狭間のもの

四方樹

螺鈿の牛

私は昼休みに学校の屋上で隠れて煙草を吸うことが好きだ。不道徳的な行為へのゾクゾクする背徳感と社会に反旗を翻す爽快感を感じられる。煙草に火をつけた瞬間、日陰者の私は燦々と当たりを熱する真夏の太陽に向けて勝利の笑みを浮かべながら、中指を突き立てた。

咳き込まないように煙を肺に詰め込み、吐き出した。煙草の香りや味を楽しむ行為はとても楽しい。彼のシャーロックホームズは麻薬中毒者だったと言う。私は読んだこともない推理小説の主人公ジャンキーと自分を重ねながら英国の気分に浸った。

仰向けに寝そべりながらふとなんの気も無しに下に目をやると、地面にとても大きな蝸牛がいた。

貝殻は大人の顔ぐらいの大きさで、体長は教室の机ぐらい大きかった。その特異な大きさを除いても、それは蝸牛と呼称するには歪であった。貝殻は巻貝のような形をしており、殻は夜光貝のような虹色で、見る者を誘惑するように藍色や撫子色に煌めいている。

大きな蝸牛が角で円を描くようにぬたりぬたりと動かす気味の悪さから、それを視界に入れたことに不快感を覚えたものの、なぜだか見入ってしまった。

奇妙な蝸牛の魅力に目を離せなくなっていたが、煙草の先から落ちる灰が剥き出しとなった太腿に落ち、私は現実に引き戻された。出かかった大声を喉奥で引き留め、緩慢な動きで痛みを局所から足全体へと逃した。痛みが和らぐと、私は短くなった煙草を地面に擦り付けて火を消した。もう一度地上に目を向けると、いつも物静かにしている級友ーーと言ってもまともに言葉を交わしたことすらない上名前を忘れてしまったので級友という言葉は相応しくないーーがその蝸牛を拾い上げた。蝸牛は激しく角を動かし、不気味な動きを繰り返す。それは威嚇や拒絶ではなく、歓喜の印のように感じた。そう感じた自分自身が信じられなかったが、少なくとも彼女と蝸牛の間では何らかの合意が形成され、彼女は気持ちの悪い大きな蝸牛に腕を這わせた。ぬらぬらとした粘液を塗り付けて縄張りを主張するかのようなその動きは、蝸牛にしては早く、不気味さと嫌悪感が益々募る一方だ。しかし、そんな気味の悪さの中に確かにある不思議な魔力によりさらに目は釘付けになった。

彼女は粘液でぐちゃぐちゃになった腕を拭こうとせずに蝸牛を地面に降ろした。そして人差し指からゆっくりと垂れ落ちる粘液を愛しそうに舐め取った。表情はよく見えないが恍惚感に浸っている顔が容易に想像できた。

彼女はボタンをゆっくり外して制服を脱ぎ、スカートを下ろして、最後に靴を脱いだ。裸体を曝け出し、蝸牛に這わせた。

右足、右太腿、陰部、下腹部、乳房、顔、頭頂部。蝸牛は足のひだを大きく動かして彼女の全身を粘液で塗りつぶすように隈なく這いずり回った。その姿はまるで蝸牛とまぐわっているかのようだった。粘液で濡れた髪は濡烏色で美しい。全身を使い蝸牛を受け止める彼女には、年齢は自分とまるで違わないのに、毒婦の大人びた妖艶さを感じた。

頭頂部まで登り切った蝸牛は今度は逆の順番で上から下まで這いずり、左足から地面に降りた。最後に彼女は蝸牛を持ち上げて軽く接吻した。蝸牛は一層激しく角や足のひだを動かして粘液を垂らした。地面に降ろすと、蜚蠊わ蜘蛛のように素早い動きで何処かへ消えていった。

粘液に塗れた彼女は全裸のまま静かに佇んでいたが、急に首をガクンと動かして口角を異様なまでに吊り上げてこちらを笑った。気付いているんだぞと言わんばかりに、蝸牛よりも気味の悪い笑顔で嘲笑した。

それに驚いて私は小さく悲鳴を上げて後退りした。破裂しそうな心臓を落ち着けながら、恐る恐るもう一度下を覗くと彼女が服を着て何事もなかったかのように校舎の中に消えていく姿が見えた。粘液がなぜか綺麗さっぱり消えており、あれだけぐちゃぐちゃだった髪も元に戻っていた。

狐につままれた気持ちでぼんやりしていると、昼休みの終わりを告げるチャイムがなった。私は香水を雑に振りかけて匂いを誤魔化し、急いで教室に戻った。教室の彼女は蝸牛と肌を交わしていたのに澄まし顔で机に座り、校庭を見つめていた。そのまま何事も授業が進み、休み時間になった。私は仮病を使い、逃走するように家に帰った。私には彼女に喋りかける勇気もなかったし、これ以上彼女と同じ空間にいられなかった。

翌日登校すると彼女の席には誰もおらず、朝礼で行方不明になっているということが知らされた。情報提供の依頼もあったので、昨日の出来事を言ってみようと思ったが、突拍子もない上、立ち入り禁止の屋上に入り浸って喫煙していることが発覚して損をするのは自分なので、何も言わずに黙って聞いていた。

その日の昼休みもう一度屋上から彼女と蝸牛がいた場所を見ると、そこには2匹の虹色の大きな蝸牛が角をを絡めあいながら存在していた。私はその日から禁煙を誓った。

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狭間のもの 四方樹 @Itsuki_Yomo

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