光が差し込んできているかのような、穏やかな光。

 はじめて出会った日のような、見る者を凍てつかせる冷たさはどこにもない。

 今、フィリカに向けられているのは優しくて――けれど確かな熱を感じる、愛を乞う者の目。

 他の誰でもない、フィリカへこの目が向けられている。その事実と現実がフィリカの心に熱を灯し、急激に体温を上げる。


 気恥ずかしさもあるが、どうしようもないほどに――少しばかり落ち着かなくなってしまうほどに充足感が広がり、一種の高揚感に近いものすら感じる。

 明確に緩む口元を一度だけ引き結んで、浅く唇を開く。

 先に言葉で想いを返すこともできるが――わざわざ自身に加護を与えてくれた暴竜の求愛を真似てくれたのだ。彼が番としてフィリカを選んでくれたのであれば、こちらもそれを模すとしよう。


 差し出されていた魔獣肉に噛みついて、レウィシアが持つフォークから抜き取って咀嚼する。舌の上に広がる味はすでに一度味わったチリソースの味だが、直前のやり取りの内容が内容だからか。

 先ほどよりもずっと刺激的で――ずっと美味だった。


「……これがレウィ様からの愛の求め方と知って、わたしがこうした時点で答えはわかるでしょう?」


 与えられたものを差し出された愛ごと咀嚼し、飲み込んで。

 唇を軽く舐めて、フィリカは両目を細めて唇の両端を大人びた雰囲気で持ち上げてみせた。

 ただ食べさせるのではなく、給餌求愛の真似事なのだと知ってなお、相手が差し出してきたものを口にする。その行動が意味することはわかりきっているだろう。

 フィリカが見つめる先でレウィシアが一瞬だけ大きく目を見開く。


「……わたしにも、いつか『世界』を食べさせてくださいね。レウィ様」


 あなたの目的が叶う瞬間まで。

 あなたの目的が叶ったその先も。

 長く傍に置いてほしい。暴竜が選んだ唯一の番として。

 熱量がうんと高い愛を向けているのは、フィリカも同じだから。


「……もちろん。お前が嫌だと感じても手放してやれないから、覚悟してくれ」


 手にしていた食器が置かれ、レウィシアがフィリカの手首を掴んで強引に引き寄せる。

 ぐらりとバランスが崩れ、元々近かった距離がゼロになり、唇が重なる。

 噛みつくかのような、ほんの少しだけ乱暴にも感じられる口付けのあと、互いの吐息がかかるほどの距離で薄灰色の両目が好戦的に弧を描く。

 レウィシアが見せた強者としての笑みに負けぬよう、フィリカも口角を釣り上げたまま、彼の両頬に手を添えた。


「それはわたしも同じですから。――どうかご覚悟を、レウィ様」


 一言、宣言して今度はフィリカからレウィシアへと噛みつく。

 ともにあろう、掲げた目的が叶うまで――叶ったあとも。

 互いを番だと認めた竜が、生涯をともにするように。


 きっかけは互いに利益を得るための契約じみたものだったけれど、今、互いを結ぶのはビジネスとしてではなく――正真正銘、将来をともにしたいと願った末に紡がれた、確かな絆なのだから。 

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暴竜夫妻は世界を食べたい 神無月もなか @monaka_kannaduki

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