「コウさん、言われてた資料集めてきたんですけど」

「おおありがとう。そこのファイルに挟んでおいてくれ。明日朝早いだろ?もう帰っていいぞ」

「いいんですか?ありがとうございます」

 俺の事務所は4人の調査員と事務員が一人だけだ。各々案件を抱えていて、俺は今、浮気調査の報告書を書き終えた所だった。うちに来る依頼の7割は浮気調査なので、この手の報告書はなれたもんだ。

「さてさて、俺もそろそろ帰るか…」

 今日は何としても行きたい場所がある。ナカマ食堂。臨時休業から2日後にはいく予定だったのだが、急ぎの案件などが立て続いて1週間が過ぎてしまったのだ。そろそろ美味い魚料理が食べたくてうずうずしている。まぁ、行く理由は他にもあるのだが…

 長い地下道を歩いてたどり着いたガラス張りの扉。会員証をかざしてロックを解除すると重そうなガラスが動いた。

「いらっしゃい。お、コウさんお久しぶりです」

「お久しぶりです大将。いやぁここの料理が食べたくて気が狂いそうでしたよ~」

「それは大変だ、今は空いてますし早速何かお出ししましょうか」

 まだ夜が深まる前だったためか、席はまだまだ空きがある。

「頼みます。おすすめは?」

「脂ののった鰹が入ってます。たたきが最高ですよ」

 鰹…!この時期の鰹はたたきが最高に美味いんだ…

「たたきお願いします。あとは適当に定食くらいの量でお願いできますか?あといつもの焼酎も」

「あいよっ」

 注文をしてすぐに、ガスバーナーを点火する音がして、パチパチじゅわっ…と心地のいい音が聞こえて来た。今が旬の初鰹。造りの中でも鰹は3本の指に入るくらい好きなのだ。ちなみに残りの2本分は、アオリイカとしまあじだ。

「お待たせしました、鰹のたたきですね~。薬味はネギとオニオンスライス、生姜、ニンニクで、ポン酢と塩をご用意しました」

「うわうまそ…これは?」

 メインで持ってきた器とは別で、小さな小鉢に入れられた鰹があった。

「こちら今日為にで作ってみたものなんですが…柚子塩に数時間つけて浸透させてみたんです。私的には中々上手く行ったと思っているのですが、味見していただけないかと」

「凄い旨そうなもの作ったんですね、喜んでいただきます」

 とはいってもとりあえず1口目はノーマルからだな。

「んん…旨い」

 この一言に尽きる。皮からじゅわっとトロりと脂が流れてポン酢と薬味と混ざり合う。生姜とニンニクってどうしてこうも相性がいいのか…2口目は粗塩だけにつけて口へ運ぶ。ジャリッとした甘い塩と鰹の旨味が合わさってさらに甘みを感じる。

「脂が凄いですね、どこの奴ですか?」

「今日のは高知です」

 高知県産の鰹か。毎年お世話になっております。

 鰹に謎の感謝の気持ちを述べながら、柚子塩漬けの鰹に箸を移す。塩のせいか少し水分は出ているものの、身が締まった感じがして旨そうだ。

「…⁉これは、」

 絶句する俺を心配したのか大将が様子をうかがってくる。

「…安心してください、旨すぎて絶句してただけなんで…大将これ凄いですよ。ノーマルはもちろん旨いんですけど、柚子塩は今まで食べた鰹の中で1番美味いです!」

 思わず興奮して捲し立ててしまったが、それくらい美味いのだ。

「ありがとうございます。いやぁ、うちに来てくださるお客さんの中でもコウさんはかなり舌の肥えている方だったので、そう言って頂けて嬉しいです」

「俺はただ食べるのが好きなだけだよ」

「食は生活に欠かせないものですからね、楽しまないと損です」

 そう言って大将はお盆に残りのメニューを載せて持ってきてくれた。

「シラスの染めおろし和えと小あじの野菜たっぷり南蛮漬け、赤だしにしぐれ煮です。シラスにはスダチをきゅっと絞ってお召し上がりください。今日は白米にしました」

「これは豪華だな。ありがとうございます」

 このちょこちょこと小鉢が並んでいる感じが俺は大好きなのだ。家で実践しようにもこの間のように失敗をするので、ナカマ食堂に来るときの楽しみなのだ。小鉢好きなのを大将も分かっているのでいつも少しの料理をたくさん出してくれる。

 そして美味い。やっぱり魚を食べるならここに来ないといけない。

 南蛮漬けの小あじはまだカリカリとしている。そして俺は南蛮漬けに入っている玉ねぎが妙に好きなのだ。火を通していない玉ねぎに染み込んだ合わせ酢が旨味たっぷりで最高だ。

 そしてスダチを絞ったシラスの染めおろし和え…これは食べなくても分かる。旨い。今日は柑橘にやられる日だ。

「今日も最高です。しぐれにも相変わらずで、レシピを教えて欲しいくらいに旨いです」

「しぐれ煮以外ならレシピお教えできますよ?」

 と悪戯な笑みを浮かべる。毎度のことだが、しぐれにだけは秘伝らしく全くレシピを打ち明けてはくれない。俺も仕事の秘密は決して話さないし、これもじゃれ合いのような会話だ。でも気になるものは気になる。という事で何度か自分でも試行錯誤して作ってみたが、どう頑張ってもこの味にはたどり着かない。いったいどんな魔法を使ってるんだろうか…

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