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 ……すっかり長話になってしまったな。

 晴れ渡っていた青空が曇りがちになってきている。テクネはまだチビッ子たちと戯れているのだろうか。

 周囲を見渡すと、いつの間にかハログラムの動物園も子供たちも解散したのか不自然なほど人一人いなかった。

「おーい、先生……?」

 立ち上がって呼びかけるが、沈黙が返事をする。またいつものイタズラだろうか。それにしても、落ち着かない静寂さだった。胸騒ぎがしてくる。何故だ?


『――ハヤマ社の警備人員ではカバーできないほどの産業スパイや誘拐犯まがい、漁夫の利を考える警察が彼女を狙って立ち回っている』


 先ほどの利市リイチさんの忠告がフラッシュバックする。

 ……まさか、ちょっと出歩いて、もしかしたら迷子になっているだけかもしれない。

 しかし、頭の中で警告音が音量を上げていく。気を紛らわすように、無闇にその場を歩き回る。

「テクネ! いるなら返事しろ!」

 ……ダメだ、返事がない。どこに行った? 本当に誘拐されたのか?

 仮にそうだとしても、こんな広い公園の真ん中で、誰にも気づかれないように少女を連れ去るなどできるわけがないだろう。あり得ないことは起こり得ない。――。

「嘘だろ……」

 口の中が乾ききっていた。悪い予感はよく当たる。

 完全犯罪を成し遂げている透明人間が今一番恐れているのは警察でも公安情報庁でもない、そのメカニズムを完全再現する可能性を持つ天才魔女、灰瀬ハイセテクネ。彼女がその調査を始めたと、内通者から犯人に漏れたとしたら……。

「――クソッ!」

 思い当たる人物を探るのも、能天気な自分に苛立いらだつのも後だ。今はテクネを探さねばならない。

 もしも、透明人間がこの場にいるとして、時間的にまだそんなに離れていないはずだ。しかし、相手は不可視の存在。僕の目にもハログラムのフィルターが、今まさにかけられているのか? 持ち前のパウリ効果で剝がしてやりたいが、見えないものを意識することはできない。肝心なときに役に立たない能力だ!

 ……落ち着けよ。目に映らないだけで、僕の五感を完璧に改竄されているわけじゃない。集中しろ、何か痕跡を残しているはずなんだ。

 ――音、匂い、熱、存在感、殺気。全身の毛を逆立てるように、あらゆるセンサーを研ぎ澄ます。吹き抜ける風が肌寒い。陽光は消え失せていた。


『誘拐で済むならまだマシだな』

 焦燥感に焼かれるような思いをしている思考とは別に、俯瞰するように冷静な自分の意識が嫌味を述べてくる。

『相手は透明人間だぞ。とっくにテクネを殺していても不思議じゃない』

 黙れ! 現時点で血痕は見当たらないし断末摩の叫びも聞こえなかった。それに犯人は死体の隠蔽処理まで行わない。テクネが殺されている確率は低いはずだ……。

『今までの犯行は、な。だが、彼女の死を隠しておけば、濡れ衣を着せたまま犯行を続けることができる』


 最悪だ! もうゴチャゴチャ考えるのは止めろ!

 僕はナックルスコーカーを腰のホルスターから抜いて構えていた。こいつの反響アナライザーなら、目標範囲を絞り込める。直感的に狙いをつければ、ドットサイトの赤いランプが緑へと切り替わった。そのサインは以下の状況を伝える。

 有効範囲内敵捕捉。

 自動照準補正適用。

 共振音波発射可能。

 そこには誰も居ないはずだった。しかし、その位置の芝生は奇妙に窪んでいた。まるで、のように――。

 こんなもの、使いたくなかった! だけど今はすがるしかないのだ。一瞬の判断の迷いが命取りになる。なんでもいい、助けてくれ!

 祈るように、トリガーを絞った。


 ドクン。


 自分の鼓動の跳ね上がりと、衝撃音が重なった。

 芝生の上にちょうど二人分、人が倒れ込んだようなシルエットの凹みが現れる。

 ――見つけた!

 駆け寄りながら、呪文の矢を射抜く。

「ノウマクサンマンダバザラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン!」

 静電気が爆ぜるような音と、小さな火花が炸裂する。ハログラムの隠れみのが破壊されたみたいだ。


 姿を見せたのは外傷なく意識のないテクネ。

 それと作業ツナギを着た、長身で蛇のような顔をした短髪の男。――犯人、透明人間の正体!


 覆い被さって取り押さえようと接近した。

 しかし、左肩を砕くような鈍痛。

 僕はバランスを崩しして横転する。

 殴られた――?

 ナックルスコーカーの照射は男の頭部を外し、気絶には至らなかったらしい。それでも身体のどこかにヒットすればそれなりの痺れか痛みを与えるはずだが、奴はもう立ち上がろうとしていた。脳か神経が壊れているんじゃないのか。

 相手もまた、手に特殊警棒のような武器を持っていた。先ほどの反撃はそこまでの勢いがあるものじゃないのに、僕の左腕は感覚がない。

 あれは【ナックルツイーター】、スコーカーと同機能を持つ接近戦を想定した武具だ。飛び道具としては使えないが、接触面から確実に共振音波を流し込み、腕力に頼らず対象を制圧できる。テクネもそれで気絶させたのか。

 僕は無理矢理姿勢を立て直す。

 とにかくテクネを守れ!

 スコーカーの銃口を男に向ける。

 ――が、男はすでにこちらの間合いへと踏み込んでいた。

 気圧されて、重心が微妙に崩れる。

 照準がブレる。

 発射。

 ――外れた。

 反射的な舌打ちをする暇もなく、胃液が逆流して口から吐瀉としゃした。

 鳩尾みぞおちえぐるように突き刺さる男のツイーター端部。

 衝突、同時に激震。

 身体の内側から殴打され続けるような不快感。

 目の前が真っ白に、そして真っ黒に。意識を喪失――。

「……してたまるかぁっ!」

 歯を食いしばって、落ちかける瞼を抉じ開けた。

 気合で精神を保て!

 僕はスコーカーを放り投げて、その手で男のツイーターを掴む。

 予想外だったのか男の反応が一瞬遅れる。

 僕は上半身を千切れんばかりに左回転、足裏で地面を踏み込む。

 スプリングのような反動をつけ、動かない左手で鉄槌てっつい打ちを振りかぶり男の顔面右側部へと叩き込む。

 骨が折れるような鈍い響き、それが僕のほうの損傷か相手かはわからないが、両者共に地面へと崩れ落ちる……。


 芝生が濡れていた。いつの間にか、雨が降り出していたみたいだ。なんてことないはずの雨粒が、今は刺さるように恐ろしく痛い。もう、立ち上がるのは無理だ。

 対して蛇のような男は、やはり蛇のようにヌルリと起き上がろうとしていた。痛覚が壊れてやがる。あの目つき、獲物への執念深さが燃えているようだ。そいつをただ睨むことしかできないのが歯痒い。その瞳の奥は真っ暗闇で、心情らしきものは何一つ読み取れなかった。

 すると、男の口が少しだけ動いた。

「……

 驚愕きょうがくした。

 本当に、彼が発した言葉だったのだろうか。言動不一致、状況との不釣り合いにも程がある。散々と暴力を見せつけてきた者が発したものとは思えない、弱くか細い悲痛な懇願こんがんだった。僕は問いかける。

「お前は――?」

 そのとき、目の前を横切る人影が男を突き飛ばした。

 速すぎて誰かはわからない。僕みたいな素人喧嘩とは違う、並外れて洗練された体術の動き。

 男はしばらく応戦するも、次第にソレをさばききれなくなり、低い姿勢のまま逃走を開始した。

 降雨のせいか、再び擬態化ハログラムを使う気配はない。

 誰かもそれを追いかける。揺れる三つ編み。すぐに点のように遠ざかり、見えなくなってしまう……。


 ――そうだ、テクネは無事か? 這いつくばりながら彼女に近寄る。水滴が跳ねる白い頬に触れる。熱と呼吸を感じる。

 ……良かった、生きていた。

 安堵すると、急に強張っていた全身の力が抜けてきた。

「……にいに?」

 僅かに開きかけた彼女の瞼と漏れるうわ言。

 安否を確認しようと声を掛けようとする前に、僕のほうが限界を迎えた。

 雨音が大きくなる。


 今度こそ、気を失う――。

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