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 沈黙が破られて、頭の中で警報がけたたましく鳴り響いた!

「離れろ! 何が起こるかわからん!」

 衝撃と風圧。

 稲妻と火花。

 ……あり得ないことは、起こり得ないはずだ。テクネの周辺で嵐が発生していた。

 そして、彼女自身にも変化が表れる。ファイフラのランプが全て血のような赤色を発光させていた。同時に、彼女の色素の薄い髪も瞳も、火焔のような色彩に染まる。怒髪天どはつてんく、とはまさにこのことだ。

「『……死なないように、殺してやる』」

 テクネはオーケストラの指揮者のように、その両手を掲げた。

 一呼吸。

 ……何も起きない?

 いや、天井から音もなく、何かが雪のようにゆっくりと落ちてきた。

 ――黒い羽根だ。

 見上げれば、異形であり怪異。

 サッカーグラウンド一面以上ありそうな天井の面積を埋め尽くすほどの、が、重力などないように逆さ状態でひしめきあっていた。大量の生物が集中してうごめいている形相は気味が悪かった。

「『鳥葬――』」

 魔女が静かに手を振り下ろす。

 すると、カラスたちは黒い吹雪のように、一斉に地面へと急速落下を始めた――! その場にいた全員が身構えるが、くちばしが向かう先は狩井カリイ、ただ一点のみだった。

「――来るなあっ! やめろおおおおお!」

 狩井を取り押さえていた隊員たちも急いで逃げ出す。狩井はあっという間に濁流だくりゅうに飲まれた。

 ……何が起こっているかは、嫌でもわかった。僕が初めてハヤマ先技研の零号室を訪ね、テクネから受けた超絶ハログラム技巧の歓迎と同じだった。

 だが、あのときの蛇とスケールが違い過ぎる。ハログラムのはずなのに、が周囲へと飛び散っていた。狩井の身体は余すことなく、喰いつまんで削られていく。本当にそんなことは起こっていないのだが、視覚イメージは脳に誤認を与える。

 強烈な精神負荷――。

 死なないように殺す――。

 バックアップなしのテクネのファイフラでは、巨大な柱一本の錬成が限界だった。それだけでもすごい性能なのだが、それを圧倒的に上回る仮想ファイフラというのは、無尽蔵なエネルギーを放出しているかのような超常現象だ。核兵器を開発してしまった科学者の気持ちが、少しわかったかもしれない。神の如き底知れぬ魅力と恐怖は、自我を狂わせる……。


 ただただ続く残虐の儀式は、狩井の悲痛な藻掻もがき苦しむ声が消沈すると同時に終わりを告げた。

 横たわる狩井はにも関わらず、一瞬で即身仏のようなミイラ状態に成り果てていた。息だけは辛うじてしているみたいだ。

「テクネ――!」

 テクネのほうもまた、気絶して床に伏せていた。近づいて確認すれば、すっかり元の姿に戻っており、眠るように気を失っていた。過去のような火災にはならずに済んだのが幸いだ。

 ……もう、彼女がこんな混乱することのないように配慮しなければならない。そう固く決心する。

 僕も、ボロボロになった身体があちこちの不調を思い出したように訴え始めた。

「――作戦終了です。撤収しましょう」


 番犬部隊は気絶している狩井たち一味を担いで地上へと向かった。

 僕は応急処置を受けて、蔵内クラウチさんに肩を貸してもらって歩き出す。テクネも阿澄アスミさんに背負われた。

 とても久しぶりに外に出た気がした。

 深夜帯を超えたのか、空は薄っすら明るんでいる。サーチライトで地面を照らすヘリが何機か、空中をホバリングしていた。警察の車両や人員も慌ただしく動いている――。

 佐理伴次長に話がつかず、狩井の計画通りであったら今頃逮捕されていたのは僕らのほうだったんだろうな。勝てば官軍、負ければ賊軍だ。

 そんなことはお構いなしに、物流拠点の無人機たちは通常通り動き続けていた。また今日も変わらず、都市は一日を始める。僕たちはそんな当たり前を守り続ける。それにしても、人生で最も災難な一日だったな……。


 一機のヘリが地上へと降下してきた。ローターの回転が停止すると、番犬部隊たちがそこへ拘束した傭兵たちを放り投げていく。

 佐理伴サリバン次長が僕の手に肩を置いた。ビクリと身体が強張こわばる。無茶苦茶したことを叱責されるのだろうか。

「ご苦労だったな。我はこれで失礼する。貴様らは別の救護班到着を待て。……さて、これからのほうが大変だ。特務機関で甘い汁をすすっていた連中を芋づる式に引きずり出す。鉄穴クロウ、もしこの件から離れて通常の調査官を希望するなら好きな席を用意しておこう。だが我や蔵内、阿澄と共に鉄穴カンナレポートのを探りたいというのであれば、明日も変わらず書庫整理に励むことになる。どちらを選択する?」

 即答しなければ首を斬られそうなセリフだった。だがそれ以前に、僕の返事は決まっていた。

「自分は……、どこに配属されようとも公安調査官であります。いかなる権力であっても、法律と社会秩序のために情報を武器に戦う所存でございます。そして父の無念を、必ずや果たして見せます!」

「……よろしい。だが我々もある意味ではサリバン機関という独自目的のために動く特務組織と成りうる。もし、その行為が目に余るものと判断した場合は、迷わず我を背後から撃ち殺せ。いいな?」

「は、はい!」

 僕は精一杯背筋を伸ばして返事をした。

「ふん、父親と同じで躊躇ちゅうちょをしないな。良い目をしている。それから蔵内、調査のためとは言え競艇場での舟券購入は経費にならん。今度こそ島流しにするぞ。南極で好きなだけスパイをさせてやる」

「へ、へえ。気を付けますんで……。許してください」

 蔵内さんは見たことないくらい委縮していた。

「阿澄、貴様は番犬部隊に入隊しないか? 語学力を活かすのも良いが、腕っぷしも申し分ない」

「え、ええ? その、お言葉ですが、……わたしより強い人がいたら考えます!」

 おいおい、この娘! とんでもないスカウトの断り方をするな。

「フハハハハ! 大胆な小娘だな。よろしい、刺客を放っておくから返り討ちにしておけ。良い訓練になる。それとIISの藤桝トウマス技官、調査協力に感謝する。センター長には付き合いがあるので話をしておこう。引き続き頼む」

「う、うす……」

「そして……、いや、眠り姫を起こしてはいけないな。――では諸君、サラバだ」

 佐理伴次長はテクネから視線を外すと、ヘリのほうへと颯爽と歩き出した。

「――蔵内調査官、鉄穴調査官。検察への証拠品提出のために、古書と録音機を預からせてもらえますか?」

 番犬部隊の一人が僕たちに声をかけてきた。確かに、これから僕たちが持ち続けても仕方ない。調査の裏付けのために役立ててほしいものだ。情報のバトンを受け渡す。

「拝受しました。ご苦労様でした」

 隊員はヘリのほうへと戻っていった。一仕事終えた気分になる。過剰労働だ。

 とりあえず、ぐっすり眠りたい……。

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