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「――アナクロ。一つだけ気になっていることがあるんだが」

 蔵内クラウチさんは神妙そうに聞いてきた。

「なんですか?」

「あの古書を入手した、利市リイチハヤトってのは誰なんだ?」

「誰って……、僕の近畿支局時代にお世話になった先輩ですよ。ここ最近も透明人間事件のために淡海事務所に通っていて。有能な人で、単独調査で首堂商會まで目星をつけたんです。それ故に、逆に透明人間の標的にされてしまい、昨日応接室で殺されてしまった――」

 そうだ、先輩の遺体に手を合わせたかった。利市さんのおかげで、事件を解決に導けたとお礼を告げたかった。どうか、安らかに眠ってほしい……。

「お前、何か勘違いしてないか?」

「……は?」

。顔面や指紋が焼かれて身分証もなく、個人特定が難しかったみたいだが、静脈認証の照合が一致したんだ。鑑識がさらに自宅の毛髪をサンプルにDNA鑑定をするみたいだが、これはほぼ確定の情報だ。狩井が直接、最後の実行犯である明石を始末したんだ」

「それは……、それはおかしいですよ。だって遺体は先輩がいつも着てるスーツ姿でした。体格だって見間違うはずがない。それに、直前まで僕は利市さんと会話してました」

 ――話しながら、僕は自分の証言に自信がなくなっていた。


 着用していた衣服は個人の証明とは言えない。死体を誤魔化すために着せ替えて成り済ますケースだってある。利市さんと明石アカシはどちらも長身でスラリとしていた。昨日見た現場で顔面は確認できず、その他細かいところまで見比べるほど僕は冷静ではなかった。

 そして、先輩とは壁越しではなく電話越しで喋っていたのだ。

 まさか……?


「それに、俺は嫌というほど物覚えが良い。淡海事務所に出入りする職員と顔と名前くらい、守衛のおっさんや人事より正確に把握している。だけど、お前の話す利市ハヤトなんて名前の人間に入館許可が与えられたことは一度もない」

「く、蔵内さんだって人間だ。たまには忘れることだってある」

「それはない。あり得ない」


『――あり得ないことは起こり得ない。お前はいつもその言葉で、自分の気持ちを押し殺す。それが事実を見えなくするんだ』


 また、もう一人の僕の声が脳内で囁いた。

 ――じゃあ、利市ハヤトってのは誰なんだ?

 僕は弾かれるように走り出し、番犬部隊のヘリへ駆け寄った。虚ろな目をして唾液を流している狩井カリイの胸倉を掴む。

「――おい! お前は昨日、応接室で誰を殺したんだ?」

「……あ、明石、明石リョウワです。……蛇みたいな目をした男でした」

「どうして顔面を損壊させてビニールで覆っていた? 何故スーツを着ていた?」

「……全部、全部、指示通りやっただけなんです。がそうしろって言うから、言われたように、全部。じゃないと、今度は自分が殺されるから。今までも、ずっと、そうだった……」

 狩井が子どものように身体を震わせながら泣き出した。これ以上聞き出しても、もうまともなことは喋らないかもしれない。それでも、問答を続ける。

「声の主って誰だ?」

「……本当の、本物の透明人間です! プロメテウスです! ぼくはただのゲームの駒なんです……。声の命令に従わないと、顔を焼かれて……。ああ! 熱いよー! 痛いよー! もう許してよ助けてよ……、苦しいのはもう嫌だよおおおおおお!」

 精神錯乱だ! 拘束具で捕縛されているのに狩井の身体は獣のように暴れ出す。異変に気付いた隊員たちが必死に押さえ込む。一人がナックルウーファーを構えていた。失神させるのか?

 ――いや、良く見れば、。傭兵たちから回収したアサルトライフルだった。何故、そんなものを……?


「よう、アナクロ」


 声の主は、だった。

 それ以前に、その声色とヘルメットのバイザーから覗く目元は、だった――。


 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。


 狩井が、破裂した水風船のように身体の各所から鮮血を噴き出した。吊り上げられた魚のように、固い床の上で何度も跳ねる。

 硝煙が漂い、薬莢が転がる。火薬の臭い。瞼の裏に転写された、マズルフラッシュ。

 僕は唖然あぜんとして、完全に思考が停止してしまった。

「じゃあな」

 声の主は爽やかに手を振って、ジョギングするように走り去っていく。


「――何している! 確保おーっ!」

 ヘリの操縦席後ろにいた佐理伴サリバン次長が、叱咤しったするように隊員たちに怒鳴り散らした。

 番犬部隊は一斉にナックルウーファーを構えて狙撃体勢になる。だが――。

『エラーコード404です。トラブルシューティングを作動させるか、電源を再起動してください。エラーコード404です。トラブルシューティングを作動させるか、電源を再起動してください。エラーコード404です……』

 無慈悲な電子アナウンスが己の無能さを告げる。ドットサイトが赤い点滅を叫んでいた。これまで難なく機能していた銃が、ここで突然の動作不良。僕のせいか、奴のハッキングなのか……?

 隊員たちはウーファーを放棄して走り出した。目標を追いかける。あいつは地下への出入口へ飛び込んだ。その背中があっという間に見えなくなる。


藤桝トウマスさん、灰瀬ハイセさんをお願いします! わたしも――!」

 阿澄アスミさんはテクネを藤桝に預けようとした。しかし藤桝は拒む。

「無駄だ。暗黒街はアリの巣のように迷宮化していて、設計図面にもないようなルートが住人によって無限に拡大している。それに、罠を仕掛けられているかもしれない」

「そんな……」

「俺たちの作戦は終了している。これ以上危険な場面に首を突っ込むな。……クソッ!」

 蔵内さんはヘリの壁面を殴った。佐理伴次長は無線機に向かって何かを叫んでいる。僕は相変わらず呆然としていて、何が起こったのかまるで理解できていなかった。

「……助けてくれ」

 狩井の口から最後の言葉が漏れると、眼の光が消えた。

 彼も、だったのだ。

 これまでの調査はなんだったというのか。本当の透明人間は、ずっと近くにいたというのに――!

 テクネは感づいていた。僕に張り付いていた怪しい人物は、狩井よりずっと前から目を光らせていた。。

 ――利市ハヤト。

 お前はいったい、誰なんだ?

 もう、その人物の顔や声さえうまく思い出せなくなってきた。信じていた世界は全部偽りだって言いたいのか? ハログラムで構成された宇宙みたいに、脳だけが都合よく情報を読み込んでいるみたいに。

 信じていたのに、頼りにしていたのに。よくも、よくも裏切ってくれたな……!

 悔しさと怒りが腹の中で混じり膨れて、その声を思いのままに吐き出す。


「……いかないでくれ」


 漏れ出したのは、何故か蚊の鳴くような叫びだった。まるで、迷子みたいに心が揺れている。

 伸ばした手は虚空を掴む。

 指の隙間から零れ落ちていくように、透明人間の残影が消えていく――。

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