六章:急襲

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 翌日、登庁すれば職場にテクネがいた。何故?

 しかも、僕より早く出勤している蔵内クラウチさんと仲良さそうに競艇の実況中継を眺めている。何故?

「――つまり、一着から三着を当てればいいんでしょ? 内側コースに強い選手がいればもう確定じゃないの?」

「それがだ、勝因ってのは経験値だけじゃない。ボートやモーターの様子、選手とレース場との相性、天候、様々なものが絡み合う。時として大波乱が起こるからこそ、大穴狙いで一攫千金も狙えるわけだ」

「複雑系や創発の考えだね。流体力学の問題だけじゃないと」

「宝くじとは違い、自分の考え次第でチャンスを掴める。全く勝てないわけじゃないが、ずっと儲けられるわけでもない。賭けレースの恐ろしくも楽しいところよ。負けても取り返せそうだから、多くの人間が沼から抜け出せない」

「単勝を六通り買えば必ず当たるんでしょ?」

「そりゃそうだが、当たった分より損失額のほうがでかいな。それに競艇で単勝は人気がない。三連単で全-全-全をしてもいいが、緑のB2選手が一着になるとか大荒れにならないと舟券を捨てるようなもんだ」

「演算シミュレーションにデータぶち込んでやってみようかな……」

「ストーップ! 未成年の舟券購入は法律により禁止されています!」

 盛り上がっているところ悪いが、僕は間に割り込む。

「お金は出さないよ。見てるだけー」

「蔵内さんも、変な遊び教えないでください」

「嬢ちゃんから話しかけてきたんだ。理解が早くて良い子だ。未来のボートレース支援者になってくれる。それよりお前、煙草は?」

「煙草?」

「昨日言っただろ」

「あー……、また今度ってことで。――っていうか、テクネ。なんでここに?」

 彼女は楽しそうな表情を一変させ、キッと睨んでくる。些細なことが命取りになる。速やかに訂正。

「……先生、どうしてここにいるんですか?」

「今日は課外授業、現場検証に行くよ。移動で時間がかかるから早く始めなきゃ一日で回り切れないのに、キミが中々来ないから、迎えに来てやったのさ」

 聞いてないよ。というか僕はいつも通りの時間に行動している。テクネの体内時計が世界の標準時刻じゃないんだぞ。

「そもそも、どうやって中に入ったんだよ? アポなしじゃゲストパスも発行されない」

「あ、わたしが案内しました。入口で、鉄穴カンナさんの妹で忘れ物届けに来たって」

 阿澄アスミさん、そんな古典的な方法に乗っからないでくれ。いや、まだ不法侵入を試みなかっただけマシなのか。

「彼女は灰瀬ハイセテクネ。僕の遠戚で、透明人間事件の調査協力者です。札付きのハログラマーなんで、注意してください」

「なにその紹介! みんな仲良くしてくれるのに。オモチャのくせに生意気な!」

「オモチャって言うな!」

「オモチャ……?」

 阿澄さんがピクリと反応した。勢いよく僕の耳を掴むと、そのまま部屋の外まで引っ張られる。痛い痛いちぎれちゃう!


「念のため確認しますが、本当にただの親戚なんですね? 相手は未成年、手を出してたら……」

 阿澄さんは僕の人差し指を曲がっちゃいけない方向へ押し倒そうとしている。とんでもない力だ。

「だだだ断じてありません!」

「あれくらいの年頃の娘は勘違いしやすいんですよ、年上ってだけで妙な幻想を抱いて。その気持ちを利用する男が指の一本くらいで罪滅ぼしできるとでも?」

「本当に、何もしてませんから……!」

 無実を精一杯訴えると、ようやく阿澄さんは僕を解放してくれた。セクハラでお偉いさんを病院送りにした彼女だ。逆鱗げきりんに触れてはならない。

「鉄穴さん、もう二十後半ですよね? だったら、ちゃんと成人と付き合わないと」

 それができれば苦労しません。

「仕事は真面目なのに、家事はけっこうズボラですよね? 穴の開いた下着をそのまま履き続けるし、夜ご飯は缶ビールとおつまみだけでお腹を満たそうとするし。そういうところをフォローできる人がいいと思います」

 ……うん? 誰にも喋ったことがない私生活の様態を見事言い当てられてしまった。だらしないとは自覚していたが、職務中でもどこかバレる素振りがあったのだろうか。

「わたし、そういうサポート面、けっこう得意なんですよ。戦場でも兵站へいたんの確保を第一に考えますし、たとえ無人島に置き去りにされても、現地調達できる資材と食糧で生き残れるサバイバル術を身に着けてます。熊の肉とか、食べたくないですか?」

 熊、この前襲われかけたから嫌なイメージしかない。あれは着ぐるみだったけど。

「いや、遠慮します」

「じゃあ、サメの肉は?」

「いや、遠慮します」

「手作りシュールストレミング」

「生物兵器だっけ?」

 断り続けると、阿澄さんはしょぼくれたように俯いてしまった。なんの話だっけ?

「――女子の手料理を頑なに食べようとしない男、最低」

「うぐぉっ!」

 落石を腹で受け止めたような衝撃が炸裂した。阿澄さんはスタスタと部屋へと戻っていく。今のはパンチ? キック? モーションが全く見えなかった。何ひとつ理解できないまま、僕はお腹を抱えて廊下にうずくまる。涙と鼻水と涎と汗が滴る。

「……何してんのさ?」

 いつの間にか、テクネが傍らに立っていた。僕を、路上のゴミのようだと見下ろす。

「やべー女ばっかり……」

「はあ? さっさと行くよ!」

 テクネは僕の丸まった背中をバシバシ叩いてくる。今度、マジで利市リイチさんに相談しようと思った。

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