第十話

 教師の職に就いてからの日々は、まさに地獄のようだった。

 住民から度々来る生徒への苦情の対応、素行の悪い生徒の指導、そして給料の発生しない残業。

 サッカー部の顧問ということもあり、土日は部活に駆り出された。一応給料は発生するが、雀の涙ほどの金額しか貰えない。

 しかし責任ある立場であることから、休むことも許されないのだ。


 一日だけ、仕事を無断で休んだことがあった。

 もう耐えられないと思ったからだ。

 この後、自殺するつもりだった。

 もうこの世に未練など何もなかった。


 そんな時、彼女は現れたのだ。


「おじさん、だいじょうぶ?」


 不意に話しかけられ、山崎は顔を上げた。

 目の前には、まだ小学校にも通っていないであろうほど小さな少女が立っていた。


「はは、大丈夫だよ。少し、仕事が大変なだけだから」

「そうなんだ」

「そうなんだよ、はは」


 そう言って、虚ろな瞳のまま顔を下に向けた。

 今は、誰とも話したい気分ではなかった。


 ふと、山崎は自身の頭に違和感を感じた。

 何かに撫でられているような、そんな感覚だった。

 再び顔を上げると、少女が優しく頭を撫でてくれていた。


「つかれたね、たいへんだね」

「……ッ」


 つい、涙が滲んでしまった。

 それは自分の意思ではどうしようもなく、目元に溜まったそれはダムの如く溢れてしまう。

 嗚咽おえつまで漏らし、山崎は少女に抱かれながら泣いていた。


「だいじょうぶだよ。わたしは、おじさんのみかただから」


 この言葉に、どれだけ救われたか分からなかった。




 この学校で、あの時の少女と再開したのは本当に偶然だった。


 去年、非常に可愛らしい女子生徒が入学してきたと噂になったのだ。

 教師の間でもしばらくその話題でもちきりだったことは今でも覚えている。


 名前は高橋麻衣といい、小柄な少女だった。


 高橋が一年生の時から、その顔を見た時から……山崎はあの時の少女であると気が付いていた。


 高橋が二年生になり、彼女の担任を務められると分かったとき、山崎は内心歓喜していた。

 しかし、あの時のことを口にするつもりはなかった。

 高橋は覚えていないだろうし、山崎にとっても思い出してほしい記憶ではなかったからだ。


「いくら可愛いからって、好きになっちゃだめですよ?」


 これは、大学時代からの同僚に酒場で言われた言葉だ。


 当然だ、と山崎は思っていた。


 いくら感謝しているとはいえ、可愛いとはいえ……相手は生徒なのだ。

 彼女の幸せを願うことはあっても、それを自分を含めたものであってほしいなどとは思ってもいなかった。

 好きなることなどないと思っていた。


 それでも、毎日少しずつ会話を重ねていくうち、山崎は高橋に確かに惹かれていったのだと思う。

 そして、相手もそれは同じだと思っていた。


 会えば笑顔で挨拶をしてくれる。

 気軽に話しかけてくれる。

 さり気なくボディータッチをしてくれる。


 山崎は高橋という一人の女子高生に恋をしていた。

 そしてそれは、相手も同じだと思っていた。


 しかし、ここで予想外のことは起こった。

 高橋に彼氏ができたのだ。同じクラスの、杉山大翔という男子生徒だった。

 この時の山崎は、何とかこの二人を別れさせようと躍起やっきになったものだ。

 高橋本人に杉山の駄目な部分を愚痴ったり、杉山に他の女子生徒を勧めたり……。


 そして同じ時期に、クラスの一員である百合真央も杉山のことを好きであるという情報を手に入れた。

 これはチャンスだ、と山崎は思った。

 だから、百合をそそのかしたのだ。


 高橋が百合の悪口を言っていたとか、この前上履きが紛失したのは高橋が原因であるとか、あることないことを百合に伝えた。

 山崎は、高橋がグループ内でハブられれば、必然的にその原因である杉山と付き合っているのが嫌になって別れてくれると考えていたのだ。


 しかし、現実はそうはならなかった。

 いつまで経っても高橋と杉山は別れなかったのだ。

 それ以上に、高橋がグループ内で想像以上の酷いイジメを受けていることを知った。

 泣いているのを発見していなければ、このままいつまでもその事実を知らないままだっただろう。

 その時の顔が、表情が、過去の自分と重ねられた。

 あの状況から救ってもらったくせに、彼女に同じ顔をさせた自分が許せなかった。

 なにより、自分がけしかけたことだとはいえ、高橋をこんな目にあわせている奴らを許せなかった。


 だから、提案した。「殺してしまおう」と。

 高橋は意外にもすんなりこの計画に乗った。


 井上、そして高坂の殺人までは順調だった。問題はその後だ。

 予想外の人物が入ってきたのだ。それが外林桜だった。

 外林は頭から血を出して横たわっている井上と高坂を見て、大声を出して逃げていった。

 まずい、と思った。完全に顔を見られたからだ。

 殺さなければ。その考えが思い浮かぶのは自分でも驚くほどに一瞬だった。

 高橋に死体は窓から捨て、飛び散った血液を掃除するように指示し、山崎は逃げていく外林を槌を持って追いかけた。

 逃げている最中、足がもつれて転んでしまった外林を、山崎は躊躇ちゅうちょなく殺害した。不思議と罪悪感は感じられなかった。

 安心感のせいか脱力し、その場でへなへなと尻もちをついた。手から槌も離れた。


 その時、背後から足音が聞こえてきた。

 振り返ると、誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。

 懐中電灯を持っている。恐らくは警備員だろう。


 山崎は慌てて周囲の状況を確認した。

 こんな状況を見られでもしたら、とても言い逃れできない。

 この時の山崎は、よほど焦っていたのだろう。

 山崎は槌をそのままに、急いでその場から離れた。




* * *



「山崎のことだが、ホームセンターの防犯カメラにしっかりと映り込んでいたらしい」


 都内の探偵事務所にて。

 坂本は鞄に荷物を詰めながら言った。

 急いでいるからか、こちらを見ることはしない。

 宮本は椅子に座り、そんな坂本をただ呆然と見つめていた。


 ……あの後。

 知りうる限りの情報を警察に提出し、山崎、そして高橋の二人は検挙された。

 二人は意外にもあっさりと容疑を認めたという。

 

「心配なのは、杉山さんですよね。好きな人を失ったからって、自暴自棄にならないといいですけど」

「それは大丈夫だろう」


 宮本の独り言に、坂本はそうはっきり言ってみせた。

 そんなことは分かっている、と宮本は坂本にジト目を向けた。

 警察に連行される高橋を見て、彼はこう言ったのだ。


「彼女が罪をきちんと償ったら、もう一度話してみようと思います」


 その時の彼の目は、確かに正常だったように思う。


 一つだけ気になったことがあり、宮本は坂本にある質問を投げかけた。


「山崎さんは、本当に高橋さんのことを好きだったと思いますか」

「いや……」


 宮本の問いに、坂本は首を振ってみせた。


「本当に好きなら、手を上げたりはしないだろうな。あれはただの独占欲だ」


 それだけ言って、とあるチェーン店のユニフォームを着用した坂本は、慌ただしく探偵事務所から出ていった。

 坂本はバイトで午後までは帰ってこない。

 それまではこの場所に一人、ということになる。

 この探偵事務所は依頼が滅多にこないため、バイトをしなければ生計を立てられないのだ。


 それにしても、坂本は何をそんなに急いでいたのだろうか。

 バイトに遅刻できないのは分かる。が、ここからバイト先まで三分もかからないし、彼のシフトはこれから三十分も先だ。

 首を傾げながらも、宮本は残っていた洗濯物を畳んでいた。

 

 そしてそれから数分後、探偵事務所のチャイムが鳴った。

 誰だろう、と宮本は立って玄関に向かった。

 何か忘れ物をした坂本か、はたまた新しい依頼主か……。

 微笑ほほえみつつ扉を開けるも、そこに立っていたのはそのどちらでもなかった。

 緑の制服に身に包んだ配達員だった。


「どーも、宅配です。ここに印鑑いんかんかサインお願いします」

「……? ああ、はい」


 何か注文していただろうか、と不思議に思いつつも玄関に置いてあった印鑑を手に取り、宮本はそれを言われた場所に押し付けた。

 荷物を受け取り、宮本はリビングでそれを開梱かいこんした。

 そこに入っていたのは___ダンベルだった。

 筋トレでも始めるのだろうか、とそれを持ち上げてみて、予想外の軽さに驚き、その場で尻もちをついた。


 一瞬で気がついた。

 これは面白グッズ……もとい、ガラクタだ。

 探偵が……坂本が早々に出ていった理由を察し、宮本は叫んだ。


「いつきいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 一人残された探偵事務所のリビングに、成人女性の大声が響き渡った。

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都内に事務所を構える名探偵はどうやら極端な気分屋らしい〜とある共学校で起こった女子生徒数名の殺人事件〜 伏見ダイヤモンド @hushimidaiyamondo

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