君を知っている
火曜の放課後は部室の後片付けに忙殺された。昨日はクラスのお化け屋敷の片付けで手一杯だったし、その後の事件もあり文芸部の模擬店(と云っても部誌を販売しただけだけど)の片付けは手付かずとなっていた。
三年の先輩も片付けに名乗り出てくれたが受験勉強で忙しいだろうし、そもそも部活は二年が主体ということもあって有難いけど固辞させてもらった。本来ならもう一人、片付けの人員はいたから。
事件というのはある男子生徒…(越智君というのは公然の事実だが先生たちは名前を隠している)が放送室を乗っ取り、学校や先生への批判を校内放送で行ったのだ。批判というよりは越智君なりの政見放送だったのかもしれない。幼稚な罵詈雑言、私怨と云う人も多いけど。
あの校内放送から一日、越智君がどうなったかは分からない。2―Dの人に聞いてみたら、鞄もいつの間にか無くなっていたらしい。退学になったなんて噂も耳にした。
越智君が何であんなことをしようと思ったのか見当もつかないけど、あの校内放送で何を訴えたかったのかは分かるような気がする。
越智君の言いたかったこと、今年の部誌を手に取って越智君の寄稿文にページをめくる。締め切り間近までのらりくらり逃げられていたのを何とか書かせた小説だ。何やかんやいって、ちゃんと締め切りには間に合わせてくれた。
内容は「私」が恩師である「先生」に宛てた書簡形式の小説で、夏目漱石の「こころ」と太宰治の「人間失格」に大きく影響を受けていた。
「先生」に宛てた手紙には、現代の学校教育と自分が求めている教育や青少年としての生き方の齟齬、果ては人間の尊厳といった「私」の苦悩と窮状が書き綴られている。ここまで壮大じゃないけど昨日の校内放送と似通っている。この「私」が越智君の心の内を描写しているのなら私小説と思えなくもない。
作中に明言はされてはいないけど、この「先生」は中学の恩師で、「私」は高校生なのだと思う。「私」の訴えが越智君そのものなら、この中学の恩師は実在する人なのだろうか。あるいはこんな恩師に出逢えていればという願望なのかもしれない。
越智君の小説は他の部員の原稿と一緒に顧問の先生のチェックを受けている。結果、部誌として発行しても問題ないという判断だった。あくまで創作の内だから、まさか本当にあんなことをしでかすなんて先生も思いもしなかっただろうけど。
でも校内放送が始まってしばらくして、私には越智君だってすぐに分かった。スピーカーを通して聴こえてくる声は、不思議と聴き慣れた声なのにすぐには分からなかったけど、すぐにこの小説が思い浮かんだ。
急いで止めに行ったはいいけど放送室の場所をこれまで意識したことがなかったから、結局放送が終わるまで放送室を探し周ってしまった。
部誌を一旦机に置き、まずはバックナンバーの片付けから取り掛かった。年度ごとに段ボール箱へ詰めていく。これを古い順に積んでいかないと来年の準備で困ることになる。上に積んである箱ほど最新だ。
越智君はどうせ売れないと言って、当日は一回も部室に顔を出さなかった。結果的には二十一冊も売れて(ほとんどが身内なのはご愛敬)、先生が言うには近年では上々の売上らしい。越智君の小説も少なくとも二十一人の目に触れたことだろう。
去年までのバックナンバーを積み上げ、いよいよあと一箱というところで、部室のドアをノックする音がした。先生や部員ならノックなんてしないで入ってくるし、普段、文芸部の部室を訪れる部外者なんていない。
「…はい?」ドアの向こうへ怪訝に返事をする。
「失礼しまーす」
軽く会釈をしながら入って来たのは2―Dの秦さんだった。
秦さんとは同じクラスになったことはないけど、バスケ部でスラっとした長身にショートカットの美人、学年でも目立つ存在なので私は一方的に知っている。
「あ、ここ文芸部の部室だけど…」
しまった。ついタメ口で話してしまった。私は同級生と分かっているからいいけど、秦さんからしてみればいきなり初対面の人からタメ口だったので面食らったりしないだろうか。
そんな私の心配をよそに秦さんは特に気にした様子もなく、
「え、うん、知ってるよ!文芸部に用あって来たんだけど」
「あ、そうなんだ。どういった用で…?」
「今年の部誌ってまだ残ってたりする?」
「まだ残ってるけど…」
咄嗟に『まだ』なんて言ってしまったけど、まだどころか大量の在庫を抱えている。机に積み上げられた三十冊以上の新刊がその証拠だ。
「どうぞ…?」
私が一冊差し出すと、秦さんは在庫の山には気に留めず、パラパラと部誌をめくり出した。
それから秦さんは黙ってしまい、気まずい時間が流れていく。私は居た堪れなくなって意味もなく段ボールの蓋を開いたり閉じたりしていると、いつの間にか秦さんがこちらをじっと見ていた。
「片付け、大変だね。邪魔しちゃった?」
「あ、ううん。ちょうど片付ける前だったから。…売れ残った在庫は保管しておいて来年の文化祭でまた出すの」
「一人でやってるの?」
「あ、うん。でもそんな大した量じゃないから」
「あー、越智、停学なったもんね。知ってた?文芸部って二年は越智と守屋だけなの?」
急に名前を言われたのでびっくりしてしまった。秦さん、私のこと知っていたのか。名前を知り合うような出来事はなかったはずだ。聞いてみたかったけど、「私の名前知ってたんだ」なんて聞くのはいかにもアレだし止めておいた。
「あ、二年は私と越智君だけ。越智君、停学になったの?」
「そーそー。どうやらそうみたい。私、クラス一緒だから、てか席も隣だし」
「そうなんだ…。停学ってほんとにあるんだね」
「ね!実際なる奴いるだーって。馬鹿だよねー」
秦さんはまた部誌をパラパラとめくって、今度は目次のページをじっと見ているようだった。
「これ、買うね!いくら?」
「え!買うの?」
「うん。駄目?」
「ぜ、全然駄目じゃないよ!ただ、五百円するんだけどいいかな?」
「げ!思ってたより高い!二百円くらいだと思ってた!」
「よく言われる。これでも赤字なんだけどね」
「そうなんだ…てか、財布持ってこなかった。教室取り行ってくる!守屋もう帰っちゃう?」
「あ、まだいるから大丈夫だよ」
「ごめんね、ダッシュで取ってくる!」
律儀に部誌を私に返すと秦さんは走って行ってしまった。
秦さんから受け取った部誌を私もパラパラとめくってみる。きっと越智君は人よりも学校のことが好きなのだろう。だから惰性で過ごすのを良しとせず、何かが変わることを望んでいるのかもしれない。何が変わるのか、変わればいいのか。変わるのは越智君なのか。きっと越智君自身もまだ分からないのだろう。それが何なのか私も知りたくなった。
秦さんが戻ってくるまで、もう一度、越智君の小説を読みながら待っていよう。
君を知っている 津田善哉 @jyunkic
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