並行世界の君と僕

ろうでい

並行世界の君と僕


「それじゃ、ありがとうございましたー」


 玄関の引き戸を閉め一歩外へ足を踏み出すと、熱を伴った日差しが僕を照りつけた。

 立夏。夏の始まりの季節というその名がぴったりと合うような今日の気温。先月までの肌寒さは何処へやら、だ。

 そろそろ夕方も近い時間。遠くではカエルの鳴き声が聞こえ始めている。もう少し季節が過ぎれば、ヒグラシの鳴き声もそれに加わってくるだろう。


 近くに停めておいた自家用車の荷台を開け、書類や鞄をそこに入れる。

 ここに来た時にあった大きな洗濯機は車から姿を消し、今は先ほど出てきた玄関の家に設置が完了している。


 僕の家は、この田舎町で小さな電気屋を開いている。

 祖父の代から続く店で、大型家電量販店なんかとは比べものにならない程の、小さな小さな電気屋。

 店先では最新式とはほど遠い洗濯機や冷蔵庫を販売しており、殆どの売り上げは今のような町内の家からの依頼により、商品を設置したり、電化製品を出張で修理したりする事がメインとなる。

 

 安く、品揃えも豊富でサービスも充実した大型家電量販店にウチのような店は太刀打ち出来ない。車で数キロの距離にはそんな大型店が多数出店をし、ウチの電気屋も全盛期である祖父の代から見れば年間の売り上げは半分以下である。

 だが、そういった大型店の手の届かないサービス。店に足を運ぶ事が出来ず、インターネットにも疎い地域のお年寄りの家に寄り添い、電話一本で自宅に駆けつけ発注や設置、修理を請け負うフットワークの軽さが、田舎町の小さな電気屋の生き延びる術である。

 高齢化の叫ばれる田舎町の中で僕のような町の電気屋の存在は、なくてはならない存在なのだ。


「……ふう」


 洗濯機の設置を終え、後は家に帰って今日の仕事は終了。

 これから夏にかけてエアコンの設置や修理も多くなる時期なので、これから来る忙しさを予見しながら僕は溜息をついた。


 ふと、周りを見回す。

 

「あれ……」


 どこか見覚えのある景色。

 配達先を見た時には全く意識をしなかったが、このコンクリートの道と、周りの景色には、見覚えがあった。


「懐かしいな」


 思わず声に出す。

 周りにある数軒の民家やアパートの外観は全て、自分の記憶の奥底に存在している。

 道を隔てた場所にある小さな公園。普段はグラウンドゴルフ場になっているその場所には小さな滑り台。入り口には自動販売機があり、毎日のようにそこで炭酸飲料を買っていた。


 ……ここは、高校時代に毎日登下校をしていた道だった。


 少し坂道になっており、行きは自転車のスピードを上げて学校まで一気に下っていき、帰りはサドルから尻を浮かせて汗をかきながら帰った思い出がぼんやりと蘇っていく。

 関連して、高校の時の思い出が。授業や、部活動の記憶。今はもう会っていない友人やクラスメイトとの記憶に、先生達の授業風景。はっきりとではなく、もやのかかったような思い出が頭に浮かんでいく。


 そして、目の前にある公園。

 周りを囲むように咲いているのは……確か、ヤマブキと言っただろうか。

 柵のように公園の周りを取り囲んでいる低木は、五月になると黄色い花を無数につける。


 高校時代は……いや、今でも、花への興味関心は薄く、公園に咲いている花の名前は桜くらいしか分かっていなかった。視界にそれを捉えていても、頭の中へそれが入っていかないのだ。


 だが僕は、このヤマブキの黄色の花は……覚えている。


 次々とぼんやり浮かんで消える高校時代の記憶から……一つ。


 そのヤマブキの花が、鮮明な記憶を呼び起こしてくれた。


―――


「彼女とか、できた?」


 高校に入って一ヶ月。

 僕は近所の幼なじみの涼子りょうこに、そんな質問を、この場所でされた。


 薄く微笑みながら、僕の顔をちら、と見るような目線。

 ストレートの長い黒髪が風に揺れる。昔はずっと、男と変わらないくらいのショートカットだった彼女だったが……同じ高校に入学した彼女の髪は、いつの間にか長くなっていた。それを今まで知らなかったほど、僕と彼女の関係は疎遠になっていたのだ。


 田舎の、隣同士の家。

 家の距離と同じく、人と人の距離も近い田舎町。まして子どもも少ないとなれば、男女関係なく僕と涼子は必然的に仲良しの友達になっていた。

 家の周りを二人で探検し、見つけた虫をカゴに捕まえ、林の中でかくれんぼをし、一緒に座って水筒の麦茶を飲んだ。時にはお互いの家にお邪魔して、テレビゲームに興じたりもしたものだった。


 小学校に入り少し時間が経つと、僕も涼子もなんとなく、それぞれの性別のグループで遊ぶようになっていった。

 中学校に入り、僕と涼子は遊ばなくなった事も自然に受け入れていき、学校ですれ違っても会話すらしなくなっていた。

 決して喧嘩をしたわけでもないし、仲違いをしたわけでもない。ただ、当たり前に……僕と涼子は、男と女という集団の中に入っていったに過ぎない。

 

 ただ……僕達はよく遊び、よく会話をした……友達「だった」。


 だから、あの日。


 帰り道が一緒で、たまたまその時間が同じだった彼女とぎこちない会話をしながら、二人で自転車を押して帰っていた。


 そしてすっかり女の子らしくなった涼子から、唐突な質問をかけられた。


 その場所が……ここ。

 彼女の後ろには、綺麗なカナリーイエローの花をつけたヤマブキが咲いていた。


「彼女とか、できた?」


 その質問と、彼女の黒髪。彼女のはにかんだ笑顔に、仕草。

 

 僕の記憶の中の彼女はいつまでも、その緑と黄色の風景と共にあった。


―――


 気がつけば僕は、自販機で微糖の缶コーヒーを買ってプルタブを開けている。

 冷たいその中身を一口啜って、ヤマブキの花を見つめる。


 ……彼女がどうしてそんな質問をしたのか。

 疎遠になった幼なじみとの会話のネタに困り、咄嗟に出た質問と考えるのが自然だろう。


 どういう返答をしたのか。それは僕の記憶の中に、曖昧にしか存在していなかった。


 彼女という存在はその当時はいなかったし、そんなものは出来た事もなかった。

 初めて恋愛というものを経験したのは大学の頃で、あの頃は彼女なんて存在が僕に出来るなんて想像もしていない。

 いわゆる僕は非モテで、部活動も映画研究会という名ばかりの、仲間内で映画やアニメ作品を鑑賞するだけの同好会だった。

 対して、涼子は小学校から続けていた吹奏楽部に入部。強豪校だった事もあり、部活動は毎日、日が暮れるまで行われていた。

 そんな彼女と帰り時間が一緒になったのは、後にも先にもあの一回だけ。

 立夏……五月初め。まだ高校に入ったばかりで、部活動も本格的に始動していなかった時期だから、彼女と一度だけ、帰りが一緒になったのだ。


 遠い昔……仲良しだった、涼子。

 次第に離れ、会話をしなくなり、その意識すらしなくなっていた、高校時代。


 あの頃の倍の年齢になってしまった今、そんな事を思い出すとは思わなかった。

 甘酸っぱいような、切ないような……なんともいえない気分を、僕は流し込むように缶コーヒーを飲む。


 僕はスマホの画面を開いた。

 ロック画面の背景には、笑顔の……五歳になる娘の写真があった。

 何度見ても愛らしく、少し小生意気ではあるが、可愛らしい自慢の娘。


 噂好きの母親から、涼子の話を聞いたのは数年前だ。


 涼子の母親からウチの母親が聞いた話では、涼子はこの町を出て行き、都会で結婚したのだという。

 僕より少し早く、大手企業に勤める男性と結婚をし、都会に引っ越してそこで二人の男児を出産。あちらでの暮らしを謳歌しているのだという。


「彼女とか、できた?」


 僕の記憶の中の彼女の声は、それでしか再生できなかった。


 ……何故彼女は、そんな質問をしたのだろう。

 そして僕は、何故こんなにも彼女のその時の言葉を、仕草を、表情を……こんなに何度も思い出すのだろう。


 答えは分かっていた。でも、あえて考えないようにしていた。


 僕はあの時、彼女に恋をしたのだ。


 でもそれを認めず、自分にそんな存在が出来るわけがない。第一、幼なじみだったが疎遠になった涼子とそんな関係になれるはずもない。そう、思い込んだのだ。


 ……彼女は、僕にどんな感情を持って、その質問をしたのだろう。


 何気ない質問の一つ。疎遠になっていた関係の会話からなんとか出した言葉だとは、分かっていた。

 だから僕も、その質問には曖昧な返答をする事しかできなかった。


 でも……。

 

 彼女がどう思っていても、僕はあの時。


 キミと付き合いたい。

 キミに彼女になってほしい。


 思い切って、その気持ちをぶつけてみても、良かったのかもしれない。

 

「……」


 唐突なそんな考えに僕は苦笑して、飲み干した缶コーヒーの缶をゴミ箱に入れた。


 ……初恋。

 涼子に対して抱いた片思いの気持ちは、僕自身が打ち消してしまった。

 

 大学卒業間近に付き合い始めた彼女と交際をして数年。結婚をし、娘にも恵まれた。

 実家の店の経営を手伝いながら、ゆくゆくは店を継ぐ決意もしている。決して稼ぎが良いというわけではないが、些細な幸せを十分に噛みしめられる人生を僕は送っている。


 ……彼女は、涼子は……都会でどんな暮らしをしているのだろうか。

 愛する夫と幸せな結婚生活を送っているのだろうか。二人の子どもと共に、順風満帆な、都会らしい華々しい生活を送っているのだろうか。


 僕の記憶の中の彼女は、あの時のままで止まっている。


 黒髪の美しい彼女が、ヤマブキの黄色の花をバックに微笑む、あの風景のまま。


「……」


 もしも。


 もしもあの時、涼子のあの質問に、真剣に答えていたら。

 涼子への初恋の気持ちを、彼女に全力でぶつけていた……そんな選択肢を、僕がとっていたのなら。


 高校の頃に所属していた映画研究会で観たSF映画に、並行世界の話があったのを思い出す。


 パラレルワールド。

 人生における無数の選択肢を、今の現実とは違う選択肢をとった先に広がる世界。


 その世界の中に……あの時、涼子のあの質問に真剣にぶつかっていた自分がいるのだとしたら。



 ……その世界で、僕と涼子は、結ばれているのだろうか。



「ははは……」


 そんな考えに苦笑しながら、僕はその公園を離れる。


 自家用のワゴン車の運転席ドアを開け、車内でハンドルを握りエンジンをかける。


 エアコンから涼しい風が吹いた。

 僕はギアに左手をかけ、その場所を立ち去る事にした。



 ……もしも、並行世界が存在したのなら。


 僕と涼子が付き合って、結婚をして……そんな世界が、存在しているのなら。


 

(そっちの世界で、涼子を幸せにしてやってくれよ、僕)



 風に揺れるヤマブキの花を車窓から横目に見ながら、僕の車は坂道を上っていった。



―――

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